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「金麦」生みの親がワインカンパニー社長に…サントリー事業会社初の女性社長のあっぱれな度胸

  • 2023.6.16

サントリーの吉雄敬子さんは、子育てをしながら「金麦」や「なっちゃん」などヒット商品を生み出し、現在はワインカンパニーの社長を務める。フランス・ボルドー地方で経営する「シャトーラグランジュ」は事業の大きな柱だ。買収40周年を迎えたこの事業を彼女はどう育てていこうとしているのだろうか――。

荒廃を極めたぶどう畑

サントリーがワインの名産地、フランスのボルドー地方でシャトーを経営していることは、あまり知られていないかもしれない。しかも、グランクリュ(特級畑)の第3級である。その名を「シャトーラグランジュ」という。

サントリー ワインカンパニー 吉雄敬子社長
サントリー ワインカンパニー 吉雄敬子社長

3級と聞くと、門外漢は「1級、2級より下なのか」と思ってしまうが、ボルドー全体のシャトーの数は5000軒にも及ぶとも言われるなかで、ボルドーメドック地区のグランクリュに格付けされているシャトーはわずか61しかない。1級はラフィット、ラトゥール、マルゴーといった、一度は耳にしたことのある名前のシャトーが5つのみ。2級は14。つまり、3級より上位のグランクリュは19しかないのだ。3級といっても、上澄みのなかの3級なのである。

メドック地区に位置するラグランジュは、17世紀初頭につくられた約400年もの歴史を誇る名門シャトーである。伝統的な構えの城館と白鳥が泳ぐ大きな池を具えた、まるで絵葉書のように美しいシャトーだが、サントリーが買収した1983年当時は城館も庭園も、そして肝心のぶどう畑も荒廃を極めていた。

今年で買収からちょうど40年になるが、この間、ボルドーの地でサントリーがいったい何をやってきたのか。これもまた、日本ではほとんど知られていないことだろう。

グループの事業会社で初の女性社長

そして、シャトーラグランジュを有するサントリーのワイン事業のトップが吉雄敬子という名前の女性であることも、あまり知られていないことかもしれない。

2021年にサントリーの事業会社初の女性社長となった吉雄さんの入社は1991年。ちょうど入社30年の節目の年が、社長就任の年となった。

子育てをしながら、「金麦」「なっちゃん」などのブランドマネジメントや商品開発を担当し、ヒット商品に育て上げてきた経験を持つ吉雄さんは、フランス文化の粋とも言えるボルドーのグランクリュ、シャトーラグランジュと、どのように切り結んでいくのだろうか。

シャトー買収が意味すること

サントリーがラグランジュを買収した1980年代は、サントリーが日本のウイスキーメーカーから世界的な総合酒類飲料メーカーへと脱皮を図っていた時代だった。その流れのなかで、メドックのグランクリュを所有することにいったいどのような意味があったのか?

ラグランジュ買収の経緯を記した『シャトーラグランジュ物語』(「ラグランジュ物語」制作プロジェクト・新潮社図書編集室)という本の中に、次のような記述がある。

ボルドーのグランクリュは新しくつくることはできない。ナポレオン三世が一八五五年に作った格付けがいまだに通用していて、改正されることはない。すでに格付けを持っているシャトーを買収するしかグランクリュ・オーナーにはなれない。
(当時のサントリー海外事業展開の担当者である)小林は「グランクリュのソーシャル・プレステージの高さ」を大いに膨らませた提案書を送った。すると、本社からは素早く「OK」の返事がきた。

ソーシャル・プレステージの高いグランクリュを所有することは、フランスのみならず欧州において、さらにはワインの一大消費地であるアメリカにおいて、その所有者のソーシャル・プレステージをも高めることになる。当時、世界的にはまだまだ知名度の低い会社だったサントリーが世界進出を図る上で、ラグランジュの買収はいわば世界で商売をしていく上での「名刺」を手に入れるようなものだったのである。

伝統を守りながら20年かけて復興していった

買収時の荒廃した状態から約20年の歳月をかけて、サントリーはラグランジュを復興させている。この間、サントリーの現地社員は、まさに郷に入りては郷に従えの教え通り、ボルドーの伝統を墨守しながら城館を修復し、新しいぶどうの樹を植え、復興の努力を重ねている。

