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「貯金も資産もないが老後の不安はない」87歳女性社長が今もハイヒールを履き続ける深い理由

  • 2023.4.28

今野由梨さんは日本で初めて電話での相談サービスを立ち上げ55年もの間、社長としてダイヤル・サービスを率いてきた。自身の子どもを持つことはなかったが、私財を投じて何人もの発展途上国の若者の親代わりをしてきたため「国境なきお母さん」の異名を持つ。今野さんは「私には貯金も資産もない。でも老後に不安はない」という――。

藪の中にけもの道をつけてきた

わが国のベンチャー企業の草分け、ダイヤル・サービスを立ち上げた今野由梨さんは、自分より若い世代の起業家のことを「かわいいけもの」と呼ぶ。自分は若い起業家(=けものたち)が少しでも前に進みやすいように、藪の中にけもの道をつけてきたのだという。

ダイヤル・サービス社長 今野由梨さん。
ダイヤル・サービス社長 今野由梨さん。

今野さんがつけたけもの道は、もちろん起業家のためのものだけではない。働く女性のためのけもの道もたくさんつけてきた。

いま、雇用機会均等法の一期生たちが還暦を迎える年齢になったが、彼女たちの中には男社会の中で働き続けるために出産を選択しなかった人も多く、そんな自分の生き方を肯定し切れない女性もいると聞く。

長年、ダイヤル・サービスの事業を通じて女性の悩みに耳を傾け続け、自身、子どもを産まずに働き続けてきた今野さんは、一期生たちの生き方をどのように見ているだろうか。

自然にそうなったなら

「時代とともに生き方、暮らし方が変わっていくのは当然のことですよね。私たちの世代が社会に出た頃(今野さんは就活全敗。前編参照のこと)と比べたら、よくも悪くも、これが同じ国かと思うぐらい変わりましたね」

均等法の一期生たちも、まさに時代の変化に翻弄ほんろうされた世代だと言えるが、今野さんは子どもを産まなかったことを後悔していないのだろうか。

「私は6人姉妹だけど、私以外はみんな結婚して、子どもを産み、子育てをしました。私は小さい頃から、他の姉妹とは考え方も違ったし、役割もぜんぜん違ったから、自然にこうなったという感じです。妹たちが子どもを産んだのも自然なことだった。産む産まないという選択が自然なことであれば、それでいいんじゃない? もちろん、社会の仕組み、会社の仕組みによって産めなかったということは絶対にあってほしくないけれど」

社員の子どもが学校から会社に帰ってくる

産む人は産み、産まない人は産まない。自然にそうなったのであれば、後悔も自己否定もする必要はない……。それは頷けるが、均等法世代が味わったのは「産みたくても産めない」状況だったのではないだろうか。あるいは彼女たちが迫られたのは、「仕事か子育てか」という不条理な二者択一だったのではないか。

今野由梨さん
撮影=市来朋久

「ダイヤル・サービスの場合は、創業当初から女性ばっかりだったし、会社はこうではなくてはならないという考え方もなかった。やっぱり、自然にそうなっていったという感じなんだけど、創業の時は独身だった人が結婚をして、子どもを産んで、その子が小、中、高と育っていく。お母さんが仕事をしているから、学校が終わると直接ダイヤル・サービスに『ただいまー』って帰ってくるわけ。会社の中でバタバタ暴れまわって、いろんなものを壊したりして、みんなに叱られながら、でもちゃんとお三時を出してあげたりしてね……」

ある日、今野さんが会社に戻ってくる途中、社員のひとりが別の社員の子どもを自転車の後ろに乗せて走っているのを見かけた。何をやっているのか尋ねてみると、なんと、今日は時間があったから、仕事が忙しくて手を離せない社員の子を幼稚園までお迎えに行ってきたという返事である。そうしたことが、制度としてではなく「自然に」行われていたことを、社長の今野さんも知らなかったという。

