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「塵も積もれば山となる」とはどんな意味?その由来や類義語は?

  • 2023.5.20

小さな努力を続けていれば大きな成果が得られることを「塵も積もれば山となる」と表現します。 これらは積み重ねることの大切さを説いたことわざです。 しかし、そもそも「塵も積もれば山となる」はどこから来た言葉なのでしょうか?

ここではそれら「塵も積もれば山となる」について解説します。 特にその意味はもちろん成り立ちや類義語についても説明するので、ぜひ参考にしてみてください。

「塵も積もれば山となる」とは

まずは「塵も積もれば山となる」の意味を見ていきましょう。

「塵も積もれば山となる」の意味

「塵も積もれば山となる」とは小さな努力を続ければ大きな成果が得られることの例えです。

「塵」のようなものであっても数多く積もり重なればやがては「山」のように動かしようのない高大なものとなります。 要は積み重ねることの大切さを説いたことわざと言えるでしょう。

「塵」はゴミやつまらないものの例えではない!!

「塵」はゴミなどを表しているわけではありません。 もちろん、つまらないものを指すわけでもありません。

これらは「微塵」などと同じで非常に細かなものを意味します。 それらを積み重ねることで結果に繋げることを「塵も積もれば山となる」と表現するわけです。

つまりは比喩的な表現として使用されているものと言えるでしょう。

「塵も積もれば山となる」の由来

ここからは「塵も積もれば山となる」の成り立ちをまとめます。

出典は仏教書『大智度論』の一節から

「塵も積もれば山となる」は仏教書「大智度論」の一節から来ていると考えられています。 これは2世紀~3世紀頃のインドの仏教哲学者、竜樹が注釈を加えた仏典を意味します。

そこに「微塵を積みて山と成し、移動するを得べきこと難きが如し」とあるのだとか。 これは微少な「塵」を積み上げて作り上げた「山」でも動かすことが困難であることを言っています。

特に仏教の世界では小さな立腹や欲望でも、それを重ねていくといずれは魂が救われなくなることを言った比喩的表現とされるとか。

日本では古く「古今集」の序にほぼ同じ内容の記述が見られます。 これらは江戸時代に入る頃から現在の形で使用されるようになったと言われています。

事実、当時は「江戸いろはかるた」にも収録されるほど浸透していたのだとか。

その後、近代に入ってからは貯蓄を奨励する標語などとしても使用されるようになったとされています。

「塵も積もれば山となる」の類義語

最後に「塵も積もれば山となる」の類義語も見ておきましょう。

雨垂れ石をも穿つ

「雨垂れ石をも穿つ」とは小さな努力でも根気よく続けていればいつか大きな成果が得られることの例えです。

軒先から落ちる雨の雫は一見すると何も影響のないもののように思えるかもしれません。 しかし、長い間同じところに落ち続けるとやがて硬い石に穴ができてしまいます。

そこから生まれたのが「雨垂れ石をも穿つ」ということわざです。 それらの点が「塵も積もれば山となる」と似ています。

積羽舟を沈む

「積羽舟を沈む」とは些細なものも時間をかけて継続するとやがては思わぬ結果に繋がることの例えです。

軽い羽根でも大量に乗せれば船が沈んでしまうかもしれません。 そこから生まれたのが「積羽舟を沈む」ということわざです。

それらの点が「塵も積もれば山となる」と同じです。

涓涓塞がざれば終に江河となる

「涓涓塞がざれば終に江河となる」とは小さな流れも小さい間に堰き止めなければやがて大河となることの例えです。

ここで言う「江河」とは揚子江と黄河のことを意味します。 これらの大河は小さな川が集まってできています。

そこから生まれたのが「涓涓塞がざれば終に江河となる」ということわざと言えるでしょう。 それらの点が「塵も積もれば山となる」と重なります。

まとめ

「塵も積もれば山となる」は小さな努力であっても根気よく続けることで成果に繋がることを言ったことわざです。 実際に小さなものを置いたところで何も生まれません。 しかし、諦めずに積み重ねればいずれは大きなものとなります。

それら継続して何かをすることの大切さを説いたのが「塵も積もれば山となる」と言えるでしょう。

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