シャトーラグランジュの外観。
シャトーラグランジュの外観。

たとえば、ラグランジュの顧問に2級のグランクリュのオーナーであるドロンという地元の重鎮を迎えているのだが、現地の日本人社員は仕事の内容のみならず、住居の広さ、住む場所、セレモニーで着るスーツの色や形までドロン氏の指示を仰いだという。ボルドーとはそれほど伝統を重んじる地域でもあるとも言えるし、それほど保守的な土地柄でもあるということだろう。

ラグランジュの復興には20年の歳月を要したが、この20年は徹底的に現地に入り込んで確実にシャトーを蘇らせていく20年であった。吉雄さんの言葉を借りれば、「やるべきことがはっきり見えていた」20年だったということになる。

出産後も仕事をセーブすることなくここまできた

一方の吉雄敬子さんは、91年の入社以降どのような社会人生活を送っていたのだろう。

入社当時は、法務部に配属されて知財関係の仕事をし、その後、ブランドマネジメントと商品開発を往復しながら、「金麦」「なっちゃん」などのヒット商品を生み出したことは、前述の通りだ。

サントリー ワインカンパニー吉雄敬子社長
サントリー ワインカンパニー吉雄敬子社長。管理職に昇進したのは育休からの復帰間もない頃だった。(撮影=遠藤素子)

大きな節目となったのは課長への昇進だった。吉雄さんは2006年にビール事業部ブランド戦略部課長に就任しているのだが、なんと育休明け直後だったというから驚く。

「課長の内示を受けたのは、まだ子どもが1歳になる前でした。えっ、そんなの無理、と思いました。でも、当時の上司が、大丈夫、できるよと言ってくれたのです」

約束を違うことなく、上司は子どもに何かあると適切なケアをしてくれた。もちろん上司だけでなく、同僚からも保育園の人たちからもさまざま支援を受けて、吉雄さんは「仕事をセーブすることなく」課長職をまっとうすることができたという。

人が育つのには時間がかかる

とは言うものの、吉雄さんが新ジャンルの「金麦」を立ち上げたのは2007年のことである。まさに子育ての真っ最中に大ヒット商品を生み出したことになるが、仕事と子育ての両立に困難はなかったのだろうか。

「子育てをしていると、会社でのマネジメントは楽だなと思うんです」

楽?

「だって、ちゃんと言葉が通じる大人を相手にしているわけですからね(笑)。それに、スーパーに買い物に行ったりすることが、マーケティングにも生きてくるんです」

吉雄さんは、両立の苦労を口にしない。

雇用機会均等法が施行されたのは1986年、吉雄さんが入社する5年前のことだ。その世代の女性たちには、もっと気負いや悲壮感があった気がするのだが……。

「私が課長に昇進した当時、マーケティング部門で女性の課長は少なかったと思いますし、サントリーの中でも女性としては早目にマネジャーになった方だとは思います。私たちの世代は、まだまだロールモデルが少なかったので、たしかにやれるかどうかという不安はありました。ロールモデルが少ないことの影響は本当に大きいと思いますが、しかし、一朝一夕で増やすことはできないのです。人が育つのも、育つ環境をつくるのも、とても時間がかかることです。でもあれから20年近くたったいま、後続の女性が、それこそぞくぞくといますからね」

現在のサントリーには、イクメンも子育て中の女性も大勢いる。

「仕事をきちんとやった上で、子どもに何かあったら子どものケアに(時間を)回せる。サントリーはそういう体制の会社になっていると思います」

人が育つ環境と同じように、ワインもぶどう畑も育てるのに気が遠くなるような時間がかかる。ラグランジュ復興の20年に続くこの20年間の道のりは、どのようなものだっただろうか。

