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ゼリーのような口あたりがよい人間は誰の記憶にも残らない…橋下徹「強烈な個性を出す方法」

  • 2023.6.2

周囲と差別化できる個性を出すにはどうすればよいのか。元大阪府知事の橋下徹さんは「『個性』とは『ざらつき感』。『ざらつき感』は『持論を語ること』で出すことができる」という――。

※本稿は、橋下徹『折れない心 人間関係に悩まない生き方』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

個性の正体は「ざらつき感」

世間と自分の「ズレ」を正しく認識した後に、それをどう自分の考えに落とし込み、発信していくか――「持論」の重要性についてお話ししたいと思います。

その前に、「個性」とは、結局何なのでしょうか。

僕は個性の正体とは、「ざらつき感」だと感じています。

橋下徹氏
元大阪市長・元大阪府知事 橋下徹氏(写真=CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)

「ざらつき」とは、「引っ掛かり」です。「違和感」です。「ウイルスのスパイク」のようなものと言ってもいいかもしれません。自分の試行錯誤が、本当に正解かどうかは分からない。もしかしたらチャレンジすぎるかもしれない。しかし、「自分はこれで行く!」という意思と根拠をしっかり持つことです。

その意思は棘とげのように、相手の心に突き刺さり、深い印象を残すこともあるでしょう。もしかしたら、その印象が強いために、不快感に近いものを与えるかもしれません。その結果、陰口を叩かれたり、炎上したりすることだってあるかもしれません。

それでも、ういろうのように、こんにゃくのように、ゼリーのように口あたりがよい人間より、ずっといい。つるりとスムーズな舌触りは、相手に不快感を与えない代わりに、どの人の印象にも引っかかりません。周囲と摩擦を起こさない「好ましい人物」扱いはされるでしょうが、誰の記憶にも強烈な爪痕つめあとを残さないのです。

「個性」を重視した石原慎太郎さん

僕は生前の石原慎太郎さんとお付き合いがありました。大阪府知事に就任した際、東京都知事だった石原さんにご挨拶に伺って以来、折に触れ、お話をする機会がありました。

石原さんは威厳ある方で、決して最初から親しみやすい雰囲気を醸し出されてはいません。そこに萎縮して思うように話せない人もいるでしょう。でも、こちらが堂々と自分なりの意思をもって話していると、人懐こい笑みで、包み込んでくださる方でした。

そんな石原さんは、相手を見るとき、そこに「個性」があるかどうかを一番重視されていました。眼光鋭く、押し出しの強いあのキャラクターで相手を睥睨へいげいし、しかし、それでもひるまず、自分の個性を保ち、自分の意見を持つ人を石原さんは評価したのです。

石原慎太郎氏(写真=PD US Military/Wikimedia Commons)

たとえ自分と意見を異にしていても、そこにその人なりの持論があれば、相手を評価する。「個性」とは「人と違うこと」「ざらつき」であることを、彼ほど知っていた人はいないでしょう。かつて異色の小説『太陽の季節』を世に送り出した稀代きたいの作家ですから。

だからこそ、オリジナルの個性も意見も持たず、ただただ自分におもねるだけの相手のことを、石原さんは決して評価はしませんでした。それは相手の機嫌を損ねないためだけの、見せかけのまろやかさであることを知っていたからです。

どこまでも自分色を薄めた無難な「個性」は、周囲と摩擦は生まないでしょうが、何も後に残りません。ナタデココやこんにゃくゼリー、タピオカといったつるりとした食べ物が、日本では周期的にはやりますが、肝心の自分の「個性」まで、つるりと喉ごしよくしてしまったら、周囲と差別化などできません。ブームが去れば、そこにいたことさえ忘れ去られてしまうのです。

「個性」の出し方

では、「個性」や「ざらつき感」はどうすれば出るようになるのか。

その答えは「持論を語ること」です。

むしろ、持論を語らなければ、個性やざらつき感が出せないどころか、この情報社会の中ではインターネットやグーグルのサービスなどに即座に負けてしまいます。

ある日、リビングで子どもたちを眺めていたら、とにかくずっとスマホを眺めているのです。何を見ているのかと思ったら、TikTokを眺めている。YouTubeとかTikTokとかInstagramとかは、もう無限に次から次へとコンテンツを自動再生してきますからね、無限ループ状態です。

「君ら、もう完全にスマホの奴隷状態やで。君らが見ている時間帯、すべて会社の収益になってんねんで。彼らの利益を上げるために、君らの時間全部奪われてんのや。もう奴隷やで」

思わず僕はそう言ってしまいましたが、どうも子どもたちはピンとこない様子です。古い世代のおっさんが何言っとんねんという感じです。

スマホ娯楽は本当に感心するほど、うまい具合にできています。ダンスとか歌とか、その人が興味ありそうなコンテンツを次から次へと繰り出してくる。当の本人もソファで寝っ転がりながら、アイスを食べながら見ているものだから、自分の自由意思で楽しんでいるように感じているのでしょう。その実、もう完全に奴隷の域です。時間も意思も思考も全部、デジタル娯楽に奪われている。頭をスマホに支配されているのです。

ベッドに横たわり、夜にスマートフォンを使用する女性
※写真はイメージです
スマホにかじりつくうんちく屋

ならばそんな若者を僕ら世代はバカにできるかと言うと、全然そんなことはありません。朝起きてから夜寝るまで、通勤時間も昼休憩も、エレベーターの待ち時間も、カフェでの休憩時間も、僕ら世代だってスマホにかじりついていて、網膜・脳内に流れているのは無限の“情報”です。ツイッターで話題になっている現象、ネットニュースを賑にぎわす今日のニュース、誰それの芸能人がどうしたというトピック……。

