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いわきの人々と復興を願った4万発の花火。蔡國強が第二の故郷で起こしたビッグバン

  • 2023.7.12
満開の桜のような花火

いわきの海に咲いた花火

6月26日の正午、福島県いわき市の四倉海岸に続々と地元の人々が集まってきた。なかには先生に引率された小学生の姿も多くあった。目的は“昼花火”の観覧だ。

点火がスタートするとドドドッという音とともに、幅400メートル高さ120メートルにも及ぶ桜や波をイメージした壮大な花火が、地平線と空の間に現れる。やがて巨大な雲のようになった煙塊は風に運ばれ、太陽と重なりながら空中へと消えていく。約30分にわたり続いた花火の数は、4万発。まさに圧巻の光景だった。

いわき市の四倉海岸にあがった壮大な花火
四倉海岸には多くの地元住民も集まった。撮影:顧劍亨 提供:蔡スタジオ
四倉海岸に上がった蔡國強の花火
夢を表す「桜」の花火が空をピンク色に染める。撮影:顧劍亨 提供:蔡スタジオ

実はこの花火、世界的なアーティストの蔡國強(ツァイ・グオチャン)による作品だ。いわきの子供たちへ誇れる故郷を残したいと、2011年5月に始まった9万9千本の桜を植えるプロジェクト「いわき万本桜」の一環でもあり、《満天の桜が咲く日》と名付けられている。地元の実行会と共に〈サンローラン〉のクリエイティブ・ディレクター、アンソニー・ヴァカレロのコミッションワークとして制作され、また、国立新美術館と〈サンローラン〉が主催する現在開催中の大規模な個展「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」の序幕でもあった。

四倉海岸に打ち上がった蔡國強の花火
それぞれの花火は、追悼の意を込めた「菊」、白い波、黒い波などがテーマに。courtesy of Saint Laurent
四倉海岸に上がった蔡國強の花火
爆発音とともに空中に現れた白い花火は、滝にも壁にも見えた。この後、巨大な煙の塊となって消えていく。撮影:辰巳昌利 提供:蔡スタジオ

花火がスタートする直前に行われた蔡のスピーチでは、以下のようなメッセージが伝えられた。

「1988年、私は妻とともに東京からいわきにやってきました。無名に近いアーティストを迎え入れてくれた人々の温かさに感動し、以来、ここは私の第二の故郷になったのです。地元の人々に支えられこれまで30数年の間に、この小さな港からアメリカ、スペイン、デンマークなど世界各地を旅し、いわきの皆さんと協働してきました。2011年の震災の記憶をとどめ、4万発の花火で鎮魂の祈りを捧げたい。《満天の桜が咲く日》は、人と自然のつながりと、自然への畏敬の念を表します」

中国から日本へ、そして世界へ

蔡國強は1957年中国に生まれ、1986年に来日。ニューヨークへ拠点を移すまで9年ほどを日本で制作するなかで、いまや蔡の代表作となっている火薬を用いた独自の作風を確立した。前述のスピーチのとおり、まだアーティストとして無名に近かった1988年、いわきを訪れた蔡は地元の人々の歓迎を受け、以来30数年もの間、協働しながら制作を行ってきた。いわき市立美術館での個展開催をはじめ、地元の人々が資金や人力を惜しまずに蔡を支え続けてきたのだ。

空に花開く蔡國強の花火
いわきの空に咲いた満開の花(花火)。courtesy of Saint Laurent
花火は雲の塊へとゆっくりと変化していく。
桜色の花火の煙は、時間と共にゆっくり雲のように変化していった。photo:BRUTUS
花火は雲の塊となってゆっくりと移動していく
花火は桜色の雲の塊となってゆっくりと移動していった。photo:BRUTUS

花火の最中には、子供たちに「楽しんでますか?」と何度も声をかけていた蔡の姿が印象的で、気さくに周囲と会話を交わし、目を細めて笑う人懐っこさ。いわきの人々が彼の力になろうと突き動かされたのはその人柄も大いにあるだろうが、国境や様々な境界を超えて、人間の存在、自然や宇宙との関わりというものを追求する芸術にかける熱量は凄まじい。

花火イベント当日は、蔡と縁深い地元の人々との関係性や取り組みを知るツアーが組まれていて、四倉海岸での花火が終わると車で10分ほどの場所にある〈いわき回廊美術館〉へ向かった。蔡が館長を勤める美術館――といっても私たちが想像するような建物ではない。

