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「七夕」は、何かを食べる風習はある行事?

  • 2023.7.4
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夏のはじめにある行事の「七夕」。 短冊に願い事を書いたり、笹飾りともいわれる七夕飾りをする日となっています。

端午の節句の柏餅のように、多くの行事では定番の食事というのがありますが・・・、七夕にも同じような風習はあるのでしょうか?

そこでここでは、七夕における食事について解説します!

「七夕」の食事

 

七夕の時に食されてきたものというのはあるのでしょうか。

平安時代の貴族文化で食された「索餅」

奈良時代に中国から伝わった七夕。 平安時代の頃などは、貴族だけの風習だったともされています。 そして、貴族文化の中では七夕には「索餅」が食されていたとされます。

この「索餅(さくべい)」というのは、奈良時代に唐から日本に伝わった菓子の1つ。 小麦粉と米粉を混ぜ合わせた生地を縄状に伸ばしたものです。

平安時代初期、宇多天皇の頃からマラリアのような熱病「瘧(おこり)」の病除けを祈願して食べられるようになったとされています。

古代中国で皇帝の子供が熱病で亡くなった時、その子供は悪霊となって熱病を流行らたといいます。 そこで人々は、その子が生前に好きだった索餅をお供えしました。 すると、その熱病の流行はおさまったのです。 この伝承に登場する皇帝の子供が亡くなったのが7月7日だったとされます。 そこから、7月7日に索餅を食べると瘧にかからないとされるようになったのです。

正確には7月7日に食すものであって、七夕の食べ物ではなかったようですね。

この索餅、江戸時代に廃れて現在ではなくなった食べ物とされることもありますが、形を変えて「しんこ菓子」と呼ばれる餅菓子になったとも伝わっています。 他にも、長崎の中華街などで売られている「よりより」というお菓子も、原型は索餅という説があります。

江戸時代以降は「そうめん」が食されることも

索餅は、そうめんの原型ともされる食べ物です。 時代が下るにつれて、索餅が廃れたことで代わりにそうめんを食べるのが定着したともされています。

他にも、白く長いそうめんの束を天の川に例えて食べるようになった。 そうめんを絹糸に例えて、織物の上手な織姫にあやかり裁縫がうまくなるように願いを込めて食べるようになった。 といった説があります。

地方独自の「七夕」の食事

 

七夕に食べるものは、なにもそうめんだけではありません。 各地域で、それぞれの理由から独自の七夕の定番の食事をとることがあります。

新潟県:笹寿司

酢飯に具材や薬味といった寿司種乗せてクマザサの葉でくるんだ「笹寿司」。 寿司種としては、鮭や鱒といった魚だけでなく、地域によってはゼンマイやタケノコといった山菜などを具材とすることもあります。 この笹寿司は、新潟県や長野県に伝わる郷土料理です。

七夕は「笹の節句」と呼ばれることもあるので、笹寿司を郷土料理とする新潟県などでは笹寿司を七夕の日に食べるようになったのだとか。

長野県:たなばたほうとう

「たなばたほうとう」は、松本地域周辺に伝わる郷土料理です。 練った小麦粉を伸ばして作った麺に小豆あんやきなこをまぶした料理です。 ちなみに食すのは、7月7日の七夕ではなく、月遅れ8月7日の七夕になるようです。

松本市周辺地域では古くから小麦の栽培がされていたことから、月遅れ七夕ごろに収穫の時期を迎える小麦を使ったこの料理が生まれたのだとか。

宮城県:笹かまぼこ

宮城県、特に仙台市周辺の名物として知られる「笹かまぼこ」。

かまぼこの歴史自体は古く、平安時代まで遡るとされています。 保存食のひとつとして生まれたとされています。

そして、笹かまぼこが誕生したのは時代が下って明治時代の事。 ヒラメの大漁が続き消費が追いつかなくなった中で、その利用と保存のために生まれた食べ物とされています。 すり身にしたヒラメを手の平でたたいたものを笹の葉の形状にして焼き上げたのが原型とされています。

七夕は「笹の節句」と呼ばれることから、笹かまぼこが食されるようになりました。

ちなみに、7月7日は株式会社紀文食品によって「笹かまの日」という記念日が制定されています。

まとめ

7月7日にある行事の七夕。 この日は、短冊に願い事を書き飾り付けるのが定番ですが、古くは「索餅」というものを食べていたとされます。 これは、熱病である瘧の病除けを願って食べられるようになったのだとか。

江戸時代になると、索餅ではなくそうめんを食べる様になりました。 これは、そうめんが索餅を原型とした食べ物だからだとも、白いそうめんを天の川に見立てからだともされています。

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