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「喧嘩の仕方がわからない」のが悩み。喧嘩をする勇気が欲しい【お悩み】

  • 2023.5.1

は〜い皆さん、ご機嫌よう!「お悩み相談コラム」担当・満島てる子です。

暇さえあれば、いや暇じゃなくても、映画やアニメに飛びついてしまうあたし。この春は……なぜなのかしら、自分でも理由はよくわからないんだけれど……アメリカの有名映画監督であるスタンリー•キューブリックの作品群を、やたらと漁り続けたりしていました。

『シャイニング』とか『2001年宇宙の旅』だったりは、観たことはなくてもタイトルは知ってるとか、一部のシーンは存じてるって方、とっても多いんじゃないかしら(ジャック•ニコルソンが斧で扉を破壊する例のアレとかは代表例よね)。

あたしのお気に入りは『フルメタルジャケット』。ベトナム戦争をテーマにした作品なんだけれど、前半が思考実験みたいになっていて、目を背けたくなるところもありながら、非常に興味深いストーリーが紡がれるの。人間の感情を抑圧し、特定の方向へと統制し続けた時、何が起こるのか……残酷な描写とともに、戦争の恐ろしさだけでなく、「意見を自主的に言える」「誰かと対話ができる」ということの有難さ、大事さ、それをしっかりと噛み締めさせてもらえるのよね。

読者の方々は、最近どんな映像体験をなさっているのかしら?
先日のアカデミー賞を受賞した映画だと、『エブリシング•エブリウェア•オールアットワンス』(通称『エブエブ』)とかは、とある家族の喧嘩を壮大な規模で描きながら、「自分の気持ちに素直になって誰かと向き合う」ということの大切さを伝える、とってもハートフルな作品だったわね。ご覧になったかな?

人間同士の衝突や軋轢、そういう事態に陥ることで逆に関係性が進んでいくこと。これは銀幕上の単なる描写ではなくて、人付き合いにおいて実際大切にもなりうる要素。だからこそ難しいんだろうけれどね。今回のお悩みは、そんな「誰かとぶつかること」に悩む方からのお手紙です。

読者のお悩み:「喧嘩の仕方」がわからない。

Sitakke
Sitakke

ねぇちょっと……久しぶりにすんごいペンネームじゃないのよ。中森明菜も大声で「いわゆる普通の17歳〜♪……じゃない!?」って、歌いながらびっくりしちゃいそうなお名前。少女A(もう少女ではない)さん、投稿ありがとうございます!ちょっとだけ長いから、ここからは「非少女A」さんって略させていただくわね。

う〜ん、なかなか「じれったい〜♪じ〜れったい〜♪」内容のお悩みね。そっかぁ、誰とも喧嘩したことがないのね。ある意味スムーズな人生だと思うわよ〜。あたしにとっては羨ましいぐらい。だって自分の周りと言えば……割と折につけて喧嘩、罵詈雑言の浴びせ合い、酔いにまかせてのキャットファイトだって。あたしも例に漏れずで、怒りのエネルギーを友達とぶつけっこなんてしょっちゅうなのよ。ラーメンの汁ぶちまけながら、明け方のすすきので大舌戦したり……

あそうだ、だいぶ昔にはなるけど、交差点のど真ん中で突然ぶちギレた親友に、きちんとバックドロップ決められたこともあったっけ。あやうく昇天間近だった記憶が(いや、命に別条はなかったわよ!あたし、受け身うまいらしいの。笑)本当、エネルギー大放出の不器用人生。やんなっちゃうわよねぇ〜(芸者コント風)。

だから、“非少女A”さんのスタンスというか、「穏やかに行くならそれでいい」っていう柔らかな姿勢も、あたしは全然アリだとは思うのよ。むしろエコでよきだなぁって。
ただ1点だけ気になることがあるの。それは、「自分の意見が通らなくてちょっと辛いこともある」はずなのに、根本に「自分が折れ」ればいいっていう諦めがあるところなのよ。

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冒頭で挙げた映画『フルメタルジャケット』。この映画では、軍事訓練を受ける若者たちが、発言の機会を全て奪われた特殊な環境の中で、少しずつ、しかし盛大に狂っていきます。自分達の持つ感情の矛先を全て「戦闘」に向けるように、徹底的に意思を折られるのよね。

