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お笑い芸人・Aマッソ加納愛子さんロングインタビュー。人生の指針は 「アホでおもろいやつが強い」【最新号からちょっと見せ】

  • 2023.5.8
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親の友達がいつも家にいる にぎやかな環境で育つ

1989年。加納愛子は大阪で生まれた。きょうだいは2歳上の兄。すぐ目の前に祖母が住み、両親の友人が常に出入りする、にぎやかで笑いの絶えない家庭だった。

――加納さんのお父様は、AマッソのYouTube番組にも登場されていましたが、いかにも「大阪のおもろいおっちゃん」といった雰囲気の方です。

アハハハ。そうそう、うっとおしい大阪のおっさんです(笑)。

――じゃあ、家の中はにぎやかで、常に笑いが絶えないような?

そうですね。常に誰かがなんかしゃべってる感じで、うるさかったです。親父とおかんと兄ちゃんと私の4人家族だったんですが、向かいにお祖母ちゃんが住んでいて、しょっちゅう行き来してましたし、親父とおかんも友達が多かったので、家族以外のいろんな人がいつも家にいるような家庭でした。

――いわゆる現代的な核家族とは真逆の、オープンで風通しのいい家庭だったんですね。

よく言えばそうですね。そもそも自分の部屋もなかったんで、部屋にひきこもるとかもできませんでしたし。テレビもみんなのおる部屋にひとつしかなかったんで、仕方なくそこでテレビを見るんですけど、親父のツレがうるさすぎて、テレビの音が聞こえんくてキレる、みたいなことが日常的にありました。

――いかにも大阪らしいというか、まんまコントみたい(笑)。家族以外には、どんな人が集まっていたんでしょう?

いろんな人がいましたよ。ほんまに両親の地元の中高の友達もいれば、飲み屋で知り合ったような人もいたし。親父は昔バンドをやってたんで、音楽繋がりの人もけっこういたと思います。

――ちょっと変わった大人が常に家に出入りしていて、ひとりの人間として対等に接してくれる経験は、子どもの成長過程において大きい気がします。

いや、大きいですよね。ひとりだけ、大学教授のおっさんがおったんですけど、来るたんびにいちいち「お前、そんなんも知らんのか!」みたいに煽ってきて。そういうのが今思えばデカかったなと思います。

――ご両親も親である前に、自分の世界を大切にしている感じ。

そうですね。家族の仲は良かったんですけど、ベタベタはしてなくて。母親も働いてて忙しかったんで、基本的に家族でどっかに出かけるとかもなかった。それよりは「友達と遊べ」という感じで、きょうだいも兄貴やったんで、一緒に遊ぶというよりは、それぞれの友達と遊んでましたね。

――お兄さんに関しては、エッセイ『イルカも泳ぐわい。』の中で「調子がいいことだけが取り柄のヘラヘラした人間」「シャーペンほどの芯もない」とユーモアたっぷりに書かれています。

ほんまに自由でふわふわしたやつです(笑)。だから、兄ちゃんから特に何か影響を受けたとかはわからないんですけど、兄ちゃんは高校に行ってバンドをやるようになって、私はそれを見て、自分には音楽の才能は全然ないし、これはやらんでええな……、とか思ったりしてたんで、自分の特性みたいなんを見つけることには一役買ってたかもしれませんね。

「イキりたい」年頃には 父親の本を借りて読んでいた

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――現在の相方の村上さんとは、小学校時代からの幼馴染ですよね。

小学校五年生のときに引っ越して、転入した小学校で出会ったんです。家が近かったんで一緒に帰ったり、公園で遊んだり、駄菓子を賭けて大富豪をやったり、ベタな感じで仲良くなりました。

――塾や習いごとで忙しい今どきの小学生とは違う、のどかな小学校時代だった。村上さんとは当時からしっくり来るものが?

村上はあんまり口数も多くないし、何かを主張するタイプではなかったんですけど、なんかちょっと変わってるところがあって、それがしっくり来たんですかね。中学でも一緒にバスケ部に入って、私と村上ともうひとりの3人で仲が良くて、そのひとりが別の誰かに変わっていっても、村上はずっといるという感じで。高校は別々やったんですけど、なんだかんだでずっと続いてましたね。

――加納さん自身は、どんな子どもだったんでしょう?

