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本と人をめぐる物語、最新版が出た。

  • 2023.5.20

会員制の月刊誌「選択」に23年以上にわたって連載され、好評を博してきた「本に遭う」と題した名物コラムがある。その2016年から2022年分をまとめた最新版が本書『読んだ、知った、考えた 2016~2022』(弦書房)である。

2000年から05年までは『酒と本があれば、人生何とかやっていける』(言視舎)に、06年から10年までは『夜ごと、言葉に灯がともる』(彩流社)として、11年から15年までは『持つべき友はみな、本の中で出会った』(言視舎)に収められている。

著者の河谷史夫さんは1970年、朝日新聞社に入社し、社会部、社会部デスクを経て企画報道室編集委員、論説委員などを歴任。2010年、定年退社。書評委員を7年間務め、夕刊1面コラム「素粒子」を5年間書いた。

書評をまとめて本にしたものは世の中にあることはあるが、存外つまらないものが多い。時間が経つと古びたり、雑多な構成が気になったりと、よほどの書き手でないと持たないのである。

元になったコラムは、本を題材に書いているのだが、いわゆる「書評」とは一線を画している。その方法論を以下のように記している。

「主題を定めると本を探す。記憶の底から呼び戻すものもあれば、新たに求めたり図書館で検索したりして見つけるものもある。それから読む。考える。どう書くか。どろどろした想念が固まってきて、書き出しが浮かんだら机に向かう。書き上げるのに一週間をかける。四日かけて一応作り、あとの三日は読み直して直しをする」

だから、最新のニュースを扱いながら、触れている本はずいぶんと前のものであることも珍しくない。

テーマ別に「人の章」「人生の章」「政治の章」「戦争の章」「新聞・ジャーナリズムの章」「コロナの章」と6つの章に分けて構成されている。しかし、何を書いても、著者独特の視点と鋭い文章に唸らされる。

著者は「自分勝手流であれこれ読みかじり、聞きかじったに過ぎない。何の体系性もない」としながら、2人の先人を知ったことにより、「人生は真面目に生きるに値するという確信を得た」と書いている。

中江丑吉とむのたけじの影響

1人は中江兆民の子に生まれながら、社会活動をせず、中国古代政治思想の研究をした中江丑吉だ。『中江丑吉書簡集』を読み、満州事変を「世界戦争の前兆」と言い、盧溝橋に始まった日中戦争を「世界戦争の序曲」と称したことに驚いたという。対米開戦と敗戦を早くから予言していたのだ。

まやかし、へつらい、うそを嫌い、けれん、はったり、見栄を軽蔑したという。歴史を作っていくのは無名の大衆だという考えの持ち主だったという。

そして、もう1人が、むのたけじだ。日本の敗戦当日に、朝日新聞社を退社し、故郷の秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。78年に休刊後は、講演と著作で苛烈な時代批判を続けた。2016年8月21日、死去。101歳だった。

「たいまつの火消える」と題して書いている。河谷さんは学生時代に、むのの『たいまつ十六年』(企画通信社)を読み、「こんな人がいたのか」と驚いたという。むのは戦争に協力する記事を書いた責任を取って、新聞社を辞めたのだった。

むのの退社の経緯と「たいまつ」のことは比較的知られているが、本書を読み、意外な事実を知った。むのを師と仰ぎ、心酔していたノンフィクション作家黒岩比佐子に対し、むのは晩年「辞めるべきではなかった」と漏らしていたというのだ。

「辞めずに朝日新聞社に残って、本当の戦争はこうでした、ということを正直に検証する記事を書き続けるべきでした」と言ったという。それを聞いた黒岩も2010年に52歳で逝った。

こういう2人に触発され、社会部記者を長年続けてきた人だから、権力批判にも腰が据わっている。

感心するのは、主題と選書の妙だ。ロシアのウクライナ侵攻で、東部のマリウポリが落ちた22年6月には、「独裁者は殺戮を好む」と題して書いている。しかし、大半は織田信長のこと。取り上げた本は、『信長』(秋山駿著、新潮社、1996年)と、『ふるさとへ廻る六部は』(藤沢周平著、新潮文庫、1995年)。藤沢の信長嫌いから、プーチン批判を展開している。

「ハエを叩き潰せとばかりにウクライナで殺戮を続けるプーチンは、ユダヤ人絶滅を図ったヒトラーと同断だ。ロシアは、とんでもない十字架を背負って今世紀を行く羽目になった」

2020年4月の「メインテーマはコロナ」では、アンソニー・ホロヴィッツの推理小説『メインテーマは殺人』(山田蘭訳、東京創元社、2019年)を取り上げ、コロナ対策に後手を踏む安倍晋三政権の体たらくを批判している。

「拙速で強引、説明不足のうえ独断的、さらにお友達優遇、依怙贔屓、すぐカッとなったり野次を飛ばしたりという子供っぽさ、すべてはこれこの政権の『第一章』からおなじみの景色ではないか」

批判の対象は古巣の朝日新聞にも向いている。20年1月11日の「首相動静」に朝日新聞の編集委員らが日本料理店で安倍首相(当時)と会食したことが出ていた。それを知った読者が「声」欄で、「なぜ、首相との会食が必要なのか。費用の負担はどうなっているのか。そして、どんな話をしたのか。読者として知りたい」と求めた。しかし、編集委員は投書子の投稿を黙殺した。「政治記者は御伽衆か」と皮肉っている。

今がどんな時代なのか。過去に学び近未来を予測するヒントが満ちている。

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