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内田慈さん「役を通じて、私自身の喪失と向き合った」 主演映画『あの子の夢を水に流して』で息子を亡くした母親役

  • 2023.5.20

映画『あの子の夢を水に流して』が5月20日から渋谷ユーロスペースほか全国で順次公開されます。熊本県を中心に甚大な被害をもたらした令和2年7月豪雨を受けて、企画された本作。生後間もない息子を亡くした女性・瑞波を演じたのは、映画やドラマをはじめ、幅広い分野で活動する俳優・内田慈さんです。熊本県八代市での撮影の様子や、演じた心境を伺いました。

親友を失い「今だからこの作品と向き合いたい」

――豪雨災害の傷跡が残る球磨川を舞台に、生と死に向き合う人たちの姿が描かれる映画です。オファーを受けて、率直にどのように感じられましたか。

内田慈さん(以下、内田): 人生の中で「今しかできない」作品に呼んでいただいた、と思いました。遠山昇司監督の作品は、言葉ですべてが説明されるわけではないのに、映像からまっすぐ思いが伝わってきます。そんな作品の温度感に、以前から惹かれていました。「絶対にやりたいです」とお返事しました。

――なぜ「今しかできない」と思われたのでしょうか。

内田: この映画のお話をいただいたとき、私自身が大きな喪失と向き合っていました。2021年4月に、高校時代からの親友が病気で亡くなったのです。定期的に会っていたはずなのに、亡くなった直後は彼女の死についてまるで実感がありませんでした。時間が経つにつれて、少しずつ、「もういないんだ」と感じるようになっていきました。

朝日新聞telling,(テリング)

映画で私が演じる瑞波は、幼い息子を亡くした母親です。私には子どもはいませんが、親友を失った経験から、大切な人を亡くしたときの喪失感や、その気持ちといかに向き合い、自分を再生していくのかは、すべての人に共通するテーマだと思いました。喪失から完全に立ち直ることができない今の私だからこそ「演じなさい」と言われているような気がしました。

撮影が始まったのは2021年の秋でしたが、夏ごろに、一日中ソファーから起き上がれないような日を2日間過ごしたんです。コロナ下でもあり、自分の未来を案じることも多くなっていたからか、ずっしりと不安に覆われて動けなくなってしまったのでしょう。この映画の撮影で、瑞波を通じて、失ったことにしっかりと向き合えたら、私自身も前を向いて生きていけるかもしれない。そんな運命的な重なりを感じながら、クランクイン前には監督から勧められた哲学書や詩集、小説や絵画などに夢中で触れました。実際に撮影が始まってからは、余計な力を入れず、ありのまま、漂うように作品の中に存在できるようにと心がけました。

朝日新聞telling,(テリング)

一年経っても氾濫の跡が残る球磨川で撮影

――2020年7月の豪雨で大きな被害を受けた、熊本県八代市で撮影が行われました。撮影時には一年以上経っていたはずですが、映画に出てくる球磨川はまだ氾濫(はんらん)の跡が生々しく残っていましたね。

内田: そうなんです。ロケの合間には、近所に住む方から「あの日はここまで水がきたんだよ」「ここに橋があったんだけど、流されてしまった」などとお話を伺いました。

しかしながら、目の前を流れる球磨川は、とても美しかったのです。川幅が広いので、一方向に流れていくだけではなくて、逆方向に流れているように見えたり、風が吹くのに合わせて水面がざわめいたり、太陽の当たり方によって一部分だけキラキラと輝いたりと、いろんな景色を見せてくれます。こんなにも穏やかな川が、恐ろしい顔を見せた瞬間があったのだなと思いながら、川沿いを歩いていました。

朝日新聞telling,(テリング)

別れの瞬間は穏やかな時間の中で

――つらい境遇におかれながらも、瑞波の見せる表情はけっして悲しいというだけではありませんでしたね。川沿いを歩くシーンでは、時に少女のような無垢(むく)さを感じる瞬間もありました。

内田: 球磨川の水が穏やかに流れていく様子、その場の空気や風を体で感じながら撮影をしていたら「ほんとうの別れを迎えるとき、人は意外と、穏やかな気持ちで、大切な人との最後の時間を過ごすのではないか」と感じて。悲しい、泣く、といった激しい感情だけではなくて、これまで一緒にいた時間を愛おしく思い、静けさの中で気持ちが落ち着いていくような……。うまく説明できないのですが、そんな心境になったんです。その気持ちをありのまま監督にお話ししながら、柔らかく優しい時間をみんなでつくり上げていきました。

――ご自身の経験や、その場で感じたことが、役への理解にもつながっていったのですね。

内田: 俳優として、自分とは異なる境遇の役を演じることはたくさんありますが「私とは違うからわからない」とは思いません。自分とは異なる人間を演じているうちに、私自身が理解し、想像できる幅が広がっていく気がします。演じることは、私にとって人を理解するための近道なのかもしれません。これから出会う役たちも、大切な「他者」として、毎回真摯(しんし)に向き合っていきたいです。

スタイリスト:山﨑沙央里
ヘアメイク:長谷川杏花(山田かつら)

■塚田智恵美のプロフィール
ライター・編集者。1988年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後ベネッセコーポレーションに入社し、編集者として勤務。2016年フリーランスに。雑誌やWEB、書籍で取材・執筆を手がける他に、子ども向けの教育コンテンツ企画・編集も行う。文京区在住。お酒と料理が好き。

■家老芳美のプロフィール
カメラマン。1981年新潟生まれ。大学で社会学を学んだのち、写真の道へ。出版社の写真部勤務を経て2009年からフリーランス活動開始。

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