もちろん、あたしたちが暮らしているのは「日常」です。怖い訓練教官が脅してくるわけでもないし(ハートマン軍曹まじでキャラ立ちがえぐいの)、とんでもなく狭い2段ベットで拳銃を抱いて眠る毎日を強要されるわけでもない。でも自分の気持ちを折られ続ける経験というのは、ジェイムスやレナードたちほどではなくともきっと、こころのどこかにひずみをもたらしてしまうものなんじゃないかなと思うんです。ちょっとずつ壊死が進んでいくというか。

『エブエブ』だとこの壊死は、「ニヒリズム」という仕方で描写されています。主人公エブリンの娘ジョイは、家族からセクシャリティ(彼女はレズビアンです)や生き方について抑圧を受けているの。そのせいで、自分自身の「こうしたい」「認めてほしい」(例えば、パートナーを周囲に紹介させてほしい等)という思いを素直に両親にぶつけられないんだけれど、それもあいまってあらゆる出来事を無意味に感じ、全宇宙を破壊しようとするのよね。

「宇宙の破壊」についてはあくまでフィクション。でも、気持ちを言えないがために「なんかもうどうでもいいや」って思い、生きるのに必要な意欲まで無くしちゃうって部分。ここについては、きっとなんとなく非少女Aさんにも思い当たる節があるんじゃないかしら(お父さんの件はお察しするわ。大変だったよね……)。

だから非少女Aさんが、その「自分が折れ」るという自身のスタンスの影響で、虚無に陥っているところがもし少しでもあるのなら、事は喧嘩するしない以前の問題。まずは「こころの壊死」からの回復というか、自分の辛さを、どんなちょっとしたものでもきっちり「辛い」と言語化できるようにすること。そんなセルフケアが一旦必要なんじゃないかなぁと、お手紙を読みながらちょっと心配に思うあたしもいたりするのでした。

あたしなりのAnswer

Sitakke

とはいえ、今回のメインの相談は「関係性を崩さず喧嘩するにはどうしたらいいか」よね。
だから、そもそもの土台というか、こころの奥底の部分については、きっと非少女Aさん本人で向き合ってくれることと信じることにして……ここからは、あたしなりの「喧嘩の仕方」(なんかこう書くと物騒ね笑)について、思うところを書いてみたいと思います。

……と言ったところで、いきなり申し訳ないんだけど、非少女Aさんにはひとつ伝えておかなきゃいけないことがあるの。それはね、「関係性を崩さない喧嘩」って「アルコール抜きのお酒」とか「肉を使わないハンバーグ」と似たような表現だってこと。つまり、そういうのってありうるのかもしれないけれど(ノンアルビールとか、豆腐ハンバーグとかみたいにね)、きっと味気ないというか、肝心なところが足りないままになっちゃうんじゃないかってことなのよ。少なくともあたしは、そう考えているのよね。

安全に誰かと喧嘩する方法。これについては、最近よく見る「アンガーマネジメント」について調べてみれば、なんとなくそのポイントが見えてくるんじゃないかとは思うの。
例えば「怒りを感じたらまず10秒数え、落ち着いてから話す」とか、「何が悪いかだけでなく、どうして悪いのか筋道立てて語る」とか。
感情的にならず、理性の力で状況をコントロールするためのやり方が、このカタカナ語の周辺から色々と出てくるはず。「相手の悪いところを指摘するにとどまらず、その人との未来を見据えて対話する」なんていうことを書いてある本もあって、あたし自身「なるほどなぁ。これ、どっかで活かせそう〜!」と感心したりもしていました。

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ただね。
『HUNTER×HUNTER』のゴンさんじゃないけれど、相手との関係性が「もうこれで終わってもいい」ぐらいの明確な覚悟、向こうに「おめぇなんなんだ!どうかしてるぜ!」と根本的な改悛を要求するほどの強い衝動でもって、感情を思いっきりぶつけるぐらいじゃないと、非少女Aさんの書いてくれた「深い関係性の構築」につながるような喧嘩ってできないような気がするんだよね。お互いの命根性ががっちり良い方向に変わっていくような、そんな喧嘩って。