牧歌的な時代のエピソードだと言ってしまえばそれまでだが、今野さんの言う「自然なこと」を失わせた要因はいったい何なのかを考える必要はあるだろう。

虐待をしてしまう親のことが心配

「いま、親による虐待が理由で自殺してしまう子どもがいるでしょう。もちろん子どもの命が失われることはあってはならないんだけど、私は虐待をしてしまう親のこともとても心配。彼女たちは、地域社会が壊れてしまった後に生まれている。だから、助けてくれる人が周りにいないんですよ。よしよししてあげなくてはならないのは、まずは、母親の方なのかもしれない」

食糧難の時代に6人の子どもを育て上げた母親

今野さんの念頭には、戦後の食糧難の時代に6人の子どもを育て上げた、母親の姿がある。

「私の父は写真が趣味だったから、外国のカメラをいくつも持っていた。母は食糧を手に入れるために、そのカメラを一台ずつ持ち出しては買い出しに出かけていくわけ。私はそれが許せなくて、『お父さんにとって、どれだけ大事なものか!』ってものすごく怒ったんです。でも、母が自転車にお餅やらお芋やらを山のように積んで帰ってくると、それはそれで嬉しいから『わーい』って喜ぶわけ。ところが母は、『ちょっと待っててね』と言ってどこかへ行ってしまうの」

今野由梨さん

戻ってきた母の自転車に乗っている食糧は、ずいぶん少なくなっている。町内に3軒あった、乳飲み子を抱えた戦争未亡人の家に分けてしまったのだという。

「それを聞いた私は母を許せなくて、また怒るわけ。『カメラもお餅も、みんなうちのものなのに!』って」

貯金も資産もないが老後の不安はない

当時は母親の行動を理解できなかった今野さんだが、振り返ってみれば、自分も母親と同じことをしてきたのかもしれない。

今野さんは「ベンチャーの母」と同時に、「国境なきお母さん」の異名を持つ。私財を投じて何人もの発展途上国の若者の親代わりをして、「日本で学びたい」という彼らの希望を叶えてきたのだ。著書『ベンチャーに生きる』(日本経済出版社)の中で、ネパールのクリシュナという若者とのエピソードが紹介されている。

ネパール旅行のガイドとして知り合ったクリシュナは、日本で勉強をして、ネパールの子どもたちに教育を受けさせることに一生を捧げたいのだと、今野さんに支援を懇願する。クリシュナの真剣さに打たれた今野さんは、煩雑な入国手続きを突破して彼を日本に招き、物心両面で支援した。『ベンチャーに生きる』にこんな一節がある。

あれから十年の歳月がたった。クリシュナが立ち上げて、理事長や校長を務めている学校が三十五校になっている。ネパールでは子供がひとり学校へ行くのに、何もかも含めて年間一万七千円かかるそうだ。NPOからも応援を得たりして、一万七千円集めては一人の子を学校に行かせ、また一万七千円集めては次の一人を行かせるという形で、これまでに一万人余の子供たちを就学させてきた。(177ページ)

今野さんには、クリシュナのような「息子たち」が世界中に何人もいるという。だから、貯金も資産も持ってはいないが、老後の不安は一切ないというのである。

クリシュナさんと。
クリシュナさんと。
人生の支え

「先日、明け方に大きな地震があった時、息子のひとりから国際電話がかかってきた。『お母さん、日本は地震も多いし、津波も来るから、僕の国に来てくれ。日本はお母さんのことを大事にしていないよ』って(笑)。国名を聞いたらみなさんギョッとするような国の人が、こんなことを言ってくれるんです」

だから、この先何があっても、少なくとも飢えて死ぬことだけはないだろう。誰かが食事の世話ぐらいはしてくれるだろうと今野さんは言う。

今野由梨さん

こうした人との繋がり、人脈が、今野さんの最強のビジネスツールであると同時に、人生の支えにもなっている。

「日本は世界第2位、第3位の経済大国なんてことになったけれど、自分だけ、自分の家だけ豊かになればいいという気持ちを育て過ぎた。自分の家族が食べるものがないのに、わずかであっても町内の他の家に食糧を分けて置いてきた母には、私は、逆立ちしたってかなわないと思う。だって、いまの日本で飢えて死ぬということはまずないでしょう」

大切なのは、助け合える「友垣」を作ることだと今野さんは言う。経済よりも人との繋がりを大切にするマインドが当たり前ならば、子育ての風景も、働き方も、老後のありようも、ずいぶんと違ったものになるのかもしれない。

