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「お父さん、日本人じゃなかったの?」父の死後明かされた真実に、娘は...

  • 2023.5.10

父は在日コリアン2世だった。それを知ったのは、父の死後だった――。

フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが、自身のルーツをたどる旅を記した『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(図書出版ヘウレーカ)が発売された。

安田さんと父、母、兄、妹の5人家族は東京に暮らし、父は小さな鰻料理屋を営んでいた。無口で不器用ながら、優しい父だったという。兄は母親が違い、生みの母はすでに亡くなっていた。安田さんが小学校に上がる頃に兄が独り立ちし、小学3年生のときに両親が離婚した。母と姉妹は神奈川県横須賀市に移り住んだが、東京の父によく会いに行った。

父が亡くなったのは、中学2年生のときだった。FAX1枚で知らされ、父にはすでに別の家庭があったため、葬儀の案内はなかった。さらに、中学3年生のときに兄が亡くなった。母も事情をよく知らず、なぜ、どのように亡くなったのかはわからなかった。

高校2年生になり、安田さんは喪失感を埋めようと、NPOの海外派遣プログラムに参加することに。パスポートを作るため戸籍を取りに行くと、そこに見慣れない「韓国籍」という文字を見つける。安田さんはそのとき初めて、父が在日コリアン2世であったことを知ったのだ。

家に帰り、母に恐る恐る、尋ねてみた。
「ねえ、お父さんって、日本人じゃなかったの......?」
一瞬の間を置き、母は真っすぐ私を見てこう言った。
「そうだよ、気づいたんだね。君たち姉妹は"ハーフ"だよ」

「日本人」だと思って疑わなかったアイデンティティに、突然の混乱が。さらに、父は兄を認知(婚姻関係にない男女の間に生まれた子どもを自分の子であると認め、法律上の親子関係となること)していなかったという事実も明らかになった。

朝鮮半島からやってきた祖父母も、父も、兄も、もうこの世にはいない。手がかりがほとんどない中で、安田さんは資料をかき集め、彼らのルーツをたどっていく。なぜ父は出自について何も語らなかったのか? 自分は何人なのか? 旅を通して見えてきたのは、生々しい差別の歴史だった。貧困、災害、難民、ヘイトクライムなどの取材を続ける安田さんが、自身のルーツを見つめて気づいたこととは。

【目次】
プロローグ
第1章 旅のはじまり
第2章 「家族とは何か」から「故郷とは何か」へ
第3章 ルーツをたどって
第4章 残された手がかりをつなぎ合わせて
第5章 ヘイトは止まらない濁流のように
第6章 祖父母の「故郷」、韓国へ
エピローグ
感謝を込めて
参考文献

■安田菜津紀さんプロフィール

やすだ・なつき/1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事――世界の子どもたちと向き合って』(日本写真企画)、『あなたのルーツを教えて下さい』(左右社)、『隣人のあなた――「移民社会」日本でいま起きていること』(岩波ブックレット)他。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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