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1997年3月20日コレット開店。サラが当時を振り返る。

  • 2023.4.29
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2017年、パリ中に活気を与え続けた伝説のブティック「colette(コレット)」が20年の歴史を閉じた。開店したのは1997年3月20日。その2日前に“styledesignartfood”と掲げてオープニングパーティが開催され、当時のパリでは見たことのないようなミニマルな内装に集まったファッション・ピープルはびっくり。いまや、4半世紀前の出来事だ。作り手がいて、売り手がいて。この時代のクリエイションを支え、新風を吹き込んだコレットの開店について、『1997 ファッション・ビッグバン』展で大きくスペースが割かれている。

サラ・アンデルマン。コレットの開店当時からダフトパンクやマルタン・マルジェラ同様に顔を出さない方針を貫いていたが、携帯電話とSNSの普及でギブアップしたそうだ。コレット閉店後、Just an Idea(@justanidea)を主宰し、出版やキュレーションの活動に従事している。photo:Koto Bolofo

「この展覧会、素晴らしいアイデアだと思うわ。こうして時間をおいて見直してみると、このすべてがたった1年の間に起きたの!と驚きます。当時は分かってなかったことだわ」と語るのは、コレットでディレクターを務めていたサラだ。

「クリエイター個々の展覧会だったり、モードの企画展を見る機会はいろいろあるけれど、1年という短期間に集中したこの展覧会はとてもパワーがありますね。セノグラフィーもおもしろいわ。カステルバジャックが法衣をデザインしたことは覚えていませんでした。マルタンによるエルメスの時計のドゥブルトゥール・ブレスレットは、いつ?と聞かれたら、もっと後の年を挙げてたと思う。ドナテラ・ヴェルサーチがジャンニの死後のたった3カ月後に彼を継いでショーを行っていたことには驚きました。ガリアーノ、マックイーン、マーク・ジェイコブス……ファッション界の歴史に残る数々がこうして集まっているのを見るのは感動的ですね。音楽ではダフトパンクがデビューし、『ハリー・ポッター』の第1巻が出版されたのもこの年で。自分がなんだかすごい年寄りになったようにも感じてしまう」

展覧会が取り上げるのは1997年春夏コレクションが発表された、1996年10月から。このシーズンのコレクションを揃えて、1997年3月にコレットはオープンしたのだ。サントノレ通りの不動産価値を上げることになる213番地のブティックの構想は、いつどのように始まったのだろうか。

「いつだったかしら……暮らすために建物の上階にまず引っ越してきたのだけど、ブティックとなる1階と地下の空きスペースを見たのはそれ以前のことだった。いったいここに何ができるのかしら?って。ちょうどロンドンにMUJI(無印良品)のブティックができた頃だったから、ああ、ここにMUJIができたらうれしいわ、って妄想してたのを覚えてるわ。1996年の6月頃だったか、興味本位に物件を見に行ってみることにしたのね」

3つ目の会場となる東翼のスペースにて語られる1997年は、ダヴィデ・ソレンティの死とコレットの開店。写真は蝶をデザインしたインビテーションカードのビジュアル(左)と、コレットで販売されたジェレミー・スコットのスウェット。photos:Mariko Omura

そして、その結果、“styledesignartfood”と掲げてオープンすることになるコンセプトストア、コレットのプロジェクトがスタート!約9カ月続くことになる工事が始まった。上のモードフロアにどんなブランドの1997年春夏ものが置けるだろうかと考え、ロンドンでアレキサンダー・マックイーン、ポール・スミス、パリではルシアン・ペラフィネなど知り合いのブランドを買い付けた。オープン前のその時点ではまだ誰も見たことのないブティックである。しかも短期間での準備。コム デ ギャルソンの「Body Meets Dress, Dress Meets Body」のコレクションからも何点かを買い付けたが、欲しかったブランドのすべてが手に入ったわけではなかったという。彼女は雑誌「Purple」の編集部で研修をしていたことから、ヴィクター&ロルフをはじめとする先鋭デザイナーたちと出会える機会があり、「コレットでは名前が確立されたブランドを置くと同時に、ブレスやジェレミー・スコットといった若いクリエイターも、というのが私たちの最初からの方針でした」

