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【女官の採用もコネ次第?】朝鮮王朝時代の王宮は完全に「ブラック企業」だったのか

  • 2023.5.7

朝鮮王朝は儒教を国教にしていたが、この儒教には身分の違いを認める思想があった。それゆえ、朝鮮王朝は厳格な身分制度を採用していたが、その中の最たる制度が「男尊女卑」だ。女性には再婚する自由も、親の相続を受け継ぐ権利もほとんどなかった。さらに言うと、自分で仕事を見つけていく環境もなかった。その中で女性が得られる数少ない官職が王宮の女官であった。

ただし、王宮の女官になるのも一般的な家庭では難しかった。やはりコネが必要だったのだ。例えば、王妃まで登り詰めた張禧嬪(チャン・ヒビン)は「希代の悪女」として有名だが、彼女が1680年頃に王宮に入ることができたのも、親戚が通訳官をしていたからであった。彼女もしっかりコネを生かして王宮に入ったのだ。

あるいは、『赤い袖先』のヒロインとなった成徳任(ソン・ドギム)。彼女が王宮に入る契機となったのは、父親が恵慶宮(ヘギョングン)の実家で下働きをしていたからである。恵慶宮と言えば、イ・サンの母親だ。

18世紀後半の朝鮮王朝においてこの家柄は申し分のない名家だ。父親がそこの使用人であったという縁で、成徳任は王宮に入って恵慶宮の下で働いた。それでイ・サンに愛されて最後は側室になったのだ。

このように、女官たちは様々なコネを生かして王宮に入ってくる。そして、長い見習いを経て、20代になって一人前の女官として肩書を得ていくのだ。とはいえ、彼女たちは建前上は国王と結婚したと見なされるので、他の男性との恋愛が厳禁となっていた。もし発覚した場合には厳罰に処せられた。

『赤い袖先』でイ・セヨンが演じた成徳任(画像=MBC)
女官が置かれた立場

さらに、もし妊娠した場合には国王に対して不貞を働いたことになるので、出産した後に処刑されてしまった。また、生まれた子供も奴婢(ぬひ)の運命を免れなかった。

結局、王宮の女官となって官職を得ることができても、恋愛の自由もなければ老いた時の保障もなかった。病気になったり、老いて働けなくなれば、すぐに王宮から出されてしまったのである。

朝鮮王朝時代、女官は多い時で1000人ほどいたと言われており、18世紀後半でも700人くらいの女官が働いていた。彼女たちが置かれた立場は、現代から比べればかなり厳しくて、まるで「ブラック企業」に勤めているようなものだった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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