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CAあるあるネタで人気のCRAZY COCOさん。「モテたいと思ったことはありません」

  • 2023.5.18

元キャビンアテンダントで35歳からお笑い芸人の道を志し、デビュー1年足らずでブレイクした芸人CRAZY COCOさん(36)。「日系CA vs 外資系CAの明らかな違い」「オツボネCA」など経歴をネタに生かし、波乱万丈な?恋愛遍歴も笑いに変える、そのオンリーワンなキャラクターに迫ってみました。

「おもろいヤツ担当」だった学生時代

――小さいときからファンキーで明るいお子さんだったんですか?

CRAZY COCOさん(以下、COCO): そうですね、男子と対等に遊ぶ子でした。中学高校は特進科にいて15人のクラスに女子が私ともうひとりだけだったんです。大学も男子が7割の学部に進んだので、男友達とのほうが楽しく遊べるほうで。おもろい男子よりももっと面白くいたい、と思っているところがずっとありました(笑)

――ここまで面白い女性だと、男性側がひるんでしまうようなことってありませんでしたか? 「笑いをガンガン取りに行く女子」を受け入れられない男性っているのでは?

COCO: あはは、おっしゃっていることわかります。その意味では、めっちゃ大変でしたね。合コンに行くことがあっても、自分からふざけにいっちゃうほうだったので。むかし男女の仲良しグループのうちのひとりの男の子と付き合うことになった時にも、みんなから「え? COCOと付き合うん? おもろいヤツ担当やん。男友達みたいなもんやん」みたいな反応をされたこともありましたね。だから私、日本で働いてても馴染めなくて、外資系企業に進んだんだと思います(笑)。

朝日新聞telling,(テリング)

――現在36歳のCOCOさん。10代、20代の頃は、「女子力」とか「男ウケ」「モテテク」みたいなカルチャーがまだまだ盛り上がっている時代でもあったと思うのですが、COCOさんご自身は学生時代、そういった波に乗ることはなかったですか?

COCO: 私は全然。当時だと大塚愛さんとかみんなの憧れでしたけど、私はブリトニー・スピアーズになりたかったです(笑)。「こうしたらモテます」みたいなものにはまったくかすりもしなかったですね。「モテたい」はなく、好きな人がいたら基本的には自分からアプローチするので、好きな人に振り向いてほしいとは思ってましたけど、いろんな角度の人からいっぱい好きになってもらいたいという気持ちは全くなかったです。

――そういった考えに至るきっかけがあったのですか?

COCO: 小学校6年生ぐらいの時に、母から「あんたは晩婚だからね」って言われたんですよ(笑)。それと同時に「男の人に頼らないで生きていける術を絶対に身に付けなさい」とも言われてきたんです。学生時代にはいわゆる「あざとい女子」みたいな女友達もいて、「プレゼントに数十万円のブランドバッグを買ってもらった〜」みたいな話を聞くこともあったんですけど、私はそっちのタイプの人間じゃないなって。「そのお金あったら普通に一緒に旅行行こうよ!」っていうタイプ。「自分がいいと思った人と、自分なりの幸せを満たしていきたい」って、わりと若い時から思えていたんですよね。

ドバイで「第三婦人にならない?」と言われ

――仕事も同じように、「自分の足で立って生きていく」という思いで選択してきたのでしょうか?

COCO: いえ、最初に就職したタオル商社に勤務していた時は全然、もっとナイーブでした。留学から帰ってきて急いで就活して、なかば焦って決めた就職先みたいなところもあったので。その頃は「玉の輿に乗りたい」みたいな気持ちもめっちゃありました。経済力のない人は恋愛対象じゃない、とかね。

でも、27歳で外資系航空に就職してドバイで働き始めた頃、自分が稼げるようになってからですかね、自立したいと思うようになったのは。たとえば「お金持ちだけどちょっと中身微妙だな、見た目もタイプじゃないな」っていうA君と、「お金はあんまりないけど中身も見た目もタイプだな」っていうB君だったらB君を選べるようになっていったんです。

朝日新聞telling,(テリング)

――納得がいく稼ぎになってきたら、自分が見えてきたという感じでしょうか。

COCO: 男の人の「俺が(お金)出したったるで」みたいなのが実は私は好きじゃなかったんだって、ドバイに行って気づいたんですよ。ドバイって、桁違いにお金を持っていらっしゃる方もいて「お金払うから、第三婦人になって」って言われたりもするんです(笑)。でもそこで「なんで第一ちゃうん?」って思えるようにもなって。そういう経験を経て、自分の軸みたいなものがちゃんと意識できるようになっていきましたね。