この展覧会のオープニングでは、コレットのコーナーに展示されている自分のブランドの黒いスウェットを見て、ジェレミー・スコットが涙を流したそうだ。というのも、コレットからオーダーが入って、彼本人がアパルトマン内で縫った思い出の一点だったからである。

サラによると、開店当初コレットは半年も持つまいという声もあったそうだ。店内は極めてミニマルなデザインで、服の見せ方も従来のファッションブティックとは一線を画すものだった。

「それは店内にラックもハンガーを置きたくないと思ったから。ブランドをミックスしてボディに着せて……ラックでブランド名を見て服を買うのではなく、発見をしてほしかったの。デパートに対抗するやり方ね」

これはサラ母娘とともにコレットに開店時から関わっていたミラン・ヴィクミロビッチ(注:現在Ports Vクリエイティブ・ディレクター)の力だとサラは讃える。ブティックの開店日からサイトが存在することにもサラはこだわったと語る。しばらくしてオンラインショップもスタート。それを物語るように展覧会場にはころんとした初代iMacが置かれているのだが、これも1997年絡みである。スティーブ・ジョブスがこの年にCEOとしてアップル社に復帰し、発表した初のプロダクトがiMacなのだ。

さてコレット開店を決めた当時、この展覧会が紹介するビッグバンの気配を彼女は感じていたのだろうか。

「全然!ロンドンは元気がよくて、ミラノではプラダやグッチが話題を呼んでいる一方、パリでは何か新しいものが欠けている、大きな波の合間に沈んでしまってるわ、って思ったことからです。当時は店がうまくゆくように、ということしか考えていなかったわ」

ビッグバンの一大現象として、展覧会ではコレットのために小部屋が割かれている。飛翔を象徴してデザインされたブルーの蝶が羽ばたくインビテーションカードのビジュアルが拡大されて壁を飾り、下のショーケースにはカシオのGショック、リーボックのポンプフューリーのスニーカー、キールズのプロダクトが展示されている。これらは開店時にブティックで販売された商品を紹介するプレス資料に掲載された品からのセレクションである。もうひとつのウィンドウには最近カミーユ・ミチェリによる再生が話題を呼んでいるエミリオ・プッチの当時のスカーフも。

左: コレット開店時に販売された商品から。右: サラも忘れていたというジェレミー・スコットに捧げるエキジビションのインビテーションも展示されている。photos:Mariko Omura

「私と母(コレット)のひと目惚れから生まれた店です。彼女は昔からプッチの大ファンだったこともあり、プッチを置くことにしました。当時はまだLVMHの傘下ではなく、ニューヨークまでプッチの後継者に会いにいって承諾を取り付けて……オープニングの時から販売していたブランドのひとつです。ラ・モラのスプリングのブレスレットも展示されていますね。これはブランドから提案があって、店に置いてみたの。コレットでは最初は試しで少量を販売し、うまくいったら追加してというやり方をしていて、このラ・モラのブレスレットもそう。店に置いたら100個売れ、そして次も100個売れてと、これはひとつの現象を巻き起こしました。いまでもこのブレスレットをつけてる人を見かけますよ」

1997年はイットバッグの元祖となるフェンディの“バゲット”バッグが誕生した年だ。このバッグもコレットのコーナーに展示されている。このバッグのウエイティングリストがフェンディのパリ店よりコレットの方がさらに長かったことを、何ページにもわたって名前がぎっしり書き込まれた予約担当者のノートとともにサラは記憶している。

