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専業主婦になりたかった私が年間売上50億の実業家になるまで(後編)│住谷杏奈

  • 2023.5.31

実業家・住谷杏奈さんの生き方から学ぶ、不確かな時代をサバイブするためのヒントを紹介する連載。
「人はいつでも死んで生まれ変われる」と語る住谷さん。
人生をリセットし、新たなスタートをどう切るのか。自分自身の市場価値を高め、成功を勝ち取るための秘訣を紐解いていきます。

―― 芸能界を引退し、レイザーラモンHGさんとの結婚を機に専業主婦となった住谷さん。夫のケガにより収入減となり、プロデュース業をはじめることに。ブログでの自己プロデュース力を武器に、好スタートを切った。
>>>専業主婦になりたかった私が年間売上50億の実業家になるまで(前編)

”芸人の嫁”枠はイヤだった

私にとってブログは自分の価値を高める武器でした(それは、あとから気づいたのですが)。「芸能界を引退したのに、有名になりたかったのか?」ときかれると答えに困りますが、簡単に言うと私の場合、タレントとして有名になりたいという気持ちは一切なく、自分に力をつけるための手段のひとつが、メディアに出ることだった気がします。ブログが人気になってからは、雑誌やイベントなどのお仕事のオファーをたくさんいただくようになりました。
あと、”芸人の嫁”枠で”芸人の嫁”大集合ー!みたいな企画の、テレビ番組のオファーもありましたね。 でも、当時はそのカテゴリーでテレビに出ることに抵抗があったので(笑)、あまりお受けしていませんでした。当時芸能事務所に所属していない分、ブランディングも自分でできるし、プラスな仕事、マイナスな仕事を俯瞰で見て自分で決めていました。 事務所に所属していたら生意気と捉えられる行為ですが、自分の商品価値、ブランディングは自分しかできないと、この頃から気づいていきました。

専業主婦の生活には満足していたけど、夫のケガで私がお金を稼がないといけなくなった。子どもが1歳なので定時の仕事は難しく、要領よく働かなくてはいけない、いろいろ試行錯誤してたどり着いたのが、ブログという自分のコンテンツでのビジネス。
それがどんな理由であれ、最初の実績になったことに変わりありません。初めて世間に評価されたことがうれしかったですね。
その頃から、次第にゲストとしてテレビや雑誌に呼んでもらうことが増えました。鳴かず飛ばずの売れないZ級のグラビアアイドルだった私が、 いつも見ていたテレビ番組に当時よく拝見していた有名タレントと並んで画面に写っているのですから、あの頃の私に教えてあげたら驚いてひっくり返ると思います(笑)。

そこで、初めて「自分で自分の価値を高めることができるんだ」ということを知るのです。アイドル時代はもちろん若手で新人だったので、事務所の人たちに嫌われないように、やりたくない仕事でもありがとうございます!って嫌な顔ひとつせず受けてきました(語弊があるといけないけど、別にそれは悪いことじゃないのもわかってる。その当時は、そうあるべきだった)。 なんの疑いもなく大人達の言うことに従ってきたけれど、結果自分の実力不足でなんにもうまくいかなかった。誰かに言われるがままに仕事をするのではなく、自分自身が自分自身をプロデュースする大切さに気づきました。自己ブランディングができるかできないかでは雲泥の差になる事を知りました。これをきっかけに、世界がおもしろいように広がっていくことになります。

一緒に商品を作りませんか?と、次々とオファーがくるようになっても、ハイ、ハイと気軽に受けていたわけではありません。
自信が持てたこともありますが、自分を安売りしないというか、自分の価値をより高めるためにはどうしたらいいかを常に考えながら仕事を選んでいました。生意気なヤツと思われるかもしれないけれど、自分の要求はしっかりと伝えるようにしていました。
その仕事が後にどう繋がるか、その仕事をして自分の価値がどう高まるかを俯瞰で見て考え、どんな並びで自分が出るのか、損する出方ではないかを常に考えていました。それを踏まえて交渉したり、普通はマネージャーさんがやるような事を私は自分でやったりしていました。誰かに期待して動いてもらうよりも、自分の感覚で素早く動くのが私にはあっていたからです。

よくタレントさんが、「マネージャーが何もしてくれない」と愚痴を言っているのを聞きますが、だったら全部自分でやればいいじゃん!って思ってしまいます。全ては自責の念、誰かに期待するのではなく自分自身に期待して動きたいものです。

