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専業主婦を量産した昭和の残滓が令和の女性を苦しめる…経済力を持った女性が結婚を選ばなくなった根本理由

  • 2023.6.30

女性の社会進出が少子化の原因として語られることは多い。雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんは「経済的に男性に頼る必要がなくなった女性は、無理して結婚を選ばず、少子化が高進した。ではなぜ結婚を選ばなくなったかというと、専業主婦を前提とした『幸せな家庭像』が令和の男女の心に残っていることが大きい」という――。

ビジネスウーマン
※写真はイメージです

本連載では、女性の生き方、とりわけ働き方についての歴史を振り返ってきました。

ナポレオン法典から続くフランスの民法や明治民法など、当時としては先進的な法体系でも、「女は無力で夫の所有物」という趣旨の規定が20世紀半ばまで残存したのです。

そうした「差別」が温存された最大の理由は、労働社会を男性が牛耳り、女性は食い扶持を確保することが難しかったことにあるでしょう。事実上、ほんのつい最近まで、女は働けず、男にすがるしかありませんでした。

そして、なんと、トルストイやエレン・ケイ、平塚らいてうなど当時の開明的な識者が、「女は家に」という差別を、しきりに唱導していたのです。

ただ、女性が働けるようになれば、男にすがる必要はありません。当然、明治民法やナポレオン法典のテーゼは壊れます。この基本原理を、100年も前に声高に叫んだのが与謝野晶子でした。

【連載】「少子化 女性たちの声なき主張」はこちら
【連載】「少子化 女性たちの声なき主張」はこちら

そうして、平成になると徐々に女性は家庭から解放され、社会に出た。まさに、晶子の描く世界観に近づいたわけです。当然の帰結として、男にすがる必要がなくなった女性は、無理して結婚を選ばず、少子化が高進した……。

ここまでが前回の主旨となります。

専業主婦前提の「幸せな家庭像」

日本の場合、1945年の敗戦で明治の法体系は捨て去られ、1946年公布の新憲法により、男女同権が謳われました。本当はそこで、女性の地位は回復するはずだったのですが、昭和の社会では、差別が巧妙に進化し、精密機械のような枷となって、より深く私たちの「常識」に染み込んでいきます。

見合いではなく恋愛で結婚相手を選び、老親から離れて核家族として世帯を持つ。そして、子ども2人を設け、標準家庭を築く。こんな西欧的な「ロマンティックラブ」が当たり前になる中で、夫は会社でバリバリ働き、妻は家を守るという専業主婦前提の「幸せな家庭」テーゼが、社会の隅々まで行き渡ってしまいました。この、異見を挟みにくい「幸せな家庭像」こそが、女性の社会進出を阻んでいくのです。

戦前の「妻は夫の所有物」テーゼとは異なりますが、「幸せな家庭」テーゼも、十二分に性別役割分担を維持強化したと言えるでしょう。

そうした軛くびきが、女性の社会参加が進んだ今も尾を引き、令和の男女の心にも、その残滓ざんしが溢れています。晩婚・未婚・少子化問題の大きな原因がそこにあります。女性が外で働くことが当たり前になる一方で、家事、育児、そして介護までもが女性に偏重する状態は残り続ける。働く女性にとって、専業主婦を前提とした「幸せな家庭像」は、“無理ゲー”に他なりません。経済力を得た女性が結婚を選ばなくなったことは当然といえるのです。

家族
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昭和型「お嫁さん」輩出構造

今では信じられないことですが、昭和の女性たちは、「お嫁さん」になることが、人生の基本でした。教育と産業が歩調をそろえ、「女性をお嫁さんに誘う」よどみない系がつくられていたため、多くの女性たちは、それに抗うことなどできません。

ところが、堅固に維持されたこの社会構造が、1990年代にあっけなく壊れていきます。そのきっかけになったのが、バブル崩壊です。

「バブル」と書かれたニュース見出し
※写真はイメージです

1946年の新憲法で男女平等が謳われたにもかかわらず、性別役割分担が幅を利かせ、「女は家に」という考え方が生き延び続けた理由は、「経済成長が順調で、労働者への分配が多かった」ことと「基礎人口が多く、労働希望者が過多だった」ことにあるでしょう。好況が続けば、企業は社員の給与を上げます。同時に、課長や部長などの役職者ポストも奮発します。当然、労働者は勤続に応じて給与も役職も上がるため、容易に家族を扶養することができる。だから、「夫が働けば妻は家にいられる」状態となりました。