樹齢40年、ぶどうの木が適齢期に入ってきた

ラグランジュは「復興の20年」を経て品質の評価を着実に上げてきており、ワインカンパニーでは直近の20年を「創造の20年」と呼んでいる。

サントリー ワインカンパニー 吉雄敬子社長

2012年頃までは、メドックのグランクリュ内での評価点順位が50位台から20位台までの間を乱高下していたが、2013年以降は安定的にトップ20~25位を維持している。3級以上のシャトーは33あるから、3級の中の上位を維持していると言っていいだろう。

では、「創造の20年」でサントリーは何をしてきたのか。

まずは、畑の区画を細かくしてぶどうの熟し具合を精密に管理し、醸造タンクを小型化することによって細分化された区画ごとの仕込みを可能にした。ボルドーにはアッサンブラージュといって、複数の原酒をブレンドすることでシャトー独自の味をつくり出す伝統がある。味の異なるタンクがたくさんあることは、アッサンブラージュの可能性を広げることになる。

また、買収当時に新たに植えたぶどうの樹が樹齢40年を迎えて、ワインに適した果実をつけるようになってきたことも大きい。ラグランジュのぶどうの樹齢が、まさに「適齢期」に入ってきたのである。

さらにシャトーワイン(シャトーで最も品質の高いワイン)の量の絞り込み(少なくする)や、気候温暖化に伴い、完熟した状態での収穫が可能となったカベルネ・ソーヴィニヨン(ぶどうの品種)の比率を高めることによって、より品質の高いワインをつくり出す努力も継続されている。

ボルドーの伝統は守りながら、そこにサントリーらしい、すなわち、日本人的に緻密で丁寧なワインづくりの手法を導入していったのだ。これは、サントリーがウイスキーづくりで実践してきたことでもある。吉雄さんは、この「創造の20年」によって、ボルドーでのワインづくりが「わかってきた」のだと表現する。

結果、2019年のヴィンテージは著名な評論家(ジェーン・アンソン、ウイリアム・ケレー、ジョージ・ヒンデル、ニール・マーティン)の評価で、95点以上という過去最高得点を獲得することに成功しているのである。

経験がなくても「なんとかなる」

その2年後の2021年、吉雄敬子さんはサントリーワインインターナショナルの社長に就任している。入社して30年。就任を打診された時の気持ちは、どのようなものだっただろうか?

「ずっとマーケティングと商品開発にかかわってきて、お客様にかかわりながらものづくりを見られる仕事を続けていきたいと思っていましたので、意欲を持って取り組める仕事だと思いました。ワインのことはあまり詳しくありませんでしたが、ビールと同じお酒だし、なんとかなるかなと(笑)。むしろ、海外出張が多いインターナショナルな仕事なんて大丈夫かしら、という心配の方が大きかったですね。でも、慣れるに従って、どの国の人であろうと、同じお酒の仕事をしている人たちなんだと思えるようになりました」

アメリカでの評価を高めていく

創造の20年の後を受けて、ラグランジュにおける吉雄さんのミッションは何だろうか。

「ワインの質は確実によくなっているので、いかにして価値を上げていくかが課題です。特に、上質なワインの愛好家が多いアメリカで、どう評価を上げていくかが重要です。具体的には、著名なワイン・ジャーナリストが集まっているニューヨークで、メーカーズ・ディナーを開いて、ラグランジュを知っていただくといったことですね」

サントリー ワインカンパニー 吉雄敬子社長
撮影=遠藤素子

メーカーズ・ディナーとは、生産者自身がワインづくりについて解説をしながら、自作のワインを飲んでもらうイベントのことだ。ニューヨークでそんなイベントを打つなんて、ドメスティックな人間には想像もつかないことである。吉雄さん、ビビらないのか?

「私はフランスだけでなくスペイン、イタリア、アメリカの大手提携先ともお付き合いをするわけですが、われわれは単なるインポーターではなく、ボルドーでワインをつくっている生産者でもあると、物おじせずに、自信を持って伝えると、リスペクトしてもらえるのを実感します。サントリーは日本でも100年以上前からワインをつくっていますが、ボルドーでグランクリュを持ってワインをつくるということは、ワインで世界的にトップの会社になる覚悟の表れだと思うのです。もちろん、緊張も気負いもありますけど、しっかりものをつくっていることを私自身が腹を据えて相手に伝えれば、対等に扱ってくれるし、海外には日本のものづくりをリスペクトしてくれている人が多いとも感じます」