どんなにいいものものでも消費期限は短い

石鹸を作ったことで、他人が作ったものを宣伝するより、自分でこだわったものを売りたいという気持ちが強くなっていきました。
これまで、子ども服、マタニティーグッズ、補正下着、 ママカフェ、アパレル商品、健康食品、美容商品、ヘアケア商品など、あらゆるジャンルの商品をプロデュースしてきました。爆発的に売れたものもあれば、全く売れなかったものも(笑)。自分が好きで、興味があるジャンルというのはもちろんですが、世の中にこんなものがあればいいなという知恵袋的な新しいものをイチから作り出そうとやってきましたが、これまでになかった革新的なものって、意外と売れなかったのです。世の中の8割くらいの人が認知しているものを、さらに新しい要素を入れてアレンジしたほうが売れるんだってことに、やっていくうちに気づきました。

2012年に、私的には絶対に売れるだろうと自信があったフルーツ味の青汁を作ったんですけど、まったく売れなくて(笑)。 数年後に、フルーツ味の青汁がいろんな会社から発売されて、すごくブームになって。内容は当時私が作ったものとあまり変わらないんですよ。それって発売するタイミングや時期、時代の流れとかが上手くマッチして、売れるか、売れないかも違ってしまうんだなと勉強になりました。
2013年に発売したデリケートゾーン専用のソープは、かなり売れた方ですが、今の時代に出していたらもっともっと何倍も売れていたなという感覚もあったりします。さまざまな経験から生まれる失敗や後悔は、私自身をバージョンアップさせてくれる貴重なもの。たくさんの失敗を脳に覚えさせ、次からはその選択をしないように心がける。それは人から聞いた話では意味はなく、自分が経験してこそ身につく能力だと知りました。


ブロガーではない。自己紹介できる何かがほしかった

石鹸を作ってからさまざまなプロデュース商品を出してきたけれど、「何をしてるの?」ときかれても、「これをやっています!」と自信を持って言えるものがなく。当時は、ブロガーっていうのもなんか副業っぽい気がして恥ずかしくて……。実態がある何かがほしくて、リアル店舗を持ちたいと考えだし、ブログで稼いで貯めていたお金1億円を全額投入して、代官山に焼きたてピザが食べられるママカフェをオープンしたのです。私自身まだ子どもが小さかったので、 子どもをキッズスペースで遊ばせられるママカフェはとても貴重な場所でした。郊外にはいくつかありましたが都心にはなくて、オシャレなママカフェを作りたかったんです。オープンして話題になりメディアにもよくとりあげていただき、連日行列ができていましたが、キッズスペースを作ると席数が少なくなり、回転率も悪く利益を出すのが難しくて。代官山だから家賃も当然高く、大赤字を出してちょうど2年で閉店しました。
「自分で稼いだお金で好きなことをやる」というのが、私の持論というか信念なので、後悔はしていません。生きたお金の使い方ができたし、失敗したことで学べることがあったし、損失額は人生の授業料だと思っています。一番ダメなのが、失敗したときに誰かのせい、まわりの環境のせいにすること。自分の行動で何が足りなかったのか、何がいけなかったのかを追究していかなければ、次も失敗します。

失敗をしながら得た知識、処世術を使い、これまでのプロデュース業の集大成とも言えるものが、ヘアケア商品『クレムドアン』です。2018年からはじめ、シリーズ累計400万個を突破。これは5年も続いていますね。”集大成”と言ったけれど、プロデュースする上で大切にしていること、私のやり方について、少しだけお伝えしたいと思います。 

やりたいことがあったら待っているだけでは絶対ダメ。人生って、待つことが多くないですか? 電車を待つとか、お店が開くのを待つとか、給料日を待つとか。 私は待つのが嫌いで、時間の無駄だと思ってしまう。だから待たずに自分から動ける人になることを目標としてきました。芸能界から距離を置いたのもこれが理由のひとつです。私は、芸能人は凄くキラキラしていて華やかで人に夢を与えられる素晴らしい職業だと思っていました。だけど、これも「待つ職業」なんですよね。オファーが来ないと仕事ができない。仕事がしたくても待たないといけない。ものすごい売れっ子なら話は別ですが、それも何十年もひっきりなしにオファーが続く芸能人なんて宝くじに当たるより少ないのではないでしょうか。待たなくても仕事ができる環境に自分を置くことはすごく大事な事だと知りました。
そうなるために、まず必要なのは実績。私の場合、最初はブログでの商品の売れ行きが 企業や代理店の方の中で話題となり、 その次はプロデュースしたオリジナル商品はいつも売れている、売れるものを作る人という 噂が美容業界や通販業界で広がっていきました。 そうなると、私がその場にいなくても「それなら住谷杏奈さんにオファーをしてみようか」と、いろいろな場面で名前があがるようになる。そういう実績の積み重ねを自分でまず行動してやってみる。どんなことでもいいのです。自分が得意とするものにチャレンジしてみる。たくさんあればあるほどいいです。