そして、年間出生数が200万人を超えるような多産世代が続いたため、その半分の男性しか働かない状態でも、労働供給は十分でした。

この二つが結びつくことで、俗にいう日本型雇用はどんどん強化されていくことになります。

バブル崩壊とともに、昭和型社会構造が崩れていく

まず、会社は成長し続けるので、リストラをする必要はありません。労働者は黙って働き続ければ、給与も役職も上がります。当然、転職を志向する人は減っていく。働く人が男に偏れば(=女性が働かず不労人口が多いため)、経営環境によっては人員不足も起きるでしょうが、それは、残業や休日出勤で何とかする。短い不況期には、そうした残業や休日出勤を控えることで、人件費は抑えられる……。こうして、男は家族を顧みず長時間労働をし、その代わり、企業は多重に雇用を保証し、さらに妻は家で子育てをする、という昭和型社会構造がつくり上げられていくわけです。

ところが、平成になり、経済風景が一変することになります。バブルが崩壊し、会社は成長し続けるという神話が途切れました。これが、昭和型社会構造への最初の一撃となります。

なぜ親世代や上司は働く女性の気持ちがわからないのか

ここで昭和型社会構造とその崩壊を振り返るために、主に若年層の女性に向けて書いた拙著『女子のキャリア』(ちくまプリマー新書)の一節を引用(一部修正あり)し紹介します。

<引用>

あなたのご両親や親類、学校の先生、もしくは職場の課長やお偉いさんは、なぜあなたの気持ちをわかってくれないのか。

それは本当に簡単なことなのです。

ほんの30~40年前は、女性が働くということは、今とは想像もできないほどに異なっていました。

ほんの10年前だって、今とはずいぶん異なっています。だからみな、人生の先輩であっても、今のあなたの年代の悩みを、理解できないのでしょう。

クリスマスケーキと定年30歳

1980年時分の日本の女性の働き方がよくわかるドラマがあります。

「女は14、5の頃から、結婚については、いろんなことを考えている。ところが、24、5になると、お見合いで2、3回逢って、相手を決めてしまったりする。周りが、どんどん結婚という柵の中へ私たちを追いこんで行く。いら立つんだけど、とり残されるのも嫌だと思ってしまう。そんな風にして、結婚したくないと、私たちは、心から思っているのだけれど――」(9話冒頭/久美子モノローグ) 「男の人は、ほんの少し私たちの身になってみればいいと思う。25、6になっても結婚しないと、まるでどこかに欠陥があるようにいわれ、ちょっと結婚に夢を描くと高望みだといわれ、男より一段低い人種みたいに思われ、男の人生に合わせればいい女で、自分を主張すると鼻もちならないといわれ、大学で成績がいい人も就職口は少なく、あっても長くいると嫌われ、出世の道はすごく狭くて、女は結婚すればいいんだから呑気だといわれ、結婚以外の道は、ほとんどとざされて、その上いい男が少ないときては、暴動が起きないのが不思議なくらいではないでしょうか?」(12話結び/久美子モノローグ)

あの有名な山田太一さんが脚本を手がけた『想い出づくり。』(1981年、TBS系)という作品の一節です。短大を出て、結婚までのつなぎとして、たった数年会社に勤める。24歳までならば、見合いの話も多く恋も花盛りだけど、25歳になれば、もう売れ残りでちやほやもされなくなるようすを、25日を過ぎたら売れなくなるクリスマスケーキにたとえたのです。短大を出て、たった3年か4年会社に勤め、その間に、恋もして、人生を共にする男を見つける。それを“腰かけ”と呼んだのも、今ではもう懐かしい言葉の響きです。

クリスマスケーキ
※写真はイメージです

当時は、多くの会社が寿退社(結婚退職)を前提に、女性社員を雇っていました。それを内規として定め、しかも就業規則にまで盛り込んでいる企業も普通でした。超大手のエクセレントカンパニーでも状況は同じ。こうした女性の早期退職という会社の方針に対して、大手企業を相手に幾度となく訴訟が起こされてもいます。

1966年に東京地方裁判所で出された判決(住友セメント事件 東京地判41.12.2)に付された調査報告が当時の実情をよく物語っているでしょう。女性のみに限定した超早期定年制を成文化している企業は、大手全体の8%、金融保険業では20.2%もある、とのこと。

