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児玉雨子のきょうも何かを刻みたくて|Menu #13

  • 2023.7.10

「生きること」とは「食べること」。うれしいときも、落ち込んだときも、いそがしい日も、なにもない日も、人間、お腹だけは空くのです。そしてあり合わせのものでちゃっちゃと作ったごはんのほうがなぜか心に染みわたる。作詞家であり作家の児玉雨子さんが書く日々のできごととズボラ飯のこと。

約200gの煮干しのだしがらを、かぶるくらいの塩水で1時間ほど煮詰め、ローリエ、唐辛子、にんにくと一緒に瓶に入れ、オリーブオイルに漬ける。今回はレンチンで戻したパスタ、ブロッコリー、めんつゆ適量と和えた。

無駄なくいただくカルシウムたっぷりパスタ。

SDGsや環境問題についてのニュースを見るたび、それとはまったく関係ない苦い記憶が蘇る。

私が通っていた小学校では低学年の科目に「環境学習」があって、気になるトピックを調べて年度末にレポートを提出する決まりがあった。私はヒートアイランド現象について書いていたのだが、当時は屋上や壁が緑化されたビルが多くなく、ゴミ処理問題などと異なりフィールドワークのしづらいテーマで四苦八苦したのを覚えている。しかも当時の担任教師が自分のお気に入りと嫌いな児童への対応の差がひどい人で、私はその先生から嫌われていて何度もやり直しをさせられ、レポートの枚数が少ないのは環境への意識が低く、思いやりがないからだ、と怒られもした。母親いわく他にもこの先生からは色々言われて学校内で問題になったらしいが、私自身はこの出来事しか覚えていない。

それでも教育の影響というのは強烈なもので、ゴミの分別をしなかったり、食べきれない量のごはんを頼んで残してしまったりするひとを見ると、ちょっと付き合い方を考えてしまう。けれど私自身そんなにイノセントな存在でもない。もしタンク式食洗機がなかったらシンクにうずたかい食器の塔ができているし、コンビニのカレーに救われた夜は数え切れないし、ときめく服は欲しいし、その服にも飽きてしまう。

そんなどっちつかずな自分にできることは、この手の届く範囲で、そしてその範囲を狭めない程度に無駄を出さないことくらいだなぁとつくづく思う。環境への意識が低かろうが、思いやりがなかろうが、私にはそれが精一杯だ。

先月からだしの水出しをするようになり、そのだしがらをなんとなく捨てられず冷凍庫の中に眠らせていたのだが、ふと「同じいわしならオイルサーディンになるんじゃ?」と思い立ち、塩水でやわらかくなるまで煮た煮干しのだしがらを、煮沸消毒した瓶に香辛料とともに入れ、オリーブオイルに漬けてみた。これがかなり使い勝手がよくて、缶詰のオイルサーディン同様炭水化物との相性がとてもいい。もちろん身の部分は缶詰に比べて少ないけれど、骨まで食べられるのでカルシウムをたっぷり補給できる。時間がかかるけど手間は以外とかからず、一度作ってしまえばあとが楽、食品ロスもなくエシカルな気分になる。たとえば週末にズボラがちょっとだけがんばるのに、そして幼少期の苦い思い出を癒すのに、ちょうどいい作り置きだった。

児玉雨子 作詞家、作家

アイドルグループやTVアニメなどに作詞提供。中篇「##NAME##」が『文藝 2023年夏季号』に掲載。

photo & text : Ameko Kodama edit : Izumi Karashima

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