仕事がないときは、オファーがあるだけでありがたいものだけれど、そこで私なんかに仕事をくれて……とヘコヘコする必要はないと思っています。
一緒に仕事をするのであれば、対等な関係でなくてはなりません。私と仕事をしてよかったと心から思ってもらえなければ意味がありません。相手にそう思ってもらえるように自分の役割を全うして死ぬ気で取り組んで、売上も今まで以上の結果を作らないといけません。 誰かと組む場合、お互いにWin-Winの関係にならないと意味がないですから。
私は自分のプロデュース商品を作るとき、必ずその大元の会社の社長と話をする機会を設けてもらっています。1回きちんと話せば、仕事に対する考え方や責任感の強さがわかります。嘘をつかない人なのか、誤魔化したりしない人なのか、生意気かもしれないですが、物事を進めるとき、後からトラブルになるのが一番無駄なこと。時間もお金も労力も損することもあるので、進める前から私はコミュニケーションをとるようにしています。
もちろんそれでお断りした会社さんもたくさんあります。でも、その方たちと一緒にブランドをすることはできませんでしたが、同じ経営者として意見交換したりご飯に行ったり、今でも仲良くさせてもらっています。

そして、よく驚かれるのが、ものすごい経歴の経営者の方でも、私のことを「杏奈ちゃん」と呼ぶ方は1人もいません。みんな年上の方なのに、「住谷さん」や「杏奈さん」と呼んでいただいています。 仕事ができる方はどんなに仲が良くてもなぁなぁにならず、ビジネスパートナーとして敬意を払って接してくれることに常に感謝しています。
馴れ馴れしく「杏奈ちゃん」と呼ぶ方がいたら、わたしはサッと全員分のお会計を済ませ、帰ってしまうかもしれません(笑)。
何を伝えたいかというと、何か自分で事業を始めたい女性の方は、絶対に女を使わないこと。安くならないこと。仕事をいただいているという気持ちを捨てること。相手の会社に、自分が確実に利益をもたらすんだから対等な立場でいるんだ!という強い気持ちを持ってください。

憧れの人を作らない。成功者のマネだけをしない。

もし死ぬ気で成功したいなら、憧れの人を作らないこと。
その人の真似をするだけではその人を越えられません。
自分にしかできない何かを人生の中でどれだけ早く見つけることができるかが肝になってきます。

例えば、私を成功者と思ってくださっている方がいたとして、「杏奈さんみたいになりたい」という気持ちは無駄です。同じようにはなれないと断言できます。それは私に限らずです。
憧れの人がいても、その人にはなれない。その人を越えられなくなる。それに、その人に「どうすれば●●さんみたいになれますか?」ときいても、サクセスストーリーは教えてくれても、自分が成功した有益な情報、例えば取引先や工場、業者の担当者など、売上の肝になる成功の秘訣を誰でも彼でもまるっとそっくりそのまんまホイホイ教えてくれる方はいないと思います。つまり、憧れの人の表の側だけ知ったような気になっても何にもならないのです。それなら、自分にしかできないことを素早くみつけ、自分の取り柄を知り、結果を出し、実績を残し、唯一無二の人間になることの方が成功者になる近道だと思います。
中には、成功したいがために高いお金を払って情報商材を買うような人がいますが、そういう人に限ってうまくいかなかったら高いお金を払ったのに!と人のせいにして愚痴を言いがち。「●●すれば成功する」っていう鉄板の法則はないし、それはその人が得た経験のひとつであって、誰にでも当てはまるものではありません。安易にマネしても憧れの人になれないし、ましてや超えることはできない。誰かに依存せず、自分らしいやり方、自分の価値を高めていかないと、その先には行けないと思います。
だから、私には憧れの人はいないんです。逆に反面教師の存在はたくさんいます(笑)。ああならないように私は初心を忘れずに常に努力し続けようって。

ピザ屋で失敗をして、もう店補は持たないと決めていましたが、自分が毎月通えるビューティサロンやヘアサロンがあったらいいなと思って、2018年に『annfism』、2019年に『東京美髪研究所』をオープンしました。これまで1~2年でやめるスタンスできましたけど、ここは違うやり方をしてみてもいいのかなと思い、お金がたまったら新店舗をどんどん 出店するようにしています。今では都内に5店舗、全て直営店で拡大しています。何事も経験。これはこう!と決めつけず、ひとつのやり方しかしないより、たくさんの手法を試す方が世界は広がります。例え失敗しても、いつか成功するかもしれないから!

人生はRPG。リセットボタンを押せばイチからやり直せるから、楽しんだもの勝ち。うまくいかなくても、くよくよせずに次へ進んでいいんです!

PROFILE
住谷杏奈(すみたに・あんな)
【写真】

1983年2月1日生まれ。2006年にお笑いタレント・レイザーラモンHGさんと結婚し、2008年に男児、2011年に女児を出産。夫のケガを機に商品開発をはじめ、実業家としての才能も開花。美容の知識を活かしたプロデュース商品で次々とヒットを生み出す。現在は、実業家、タレントとして活動。

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