――COCOさんはよく、ご自身のYouTubeチャンネルでも悩んでいる人たちに向けて「自分軸を持って」というお話をされていますよね。

COCO: 自分軸ってかっこよく言ってますけど、悪い言い方したらただのわがままなんでしょうけどね(笑)。ひとりっ子で小さいときからなんでも与えてもらってたんですよ、競うこともないし。「ほしい」「じゃあ買ってあげるね」「これやりたい」「じゃあやりなさい」というように、常に自分本位に生きてこられた。だから、自分がやりたいことを突き進んでいけたし、その結果、自然とこうなっていったというほうが近いのかもしれないです。

「結婚したい」より「結婚しなきゃ」のころ

――今までに結婚を考えたことはありますか?

COCO: 1回だけありました。この人とだったら結婚してもいいなっていう人がいたんです。24歳の時から4年ぐらい付き合っていて。ただ、私がドバイに行くことを優先したので、遠距離になって別れちゃいました――というか、私から別れを告げました。両家の顔合わせも済んでいたんですけど。

それこそ、自分軸がきちんとしてなかったことがだんだんわかってきちゃったのかもしれないです。「結婚したいというよりも、結婚しなきゃいけないんだろうな」という気持ちで準備を進めていた部分もあって。彼から「エミレーツの契約は3年だよね、3年後には帰国してね」って言われた時に、内心「え? なんで?」って気持ちだった。自分の根底に「自由を求める」精神が根強くあることに気づきました。

朝日新聞telling,(テリング)

――自由を求める、ですか。

COCO: このタイミングで結婚して子どもができたら、今やりたいと思っていることができなくなっちゃうかもしれないと思ったんですね。私、14歳のときに父が他界し、その半年後にお兄ちゃんみたいに慕っていた従兄弟が30歳で亡くなったんです。母も3回大病をしているので、「死」というものへの当事者意識がものすごくあるんです。本当に明日死んでもおかしくないと思っているから、やりたいことは全部やってから死にたい、って。そのマインドが判断基準になっているんだと思います。それで、別れを選んだ。

あとは、父が早くに亡くなってるからか、家の中に男の人がいるっていうのがあんまり想像つかなかったんですよ。その彼と付き合っている時も、好きなんですけど、いつまでも彼が帰らないと「なんでまだおんねん」って思っちゃってましたからね(笑)。

母は絶対的な道しるべ

――その後、結婚に対する気持ちに変化は?

COCO: 今、36歳になって、親しい友人に子どもができてきたりもしてようやく、「やっぱり子どもかわいいな、子どもがいる生活っていいな」とか「自分が母からしてもらったことは全部自分の子どもにやってあげたいな」とか思えるようになってきたって感じですね。

朝日新聞telling,(テリング)

――YouTubeやSNSにも度々お母さまが登場されていて、COCOさんにとってお母さまはすごく大きな存在なんだろうと感じます。

COCO: 絶対的な道しるべなんですよ。母が言ったことに導かれたことはいっぱいあります。ケンカもあるし、すごく嫌いになった時期もあるんですけど、総じて母が言ってたことって正しかったなって思っています。「"ギブアンドテイク”の中でも、絶対にまずは自分から与える立場にいなさい」とか「誰にでも好かれる必要はないけれど、わざわざ嫌われる必要もない。せっかくならちょっとでも好かれる存在でいなさい」とか。

小さいころは「このおばさん何を言ってるんだろう」って思ったこともあったんですけど(笑)、30代になってすごく言葉の意味がわかってきたというか。母からの言葉ってどの仕事をしていた時にも生かされていた。「自分の親ってあんまり自分のことをわかってくれてない」って思ってたこともあるんですけど、逆なんですよね。もちろん親といることを幸せだと思えない人もいるだろうから、無理する必要はないです。でも、私にとっては絶対的な存在です。

今、10代とかで「親、ウザい!」と思っている子もいるとは思いますが、大切にしてもらってる実感があるんだったら、ベタですけど、親を大切にしてほしいですね。親って自分より先に死ぬので、そこはいつまでもいると思っちゃだめだよって思います。

■田中 春香のプロフィール
大学卒業後、芸能事務所のマネージャーとして俳優・アイドル・漫画家や作家などのマネージメントを行う。その後、未経験からフリーライターの道へ。

■家老芳美のプロフィール
カメラマン。1981年新潟生まれ。大学で社会学を学んだのち、写真の道へ。出版社の写真部勤務を経て2009年からフリーランス活動開始。

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