ちなみに、海外での失敗談も聞きたいと思ったのだが、「海外での仕事は言葉の問題もあり緊張はしますが、それなりにこちらの言うべきことをちゃんとお伝えすればコミュニケーションは取れますし、行けば不思議と何とかなる感じです」との答えであった。

ワインの価格が決まる過程

ボルドーのワインは、独特の商習慣によって世界各国に販売されていく。4月にプリムールというイベントがあり、生産者とワイン・ジャーナリスト、ネゴシアンと呼ばれる輸出商社などが一堂に会して前年度にできた新しいワインを試飲し、評価していく。この評価にもとづいて、ボルドーのワインの価格は決められていくという。

2023年のプリムールがあった4月にサントリーの経営参画40周年を記念してシャトーラグランジュでパーティが開催されている。集まった関係者の総数は、260人。そのほとんどがフランス人であった。

今年シャトーラグランジュで開催されたパーティにて。
今年シャトーラグランジュで開催されたパーティにて。
今年シャトーラグランジュで開催されたパーティにて。
今年シャトーラグランジュで開催されたパーティにて。

ライトアップされた城館の前庭に仮設のテントが張られ、パリの三ツ星レストランから日本人シェフが招かれ、和食のように繊細極まりないフランス料理がふるまわれた。

吉雄さんは招待する側としてこのパーティに参加したわけだが、「名実ともに地元に受け入れられるシャトーになったのだという、晴れがましい気分だった」そうだ。

現地社長のスピーチ

そして、シャトーの社長であるマティウ・ボルドさんのスピーチが、吉雄さんの胸に響いたという。一部を引用してみよう。

私が10歳の頃――かなり昔のことですが――シャトーラグランジュが日本のオーナーに買収されたというニュースについて、家族と食卓で話し合ったことを覚えています。ボルドーにとって、それは本当に新しいことでした。
数十年後、サントリーがシャトーラグランジュを買収して40周年を迎え、皆さんと一緒にお祝いすることになるとは、当時の私は夢にも思っていませんでした。そして、ボルドーにいた誰もが、サントリーが今日もここにあるとは、一瞬たりとも思っていなかったことを認めなければなりません!

サントリーは質を高めることだけを求めてきた

吉雄さんが言う。

「彼はボルドー出身なのですが、サントリーのオーナーは生産量を多くするのではなく、とにかく質を高めてくれとしか言わなかったと。だからいま、ラグランジュの質は高くなったのだと、堂々と語ってくれたのです。それを聞いて、涙が出ましたね。日本人の繊細さ、サントリーのひたむきなものづくりの姿勢が10年、20年ではなく40年という長い年月をかけて、フランス人に信頼されるようになったことを実感しました。ボルドー400年の歴史の一員として、本腰を入れてワインをつくり、ラグランジュを確実に成長させていく。それがサントリーの役割であり、それを世界にPRしていくのが私のミッションです」

吉雄社長はエレガントな雰囲気をたたえた女性である。女性管理職として、男社会と闘っているというイメージはない。

ワインは、テロワール(土壌、気候、地形も含めた産地の特性)がつくり上げる農産物だと言われる。サントリーは40年の歳月をかけてラグランジュのテロワールを丁寧に磨き上げてきたのと同じように、やはり40年近い歳月をかけて、女性が働きやすい社風を築き上げてきたのかもしれない。それを、サントリーのテロワールと呼んでみたい誘惑にかられる。

吉雄さんは、後からぞくぞくと続いてくる女性社員たちに、どんな言葉を伝えたいだろう。

「ボルドーに、実際に行ってみると、ちょっとしたランチを食べる時でも生演奏をしてくれたりして、ワイン文化の奥行きの深さを感じます。若い世代には、ぜひ、こうした世界の文化を知ってほしいですね。日本にも素晴らしい文化、素晴らしいものづくりの力があるのだから、堂々と世界と渡り合ってほしいと思います」

こういう言葉に、「男前!」と声をかけるのは、筋違いというものだろうか。

山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』 (朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。

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