一流の正体見たり

最近、働く女性の間に出世を望まない人が増えているという。理由はさまざまだろうが、管理職や経営層になるメリットとデメリットを比較したら、デメリットの方が多いという判断をする人が増えてきたということかもしれない。

「あいかわらず、国も会社も男性が支配しているんだから、私としては、『もっとがんばれよー、なんでそんなに大人しくしているの』と言いたい。だって、上司だからといって、尊敬できる人物とは限らないでしょう。そんな男にかしずいて仕事をするの?『もっと本気を出せよー』と言いたいですね。何かを変えようと思ったら、あまりお利口さんにならない方がいいのよ」

いや、男社会の壁があまりにも厚く、それとの戦いから得られるものがあまりにも乏しく、しかもあまりにもエネルギーを消耗する戦いだからこそ、「お利口さん」になる道を選ぶ女性が増えているのではないのだろうか。

「私ね、ベンチャーをやってさんざん国からいじめられたのに、省庁の審議会の委員を50いくつもやらされたの。審議会ってわかる? ある分野に関する超一流の識者が集められて、その分野について議論をするのだけど、私はたくさんの超一流の人たちを見て、『あっ、正体を見た』と思ったし、『正体見たり!』と言いまくってきた。もちろん彼らにも、国のため、社会のため、人のために貢献しようという気持ちはあるのだろうけど、超一流のポジションを得るために、上の人の言うことに、従順に、素直に従ってきた人たちなんです。だから、私とは目指すものも、やってきたことも正反対。私は、黙れと言われても発言しちゃうしね(笑)」

悪いことをして叱られることで人間関係を築いてきた

男性優位の社会の中で、「黙らないこと」はストレスではないのだろうか。ストレスがあまりにも大きいからこそ、出世を望まない女性が増えているのではないか。

「私は、生い立ちが違うから。子どもの頃から悪いことたくさんして、叱られることで、地域のおじさんおばさんとの繋がりを作ってきた」

今野さんが語り出したのは、サツマイモ泥棒の話だ。

幼いある日、今野さんが近所の「悪ガキ」たちと遊んでいると、どうにもこうにもお腹が空いてしまった。ふと見ると、サツマイモ畑がある。おいしそうなサツマイモがチラリと土から顔を出している。我慢できずにみんなでそのサツマイモを掘ってかじろうとしたその時、農家のおじさんに見つかってしまった。

「おじさんが『こらー』って鍬を振り回しながら追いかけてきたんだけど、足の遅い私だけが捕まってしまった。『また、お前かー。逃げたのは何人だ』っておじさんが言うから、私を入れて7人ですって言ったら、丸々としたサツマイモをぴったり7本くれた。『持って行け』って。それでも二度と来るなとは言わないのね」

今野さんは「悪いことをして叱られる」を通して、人間の繋がりは深まっていくのだと言う。上司が不条理なこと、腑に落ちないことを言ったら、後先考えずにとにかく反論した方がいい。トラブルを起こせばいい。そこからしか、長く継続していく本物の人間関係は生まれない。

「一番正直なのは、直感ね。何かおかしいと直感的に思ったら、『部長、私はこう思っているんですけれどどうですか?』って言えばいい。腑に落ちないことにハイハイわかりましたなんて言っていると、審議会と同じことになっちゃう」

地位も名誉もお金も関係なく没頭できる仕事を

今野さんは55年間の仕事人生を通して、ハイヒールを履き続けてきた。87歳になった現在もハイヒールを履き続けている。まだ、やり残したことがあるのだろうか?

「私ね、ぺたんこの靴を履くと疲れちゃうの。世界博でニューヨークに行って、その後、世界を放浪した時もずっとハイヒールを履いていた。日本を代表するつもりで旅をしていたから、『貧乏国日本から来た女』とは思われたくなかった。尊い仕事って何だと思いますか? それは、地位も名誉もお金も関係なく、迷わずに没頭できること。それこそが尊い仕事。そういう価値観をこの国に作っていくことが、これからの私の仕事」

とりあえず、今野さんの「動物との交流記」が出版される日を、楽しみに待つことにしよう。

山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』 (朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。

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