あのね。
怒りを感じる理由は、正義感によるものだったり名誉を守るためだったり、色々なものがあるだろうけれど……こと近しい人達に対して「それはおかしい!」と思うときって大抵、その人のことを普段から大事に思っているからこそ、余計にそう強く感じてしまっている場合が多いような気がするのよ。「可愛さ余って憎さ百倍」ではないけれど、愛の感情が大きければ大きいほど、それに比例して怒りの総量も増えていくように思うのよね。

愛しているからこそ、おかしいと感じる。怒りを抱く。
大事だからこそ「今の関係性が変わっちゃっても、万が一このつながりが断たれてしまうかもしれなくても、相手にどうにか自分の気持ちを伝えたい」と考える。
失う覚悟で大切な人を諌める。そんな腹のくくり方ができているパターンにこそ、関係性の深化という実りがもたらされるんじゃないかしら。

だから、非少女Aさんの寄せてくれている「どうしたら喧嘩する勇気が出るでしょうか」というもうひとつ質問。これについては、場合によっては「あんたヤンキーなの?」って思われちゃうかもしれないんだけれど……(ねえもしかしてヤンキーって死語?)。

「つながりが消えちゃうかも」という懸念を、いざという時にはぶっ飛ばして正面から立ち向かえるんじゃないかってぐらい、相手をまず大事に想い愛してみること。それが非少女Aさんの求める勇気を作り上げてくれるんじゃないかと思うんです。これが、あたしの答え。

***

その上で、です。
喧嘩の仕方は、その愛が育っていれば、いろんなかたちが自然に出てくるんではと思います。
がっちがちの口論になってもいい。思いっきり音信不通になるパターンもあるかもしれない。引かれるかもしれませんが、人によっては拳同士になる場合だって、個人的にはアリなんじゃないかなって気がするの。それはもう、あなたと相手の関係性というか、どうつながっているのかによっていろんな差が出てくるんじゃないかしら。

こうさらっと言われても、色々不安かもしれません。仲直りの仕方も含めて、きっとわからないことまみれよね……(ちなみに以前、仲直りするにはどうしたら?って相談にも乗ったことがあるから、よかったら見てみてね)。

でも、人間関係ってそんなもの。ぶつかる危険性や、離れる可能性を全て承知してなお、相手に愛をもって向き合えるか。それが一番大事なことだと思うのよね。

だから非少女Aさんは、まず身の回りの人を思いっきり大切にしてみてください。
きっとそこから「この人となら喧嘩してもなおそばにいたい。ぶつかってもいい。その先にいきたい。」という気持ちが、徐々に芽生えてくるはずだから。

いつか素敵な人ときっちり揉めて、それを糧として未来に進んでいける日が来るよう。
周囲と大衝突人生を送ってきた「喧嘩の先輩」として、非少女Aさんのことを、これからも応援していますよ!

ま・と・め♡

というわけで、今回は「喧嘩」というちょっと珍しいテーマについて、色々思いを巡らしてみました。どうだったかしら?
誰かと気持ちぶつけ合うのってとってもしんどいんだけれど、時に避けられないことだと思うし、場合によってはドラマチックな展開につながるいいスパイスになったりもするわよね。これは文学作品とか、映画でも然り。

ちなみにあたしが最近観た作品だと、アニメ『FREEDOM』の中で繰り広げられる、主人公とその親友の喧嘩の場面が胸熱だったのよねぇ……(某カップ麺のCMで有名でしたね笑)。みんなにもお気に入りのシーンとかあったりするかしら。ぜひ「これ観て!」っていうのあったら、応募フォームから教えてねん。

ではでは皆さん、また次回。
Sitakkeね〜!

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文:満島てる子
イラスト制作:VES
編集:ナベ子(Sitakke編集部)
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満島てる子:オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。LGBTパレードを主催する「さっぽろレインボープライド」の実行委員を兼任。) 2021年7月よりWEBマガジン「Sitakke」にて読者からのお悩み相談コラム【てる子のお悩み相談ルーム】を連載中。

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