100ヘクタールもある畑の景色を眼前に、山を丸々そのまま“野ざらし”の美術館にした感じだ。中国で“永遠”を意味する数字の99になぞらえ、99mあった回廊はDIY感あふれる板張り。土地の人々と一緒に作り上げた回廊はだんだん伸びて、いまや166mもの長さに拡張しているという。回廊の壁には、これまでの協働の歩みを伝える写真や、地元の子供たちの絵が飾られていた。

〈いわき回廊美術館〉に飾られた地元小学生たちの絵。
〈いわき回廊美術館〉に飾られた地元小学生たちの絵。photo:Shiho Nakamura
〈いわき回廊美術館〉の庭で平賀えっれた、地元のスタッフによるBBQパーティーが催された
〈いわき回廊美術館〉の庭では、地元のスタッフによるBBQパーティーが催された。photo:Shiho Nakamura
〈いわき回廊美術館〉の山頂に設置された《廻光》という朽ちた船の作品
〈いわき回廊美術館〉の山頂に設置された、朽ちた船の作品《廻光》。photo:Shiho Nakamura

そして山頂の開けた広場に到着すると、《廻光》という朽ちた船の作品が。太平洋岸に位置するいわきには、多くの漁村や港がある。遡ること1994年、蔡は地元のボランティアとともに廃船となっていた漁船を海岸から掘り出し、いわき市立美術館での個展で展示したインスタレーションが、今はパブリックアートとなった形だ。遠く離れたニューヨークへ蔡が移り住んだ後も、2004年にアメリカで個展の開催が決まった際には、いわきの人々がもう一度大型船を掘り上げ現地へ輸送し、制作を手伝った。この船はさらにその後、カナダ、スペイン、台湾など世界の美術館を巡回したが、いわきの人々はその都度現場まで赴き、船の組み立てと設置に参加。「途切れぬ歳月の変わらぬ友情」がこの作品の核であると蔡は語っている。

澄みわたる青空の下、地元の人々が振る舞ってくれたバーベキューを昼食にいただきながら、小学生の絵画コンクールの表彰式が開かれ、終始なごやかな一日が過ぎていった。

回顧展ではない国立新美術館での個展

さて、国立新美術館で同館とサンローランの共催により6月29日に開幕した大個展「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」。火薬の爆発によって描かれた巨大な屏風型の作品や、LEDを使った大規模なインスタレーションなど迫力のある作品を体感できるが、蔡の深遠なる思考を追体験できる資料やテキストにもじっくり目を通したい。なぜ火薬の爆発なのか。それは展覧会タイトルにもあるように、原初火球(ビッグバン)という、宇宙や見えないものとの対話にほかならない。

蔡國強展で展示されている創作ノート
展示室には、アイデアを書き留めた蔡の手書きノートも。

東洋思想を汲みながら、アジア、西洋、ひいては地球、宇宙へと思いを馳せ、思考を続ける蔡。壮大なコンセプトがそのまま視覚的に体現されていることに驚くばかりだが、さらに驚くのは、歳を重ねても、NFTやAIなどの最新テクノロジーを取り入れることに何ら抵抗を見せないことだ。本展は単なる回顧展ではなく、遙かな未来へと向けられた蔡の視野に圧倒させられることだろう。会期は8月21日まで。

新国立美術館で展示中の蔡國強展
国立新美術館で開催されている「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」の展示風景。LEDを使った大規模なインスタレーションや、火薬による爆発の痕跡を感じられる作品など、迫力満点。

Information

「蔡國強 宇宙遊―〈原初火球〉から始まる」展ポスター

蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる

会期:2023年8月21日(月)まで
会場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)
営:10時〜18時(金・土は20時まで、入場は閉館の30分前まで)
休:火

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蔡國強

蔡國強

ツァイ・グオチャン(さい・こっきょう)/1957年、中国福建省泉州生まれ。上海戯劇学院卒業後、’86年に現在の妻である画家の呉紅虹(ウ・ホンヨン)とともに日本へ。約9年を日本で過ごし、’95年に渡米。以降ニューヨークを拠点に活動。火薬を爆発させて描く絵画や、導火線を使って万里の長城を1万メートル延長するプロジェクトなど、壮大なインスタレーションが代表作。‘99年第48回ヴェネチア・ビエンナーレで最高賞の金獅子賞受賞。’08年北京五輪開会式で視覚特効芸術監督として花火の演出を担当し、大きな話題を集める。グッゲンハイム美術館や北京中国美術館など世界の主要美術館で個展歴多数。

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