どうやろう。ごく普通の子やったと思いますよ。ただ、親父もおかんも本が好きで、家にいっぱい本があったので、小さい頃から本は好きでよく読んでました。

――件のYouTube番組でも、壁一面にぎっしりと本が詰まった居間の様子が映されていましたね。でも気取った感じはなくて、いい意味で雑然としていて、生活と本が一緒くたにある空気に親近感を抱きました。

親父がコピーライターをしていたので、本が多いのは仕事柄もあったんでしょうけど、単に自分が好きというのが大きかったと思います。小さい頃は親父が絵本を読んでくれたりもしました。中でも覚えてるのが『おばけのひっこし』(さがらあつこ/文、沼野正子/絵 福音館書店)という絵本。おばけがいっぱい住んでる家に公家の人が引っ越してきて、脅かして追い出そうとするんですけど全然効かなくて、業を煮やしておばけが引っ越していくという。今読むと笑えるんですけど、当時はすごく怖くて、記憶に残ってます。

貧乏やったんでゲームとかは買ってもらえなかったんですけど、本やったらいくらでも買ったるという家やったんで、今思えばありがたかったですね。

――読書好きの子どもというと内向的なイメージもありますが、加納さんの場合はそういうタイプでもなさそうですね。

そうですね。よくしゃべる子やったし、普通に友達とも遊んでたし、本の世界に閉じこもるようなタイプではなかったと思います。中学に入ってからはバスケの部活と勉強という感じやったんで、本は「ハリー・ポッター」シリーズぐらいしか読んでなかったかも(笑)。ただ、本を読むことは子どもの頃からの習慣みたいな感じやったんで、部活を引退して時間ができたら、また読むようになって。高校の頃は、本好きの間で伊坂幸太郎さんブームがあって、私もハマって読んでました。

――加納さんは読書家としても知られていますが、その原点は実家の本棚なんですね。

やっぱり影響はあるでしょうね。本を押し付けられはしなかったけど、たまに「これ読んだら?」みたいに言ってくることはあって。高校のときに親父かおかんのどちらかに、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を薦められて。もともと歴史の授業は好きやったんですけど、教科書には載ってない、歴史上の人物の人間くさいエピソードが細かく書かれているのがおもしろくて。ベタに幕末モノにハマって、そこから時代小説も読むようになりました。大学に入ってからは、和田誠の昔の映画の本とか、ビジュ(アル)もいいし、古本でちょっと劣化してる感じもええなって。イキりたい年頃やったんで、親父の本棚からあれこれ拝借して読んでましたね。

人生の指針は 「アホでおもろいやつが強い」

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――「笑いの洗礼」としては、やっぱり「吉本新喜劇」でしょうか?

そうですね。小さい頃から家族で見てました。最近は少ないのかもしれませんけど、当時の関西ではテレビでいっぱい漫才番組をやってて、『ZAIMAN』(1999年から約9年間にわたり読売テレビで放送された吉本興業のお笑い番組)も大好きでしたね。私だけでなく、クラスのみんなも漫才番組をごく当たり前に見てました。上京してから関西以外の地域ではそういうことはないと聞いて、びっくりしました。

――「吉本新喜劇」みたいに、変な大人がアホなことをしている光景を、子どもの頃からよく見ていたというのは、なかなかに大きいですよね。

そう思います。小学生の頃は、普通に吉本新喜劇に入りたいなぁって思ってました(笑)。中学一年生のときからは『M-1グランプリ』が始まって、それが自分の中ではけっこう青春でしたね。

――加納さんはお笑いでは「笑い飯」の影響を公言されていますが、「M-1の歴史=笑い飯の歴史」ですもんね。

そうなんですよ。当時は芸人になりたいというのもなかったんで、どこがどうすごいとか分析するわけでもなく、ただただアホやったし、おもろいなーって笑って見てましたけど。「笑い飯」は言葉の選び方などすべてが衝撃でしたね。

――お父様のお友達にしても、お笑いにしても、加納さんの中で「アホ」という言葉が、最上級の愛情表現であり、褒め言葉になっているのがおもしろいですね。

確かにそうですね。関西やからかどうかはわかりませんが、小さい頃から笑いが身近にあったし、学校のクラスでも、おもろいことをやれるやつが強かった。私自身は率先して人を笑かしてたということはなかったですけど、やっぱり「アホでおもろいやつが強い」みたいな価値観は、表現においても、人生においても、ひとつの指針になってるのかもしれません。

INFORMATION
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『これはちゃうか』
加納愛子/著 河出書房新社 1540円
終わりのないおしゃべり、奇想天外な町。日常から一歩はみ出したホラーなど「加納節」を堪能できる短編小説集。文芸誌「文藝」に掲載した4篇に、書き下ろしを2篇加えた、全6篇。

インタビュー/井口啓子 撮影/大森忠明 スタイリング/渡邊アズ(kodomoe2023年6月号掲載)

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