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【京都ツウ】NHK「らんまん」牧野富太郎に影響しシーボルト絶賛☆植物誌の父『小野蘭山』

  • 2023.6.1

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は左京区にある市民憩いの場、京都府立植物園内にある、京都が生んだ偉人を知る顕頌碑。

シーボルトに「日本のリンネ」と称賛された京都出身の偉人

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左京区、地下鉄北山駅直結施設であり、市民憩いのスポット『京都府立植物園』。四季折々の草花や木を鑑賞することができる場所。そして最近ではNHK朝ドラ『らんまん』効果で、日本の植物研究の歴史や植物誌に感心を持つ人も増え、注目されるスポットでもあり。

京都府立植物園は日本で最初の公立植物園として、1924年(大正13年)に開園。賀茂川沿い東側の北大路通と北山通の間に、総面積24万平方メートルの敷地を有し、約12,000種類の美しい花・木を四季折々観賞できます。さらに、観覧温室は日本最大級で約4,500種類、見頃を迎えるバラ園には300種類以上を展示。

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そんな園内にある広大な大芝生地。

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その周囲にはすでに見頃の品種に加え、これから咲く花ショウブ園も。カメラで接写される方も多く見かけました。

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その周辺に、何やら立派な石碑。

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石碑には旧表記スタイル、右から左読みで『小野蘭山顕頌碑』と書かれてます。顕頌碑とは知る人ぞ知る善行や功績などを広報するための碑という意味。本文の内容をもとに、さらに深堀すると、以下のとおりになります。

小野蘭山(おのらんざん享保14年(1729年)~文化7年(1810年))は江戸時代に活躍した本草学者。本草学とは、もともと中国で発達した薬物学のことで植物の薬効、つまり現在知られている和漢薬などの源流となる学問で、江戸時代に発達しました。かつて植物は薬用としての利用価値を研究し栽培されることがほとんどで、鑑賞用としての歴史はその後ということになります。

蘭山の本姓は佐伯、名は職博(もとひろ)で、京都桜木町(上京区)で佐伯職茂(主殿大允、従四位伊勢守)の次男として生まれる。

13歳から父の師であった松岡恕庵に本草学を学び始めるも、もともと本草学は中国から伝わった李時珍の著書『本草綱目』を元に作られたもので、日本固有の動植物、鉱物などに適していませんでした。そのため、蘭山自ら山や森に分け入り日本の本草学を構築し、日本の風土や植生に合致し実用性ある学問へと変遷させました。

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25歳で京都丸太町に私塾・衆芳軒を開塾し。蘭山の研究した本草学が広く知られるようになり、日本中から多くの門人が1000人以上集ったと伝わっています。

蘭山71歳の時、幕府の命により江戸の医学館に医官として従事。75歳でまとめた著書『本草綱目啓蒙』は日本最大の本草学書となり、のちにこれを入手したシーボルトは、蘭山を「日本のリンネ」と称賛しました。

蘭山の門人には、標本の分類をシーボルトに賞賛された水谷豊文、『泰西本草名疏』著者の伊藤圭介、江戸時代最大の植物図鑑『本草図譜』著者の岩崎灌園、リンネの分類法でまとめられた植物図譜『草木図説』著者の飯沼慾斎、西洋の植物学の解剖図や用語を紹介した『植学啓原』著者の宇田川榕菴など、本草学に西洋植物学の考え方を取り入れる流れができました。その後、現在放映中のNHK朝ドラ「らんまん」主人公、植物学者・牧野富太郎へと継承。

その源流がここ京都にあったことを知る石碑ですね。

詳細情報

名称:小野蘭山顕頌碑
場所:京都市左京区下鴨半木町(京都府立植物園内)
電話:電話:075‐701‐0141
開園時間:9:00~17:00
休園日:月曜日
公式サイト:https://www.pref.kyoto.jp/plant/index.html

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