その結果、世の中にうんちく屋が増えました。誰もが何かしら世の中の事象に対して、一言二言、持論めいたものを言う時代になったのです。特に自分が興味を持って調べなくても、次から次へと情報のほうから勝手に飛び込んでくるのだから、当然と言えば当然の話です。誰かが言ったこと、リツイートされた意見、ネットニュースの見出しなど、どこかで聞きかじった知識を自分のものであると錯覚して、再出力していく。情報社会の現代ならではの現象です。

「ただ知っている」だけでは価値がない

そんな誰もが“情報屋”になれる時代、情報通や博識家の価値は低下します。もはや「ただ知っている」だけでは価値を生みません。情報通や博識家は、誰もが使えるグーグルと張り合っても勝負は見えています。その場でスマホ検索すれば正確な情報を得られる時代、クイズ王を目指すのでもない限り、無限の情報収集は意味をなさないことになります。

そんな“情報”に代わって、価値あるものとして浮上してきているのが「持論」です。

世の中で一般的に言われている言説とはちょっと違う、一歩引いた独自の視点から眺める世界観、未来予測、分析、提言です。

世論と自分の間にある「ズレ」を可視化させる「持論」は、「世間の人はAと言っている。でも本当にそうだろうか、むしろBの可能性や、Cの可能性だってあるのではないか」と新たな視点や発見を人々にもたらします。

“真実”と語られている出来事に対して、疑いの目を向け、世論に流されることなく、自分の頭で調べ、思考し、出力できる能力。そこに多くの人が発見や共感を見出すとき、あなたの「持論」は、強烈な価値を発揮していくのです。

情報を独自の視点で調理できるか

ひろゆきこと西村博之さんや、ホリエモンこと堀江貴文さん、成田悠輔さんなど、今の時代に強烈な個性を発する人々がいます。彼らと一般人を隔てているものは、独自の視点、考え方など、要するに確固たる「持論」を持っていることです。

はっきり言って、彼らとて得ている情報は、決して奇抜なものではありません。独自のスパイを持っているわけでもなし、特殊情報機関に勤めているわけでもない。彼らが得ている「情報」そのものは、皆さんもグーグルで得られるものばかりでしょう。

彼らの個性が光るのは、その誰もが得られる情報を、独自の視点で調理する能力を持っているからです。誰もがスーパーで買える食材を、特別の料理に変える能力。この食材が情報であり、料理が持論にあたるのです。同じ食材でも、普通の料理しか作ることができないか、それとも特別の料理を作ることができるか。ここが勝負の分かれ目です。

ひろゆきの1%の努力は常人の200%くらい

余談ですが、ひろゆきさんは著書『1%の努力』(ダイヤモンド社)を出版されていますが、あの本を見た時、見事なタイトルだなぁと感心しました。同時に、彼にとっての1%は、おそらく凡人にとっての200%くらいではないかと(笑)。彼はああいう人ですから、「自分はものすごい努力をしてきた」という雰囲気はまといません。実際、いわゆるガリ勉的に、勉強机にしがみついてきたわけでもないでしょう。

しかし、彼の「1%」を鵜呑うのみにしたら、凡人はまず浮かばれません。彼ほどの「持論」を持ち、膨大な情報を独自の視点で収集・分析できる能力を持っている人はそうはいません。彼を真似したいならば、まずその背景に、持論を磨くために常人には到底真似できないような膨大な努力があることも、しっかり理解しておくべきでしょう。既に名を馳はせている料理人の1%と、凡人の1%は違うのです。

得た情報をどう組み合わせるのか

話が脱線しましたが、彼のような強烈な「持論」を繰り出す論客は、自分の「持論」を導き出すための検索ワードをしっかり持っています。「持論」なしの検索は、箸にも棒にもかからない無難な情報しか引き出せない。

橋下徹『折れない心 人間関係に悩まない生き方』(PHP新書)
橋下徹『折れない心 人間関係に悩まない生き方』(PHP新書)

そして、彼らがもっとも重視しているのは、「情報収集」そのものではなく、むしろその後のこと。「得た情報をどう組み合わせて、新しい価値に変えていくか」「オリジナルの持論として吐き出すか」という情報組み立て能力のほうなのです。

普通の人ならスルーしてしまうような情報も、彼らの情報センサーには、何かしらの「ざらつき」として引っ掛かります。そしてその「ざらつき」「違和感」をいくつも脳内に蓄えておくと、あるとき化学反応のようにそれらが結びつく瞬間がきます。「ざらつき」が「ひらめき」に代わる瞬間です。

「個性」とは「ざらつき」「ウイルスのスパイク」のようなものと述べましたが、ざらつきのある個性ある人には、情報そのものも、個性あるかたちで引っ掛かかってくる。そしてその情報が個性ある持論に発展する。

何事にもざらつきが重要なのです。

橋下 徹(はしもと・とおる)
元大阪市長・元大阪府知事
1969年生まれ。大阪府立北野高校、早稲田大学政治経済学部卒業。弁護士。2008年から大阪府知事、大阪市長として府市政の改革に尽力。15年12月、政界引退。北野高校時代はラグビー部に所属し、3年生のとき全国大会(花園)に出場。『実行力』『異端のすすめ』『交渉力』『大阪都構想&万博の表とウラ全部話そう』など著書多数。最新の著作は『折れない心 人間関係に悩まない生き方』(PHP新書)。

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