文章に残している大手でもこの調子だから、不文律として職場の常識となっていたのは、どれほどか、想像がつくところでしょう。

リストラは「夫がいる女性」「ある年齢以上の未婚女性」の順で…

働く女性にとって、厳しい現実があったことは、他の訴訟からも見てとれます。たとえば、日特金属工業事件では、「整理解雇時は、有夫の女性、ついで、ある年齢以上の女性を優先」することになっていた……。

これは、会社の業績が苦しくなったときに、どの順番で解雇をするか、という取り決めについて書かれたものです。まず、正社員を守るために、非正規社員を解雇する。その次は、結婚している女性正社員。これでもう十分に差別的な扱いなのですが、それでもまだ、「旦那さんがいるから、生活には困らない可能性が高い」からそう決めたのか、とその理由は推測できます。ただ、その次に解雇すべき対象が、「ある年齢を超えた未婚の女性」。こうなると、もうまったく合理的な理由が見つけられないでしょう。そこには、「ある年齢を過ぎた女性は働くべからず」という当時の風潮くらいしか、根拠となるものが想定できません。

そう、そんな社会だったのです。

当時、30歳を過ぎて働いている女性は、ビジネス街にはほとんどいなかった(図表1)。そのことをあなたは今、なかなか想像できないでしょう。

【図表1】従業員1000名以上の企業での女性従業者数(1985年)

それと同じ。そんな時代に生まれ育った人たちが、今のあなたの心境を理解することはやはり難しいのです。

<引用ここまで>

女性は「学歴・役職・給与で男性より下」という価値観

以上、2012年に上梓した拙著『女子のキャリア』から、昭和の風景を表す箇所を引用いたしました。驚きませんか?

社会全体が足並みそろえて「お嫁さんになること」を若き女性に押し付けているさま。現代に生きる女性はもちろん、男性からしても、昭和はこんなだったのかと思うと、胸が痛むのではありませんか。

そして、そのお嫁さん願望に合わせる形で、産業界を定向進化させてしまいます。

職場に女性の居場所は、「男のアシスタント」しかありえず、それも結婚するまでのひと時の「腰掛け」であり、企業は彼女らを「預かりもの」と呼んでいた。それでも独身時代は、はれ物に触るような「理解なき支援」を多々受けて、一見、優しくされているようにも見えるが、いたるところで、企業は彼女らに牙をむきます。

そもそも、定年は女性だけが途方もなく早い。夫がいる女性は食い扶持に困らないからと、さっさと整理解雇することが社則に盛り込まれている。果ては、未婚でも若年期を過ぎた女性は先んじて整理解雇対象となり、訴訟でもそれが間違っていないと判断される……。

そして、人倫を教えるべき教育界まで、「四大行ったら就職ないよ」と脅し、短大卒→事務職員への道を半ば強制する……。

こうして、女性には、学歴・役職・給与で「男より下」という価値観が、染みついていくのです。この昭和型の価値観が、2000年代になって、女性たちの反乱を起こすことになる。反乱がどのように起きたかは、しばらく後の方で説明しますが、今の少子化の背景にこうした昭和型価値観の悪戯という図式が存在することをは知っておいてほしいと思います。

海老原 嗣生(えびはら・つぐお)
雇用ジャーナリスト
1964年生まれ。大手メーカーを経て、リクルート人材センター(現リクルートエージェント)入社。広告制作、新規事業企画、人事制度設計などに携わった後、リクルートワークス研究所へ出向、「Works」編集長に。専門は、人材マネジメント、経営マネジメント論など。2008年に、HRコンサルティング会社、ニッチモを立ち上げ、 代表取締役に就任。リクルートエージェント社フェローとして、同社発行の人事・経営誌「HRmics」の編集長を務める。週刊「モーニング」(講談社)に連載され、ドラマ化もされた(テレビ朝日系)漫画、『エンゼルバンク』の“カリスマ転職代理人、海老沢康生”のモデル。著書に『雇用の常識「本当に見えるウソ」』、『面接の10分前、1日前、1週間前にやるべきこと』(ともにプレジデント社)、『学歴の耐えられない軽さ』『課長になったらクビにはならない』(ともに朝日新聞出版)、『「若者はかわいそう」論のウソ』(扶桑社新書)などがある。

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