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なぜ”8500人のまち”に全国から人々が集まるのか。町民に話を聞いてみた【前編】北海道・東川町

  • 2023.6.2

HBC旭川放送局のパーソナリティー・伊藤 綾です。道北・オホーツク・北空知・富良野エリアの旬な情報を発信しているラジオ「ろ~かるナビです北・東!」の取材をもとに、選りすぐりの情報をお届けします。

町民からみた「東川町」というまち

北海道の真ん中・大雪山連峰「旭岳」の麓に広がるまち、東川町。全国からの移住者も多く、人口が増え続けているまちとして、注目を集めています。

実際にまちで暮らす人たちは、東川町のどんなところを魅力に感じているのでしょうか。東川町在住で、まちの魅力の発信活動に携わる人物お二人をゲストに迎え、前編・後編に分けてお伝えします。

前編となる今回のゲストは、東川町役場「東川スタイル課」勤務を経て、ことし4月にフリーの編集者として独立した 畠田 大詩(はただ だいし)さんです。(後編:初瀬川晃さんインタビュー)

Sitakke
畠田 大詩さん (photo by Eri Shimizu)

―畠田さんは2023年3月まで、役場の「東川スタイル課」で勤務されていたんですよね。まず、気になったのは、その一風変わったネーミング!「東川スタイル課」というのは、どんな部署ですか?

ふるさと納税関連や企業連携など、町内外の企業や団体さんとの連携がメインの業務となる部署です。課の名前は、“東川町らしさ”を探求する「東川スタイル」という本が2016年に出まして、そこから引用したのがきっかけです。
(※2023年4月30日に「東川スタイル課」は廃止、5月1日より「経済振興課」に機能を移管)

―(「東川スタイル」の書籍については、後編でたっぷりとお話をうかがえればと思っています!)東川町といえば、いまや全国的に注目されているまちですよね。移住者が増えているだけではなく、移住した方々がすごく輝いているのも印象的です。各々が楽しめる仕事をみつけて生活できるまち、というイメージがあります。

町民の50%以上が移住者で、人口もこの25年ほどで増え続けているということもあり、そういった観点からみると、かなり特殊なまちともいえるかもしれませんね。

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畠田さんが中心になって企画しているという「よそもの会」。町の地域おこし協力隊、地域活性化に取り組む人、起業をした人など様々なバックグラウンドの人たちが定期的に大集合するそう。

―全国的にも珍しいと思います。人が集まる理由はどんなところにあると思いますか?

「理由はこれ!」というものがあるわけではなくて、様々な理由が重なり合っていると思います。まずアクセスが良いところですかね。空港も近いため、東京からも2時間ちょっとで来ることができます。また、北海道で2番目に大きい旭川市の隣町ですので、少し足を延ばすだけで都会のよさも楽しめます。国立公園があり、自然環境がとても豊かな環境というのも魅力です!

また、1985年から「写真のまち」としてのまちづくりを、まち全体で取り組み続けてきたことは重要なポイントだと思います。写真のまちの取り組みが、まちの文化や風土、対外的な情報発信に長い時間をかけて繋がって、人口増加に対して少しずつ実を結んでいるんじゃないかなと思います。

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1985年の「写真の町 宣言」のようす(提供:東川町)
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全国の高校写真部選抜校が集う、写真甲子園(全国高等学校写真選手権大会)(提供:東川町)

―実は畠田さんも東川町出身者ではないんですよね。

はい。関西出身で、大学を卒業してから東京で勤めて、そのあと縁があって東川町に移住してきました。

―畠田さんのように、一度、東川町に縁ができると、そのまま住み続ける人が多い印象です。なぜだと思いますか?

環境が良くて、自然に触れることを求めてここにいる人はすごく多いです。でも、それだけじゃなくて、東川町というまちが未来へと前進している「空気感」などを住んでいると感じ取ることができる。そういう「まちの雰囲気」が、移住者にも影響していると思います。

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まち中心部の風景。田んぼが広がり、奥には北海道最高峰の旭岳がみえる(提供:東川町)

行政職員も元気で、いろんな新しいことを積極的に前に推し進めているということが、まちの空気をすごく軽やかにしているなという印象を受けます。もちろん行政だけではなく、民間の事業者さん、飲食店さんも、それぞれが取り組んでいるに誇りを持たれていて、このまちを良くしていきたい、守っていきたいと思っている人がとても多いと感じています。

たとえば、外食中にどこからともなく、「まち」について語り合う声が聞こえてくるんです。東川町がどういうふうになれば、さらに良いまちになっていくのかなどについて、町民たちが自然と語り合っている景色は珍しくなくて。

こういった場面に出くわすたびに、すごい町だなって思いますね。まちへの愛を持っている人が多いんだなっていうのは、日常的に感じます。そういう人たちのコミュニティもあり、すごく楽しいですし。

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畠田さんがまちのカメラマンと一緒に企画し実施したという「大雪山フォトスライドトーク」。

―東川町の今後について、畠田さんが描いているイメージなどがあれば、最後に聞かせて頂きたいです。

東川町役場の人たちは、意識的に「外」の力を借りることに積極的に取り組んでいるなと思っています。そのひとつの理由が、「写真のまち」としてのまちづくりを40年近く取り組んできたことが大きいんじゃないかな。まちの内側だけではなく、外の人たちとも関係性を続ける仕組みを培ってきたからこそと感じますね。どうやって「外」の人とつながり続けるかとか、良い関係を構築し続けるかということを、積極的にやってきたまちなんじゃないかなと感じています。

20年続けた町長がこの3月のタイミングで変わるということも含めて、次のフェーズに移っていく空気感みたいなものを僕は感じていて、そんなタイミングに、このまちに自分自身が関われていることがすごくありがたいことだなって思っています。まちがさらに良くなっていくようなお手伝いができればいいなと思っています。

4月からは独立をして、フリーの編集者として活動をはじめました。編集者といっても、企画を立てたり、写真を撮ったりと、今はまちの万事屋的に幅広く活動しています。これから、「写真のまち」の一員として、公共ではなく民間側から新しい企画を動かしていこうと画策中です。周辺地域のひとたちとももっと繋がりたい。

それと、「編集者」は、カメラマンやデザイナーのように形にはならない仕事も多く、地方ではまだまだ「編集」という仕事の価値を感じてもらいづらい。けれど編集者は、「何もできない何でもできる人である」と思っているので、東川町をベースに編集の力を使いながら、このまちやこのエリアをより豊かな場所にしてしいければいいなと思っています。

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5月の田植えの時期。まち一面が鏡のような景色に。(提供:東川町)

後編の記事では、「東川スタイル課」の名前の由来になったという書籍「東川スタイル」を手掛けた人物に、東川町の魅力についてお話をうかがいます。

***
取材:伊藤 綾(HBC旭川放送局・パーソナリティー)
文・Edit:ナベ子(Sitakke編集部)

※2023年3月にHBCラジオでOAした内容をもとに、5月時点の情報を追記しています。

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