当時を振り返った彼女。写真展について思い出したことがある。コレットでは開店時からギャラリースペースでダヴィデ・ソレンティにオマージュを捧げ、マーク・ボスウィックやマリオ・ソレンティの作品を展示してと写真展を開催していた。そしてユルゲン・テラーがいて……。しかし次第に雑誌などでみかける写真はナチュラルな方向へとなってゆき、あの人の展覧会をしなくては!という写真展のアイデアが浮かばなくなったことだ。

左: フェンディのバゲットバッグ。1997〜98年秋冬コレクションより。右: 開店時からコレットには公式サイトが存在した。photos:(左)©︎ Courtesy of Fendi、(右)Mariko Omura

この展覧会のプロジェクトについてアレクサンドル・サムソンから説明を受けた彼女は、1997年を語るうえで、音楽、香水などこの時代において大切だと思えることについて彼に伝えたという。

「写真家のゴティエ・ガレについても話しました。この時代をゴティエは写真に残しているので、展覧会に役立つのではないかと思ったからです」

彼女が語ったゴティエ・ガレについて説明をしておこう。彼のキャリアにおいても1997年はキー・イヤーだった。パリのファッション界で彼の名前を有名にしたのはバックステージ写真である。その撮影のために彼がカメラマンとしてパリコレに初めて登録したがこの年なのだ。モデルたち、ショーに集まるセレブリティたち、そしてクリエイターやクチュリエ……優雅な身のこなしととびきりのスマイルで、あっという間に被写体たちから“撮られたいカメラマン”として愛される存在になった彼。行動半径はパリに限らず、NY、ロンドン、ミラノ……ファッションのイベントがあるところ、長身の彼の姿があった。この時代のモード界の活気あふれるシーンを切り取った貴重な写真を彼は多数残している。とりわけ有名なのは、2001年1月、エディ・スリマンによる初のディオール・オムのショー会場で撮影されたカットだろう。彼の写真集『Back Stage&Front Row  Photographies de Gauthier Gallet』(7L 出版社刊)の表紙にも使われているが、表表紙はフロントロウに並ぶカール・ラガーフェルド、デルフィーヌ・アルノー、ベルナール・アルノー、裏表紙はその続きでピエール・ベルジェ、スージー・メンケス、川久保玲、エマニュエル・アルト。写真集にはこの写真はもちろん、彼だけがカメラマンとして撮影を許されたカール・ラガーフェルド邸で開催されたパーティで、カリーヌ・ロワトフェルドとエディ・スリマンが踊るカットなども収められている。スクーターで精力的に移動し、ファッション界が盛り上がりを見せていた1997年からを記録していた彼。2003年3月のパリコレ最終日、その日のショーやイベントを撮影し終えて帰途につく途中、スクーター事故で32歳の生涯を閉じることになる。享年32歳。今年は彼が亡くなって20年である。サラが語るように彼の写真はモード界の貴重な財産であるが、1997年に特化した展覧会ではあいにくと紹介される機会がなかったようだ。

ガリエラ美術館のブティック。キャンドルは49ユーロ、ラ・モラのブレスレットは92ユーロ〜。photos:Mariko Omura

ガリエラ美術館のブティックでは展覧会の開催中、ラ・モラのブレスレットを販売している。またコレットのオープニングの招待状のビジュアルを用いたノートやマグネットも。さらに、コレットのブティックに流れていたイチジクの香りを再現したローラ ジェームス ハーパーのパフュームキャンドルも400個の限定販売が行われている。サラが語る。「2017年12月のコレット閉店から数カ月後に、ブランドからコンタクトがあって香りの使用について許可を与えたんです。ブティックのこのイチジクの香りが嗅げないことを惜しむ声も多くあったので……」

『1997 Fashion Big Bang』会期:開催中~2023年7月16日Palais Galliera10, avenue Pierre 1er de Serbie75116 Paris開)10:00~18:00休)月、5月1日料金:15ユーロ(予約が望ましい)www.palaisgalliera.paris.fr

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