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朝鮮王朝でトラブルメーカーだった国王を選べばやっぱり「この3人」?

  • 2023.5.6

朝鮮王朝の518年間に国王は27人いたのだが、その中で騒動となる大問題ばかり起こしていた国王は誰であろうか。「最悪の暴君」と呼ばれて支離滅裂だった10代王・燕山君(ヨンサングン)を除いて3人のトラブルメーカーを選ぶとすれば、果たしてその顔ぶれは?

古い歴史の順から言えば、まず1人目は11代王の中宗(チュンジョン)である。彼は燕山君の廃位に伴って嫌々ながら国王に推挙されたのだが、わずか一週間で妻の端敬(タンギョン)王后を離縁している。

彼女は親戚が燕山君の身内だったためにクーデターを起こした高官たちが警戒し、中宗に対して端敬王后の離縁を申し出た。普通なら国王の権限で高官の申し出を断ればいいのに、なんと中宗はその要望を受け入れてしまった。こうして端敬王后はわずか7日で廃妃となってしまったのだ。

その末に中宗の3番目の王妃だった文定(ムンジョン)王后は朝鮮王朝の歴史に残る悪女となり、女帝として賄賂政治を横行させた。このように、もっと中宗がしっかりしていれば文定王后の横行を食い止めることができたのに、それができなかった。やはり中宗は王としての器ではなかったのだ。

2番目のトラブルメーカーとして名前を挙げたいのは、19代王の粛宗(スクチョン)である。彼は政治的な能力が高く、内政面でも善政を行なっており、民衆の生活向上にも貢献している。しかし、張禧嬪(チャン・ヒビン)がいくら絶世の美女だったとはいえ、彼女を王妃にして仁顕(イニョン)王后を廃妃にするという騒動を起こしている。

左からチ・ジニが扮した粛宗、英祖の肖像画、ヨン・ウジンが演じた中宗(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved DVD好評リリース中・U-NEXTにて見放題配信中)
究極のトラブルメーカー

結果的に仁顕王后を復位させて再び張禧嬪を側室に降格させたのだが、1701年には仁顕王后を呪詛(じゅそ)した罪を問われて張禧嬪が死罪になっている。女性問題でたびたびトラブルを起こしたという意味で、粛宗はやはり問題児であった。

3番目のトラブルメーカーは21代王の英祖(ヨンジョ)だ。彼は1724年に即位したのだが、すぐに反乱を起こされている。それは英祖が異母兄だった20代王・景宗(キョンジョン)を毒殺したという疑いを持たれたからだ。

この騒動は英祖が強権を発揮して抑え込んだのだが、彼は1762年に息子の思悼(サド)世子を米びつに閉じ込めて餓死させるという大事件も起こしている。彼が癇癪(かんしゃく)を起こさず思悼世子を正しい方向に導いていれば、「朝鮮王朝の最大の悲劇」と言われたこの事件は起きなかったのに……。

英祖は後に大変後悔したのだが、まさに「後悔は先に立たず」であった。英祖も政治的には名君と評されることもあるが、やはり彼も騒動を起こした張本人であった。

以上の3人の国王が、究極のトラブルメーカーであったことは間違いない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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