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ファッションの大爆発。1997年のモード展をガリエラ宮で。

  • 2023.4.27

パリ市内や地下鉄駅構内、インパクトの強い展覧会のポスターが目につく。モデルが着ているのはコム デ ギャルソンの1997年春夏コレクション「Body Meets Dress, Dress Meets Body」。アーヴィング・ペンがアメリカン・ヴォーグ1997年4月号のために撮影した写真だ。

1997年のファッション界で何が起きたか?現在ガリエラ美術館の地上階で開催されている『1997Fashion Big Bang』展が、興奮と驚きに満ちた答えを教えてくれる。展覧会のタイトルに違わず、まさにここに展開されているのはファッションのビッグバンなのだ。モード史に残る偉大なクリエイションや話題の多くが、え、これも1997年?え、これも1997年?と、たった1年の間にまとまって起きていたことに驚かされる。また展覧会でも小さくスペースが割かれているが、ジャンニ・ヴェルサーチが暗殺され、ダイアナ王妃が亡くなったのも1997年の7月と8月の出来事。新世紀への突入を前に、実にさまざまなことが起きた年だったのだ。

展覧会を紹介しよう。会場となるのは3つの部屋と2つの小部屋で、時間軸で展開される。第1部は「1997年春夏プレタポルテコレクション」。第2部は「1997年春夏オートクチュールコレクション」、第3部は「1997~98年秋冬オートクチュールコレクション」、そして第4部は「1998年春夏プレタポルテコレクション」。つまり1996年10月から1997年10月までの1年間に発表されたクリエイションが一堂に会する展覧会である。会場入り口に用意されている小さな解説書に7つのセクションをわかりやすく説明されているので、これを手にして回るのがいいだろう。

第1室は1996年10月に発表された1997年春夏プレタポルテコレクションにおいて、注目すべき革新的な5つのブランドを展示。パリ市内でも見かけられる展覧会のメインビジュアルは、コム デ ギャルソンのコレクション「Body Meets Dress, Dress Meets Body」のギンガムチェックのドレスである。展覧会場で最初に来場者を出迎えるのも、このドレスだ。腰回りや肩などがまるでコブがついているかのように膨らんで身体をデフォルメしたドレスの登場が衝撃的だったコレクションで、人間の身体の美、理想の身体についての川久保玲の問いかけがあった。これについて、「実験的な服を見ることは、一種のメンタルな自由を見る人に生み出す」と彼女は語っている。

このショーが開催された前日の10月7日、メゾン・マルタン・マルジェラの1997年春夏コレクションの展示会が始まった。トルソーのメーカー「ストックマン」社のボディをテーマにトワルを素材にし、アトリエの作業工程のような未完成な服と見えるコレクション。ふたつのブランドによって、服とは?身体とは?という問いかけがなされたのだ。その右隣に展示されているのは、アン ドゥムルメステール。このシーズン、彼女はパティ・スミスに捧げるアンドロジナスなコレクションを発表した。そのまた右隣には10月12日にショーを行ったヨウジヤマモトがフランスのオートクチュールにオマージュを捧げたコレクションからの一体だ。パリで発表されたこれら4ブランドに加え、トム・フォードが1994年にアーティスティック・ディレクターに就任したグッチのコレクションからは有名なGストリングが。いまでいうところの “バズ”を巻き起こした水着は、展示とショーのビデオの両方で鑑賞できる。

左: コム デ ギャルソン、メゾン・マルタン・マルジェラ、アン・ドゥムルメステール、ヨウジヤマモトの1997年春夏コレクション。右: ミラノで発表されたトム・フォードによるグッチのコレクションから、Gストリング。photos:(左)©︎ Gautier Deblonde、(右)Mariko Omura

第2室は3つのセクションに分かれている。前の部屋で展示されている1997年春夏のプレタポルテは前年10月に発表されたもので、この第2室が取り上げるのは1997年の1月から夏までだ。華やかに1997年春夏クチュールコレクションが開催された1月。ディオールのアーティスティック・ディレクターに就任したジョン・ガリアーノ、ジバンシィで彼を後継したアレキサンダー・マックイーン、このふたりによる初のクチュールコレクションをクローズアップしている。フランスを代表するクチュールメゾンが英国人クリエイターによって活気を取り戻すのがこの年である。またジャン=ポール・ゴルチエの初のオートクチュールコレクション発表という話題もあった。この年、彼はリュック・ベッソン監督の『フィフス・エレメント』のコスチュームも手がけていて、会場ではその中の3ルックが展示されている。1992年に初クチュールコレクションをパリで披露したティエリー・ミュグレー。このシーズンは映画『ミクロコスモス』などにインスパイアされた“昆虫”がテーマのコレクションで、その奇妙なパワーがマスコミを大きく賑わした。

1997年1月に発表されたクチュールコレクションより。左: アレキサンダー・マックイーンによるジバンシィのファーストコレクション。右: ジャン=ポール・ゴルチエの初のクチュールコレクション(右)とガリアーノによるディオールのファーストコレクション。photos:(左)©︎ Gautier Deblonde、(右)Mariko Omura

左: ティエリー・ミュグレーのクチュールコレクション『インセクト』より。右: ミラ・ジョヴォヴィッチが主演したリュック・ベッソン監督の映画『フィフス・エレメント』のために、ファンタジーあふれるコスチュームをジャン=ポール・ゴルチエがデザインした。photos:(左)©︎ Gautier Deblonde、(右)Mariko Omura

この第2室の導入部では、ルイ・ヴィトンにプレタポルテ部門が生まれ、そのクリエイティブ・ディレクターにマーク・ジェイコブスが就任した話題も取り上げている。彼による1998年3月発表の最初のコレクションのためのデッサン、白いモノグラムバッグを展示。このスペースに隣接の小部屋が1997年2~3月のイベントを扱うセクション3で、伝説のコンセプトストアであるコレットのオープンにスペースが大きく割かれている。

次のセクション4は1997年春の出来事。主にプレタポルテについてである。3月に行われた1997~98年秋冬コレクションのパリコレから、アルベール・エルバズによる初のギ・ラロッシュのコレクションとマルティーヌ・シットボンの2体がならぶ。パリコレがひと段落したところで発表されたのは、マルタン・マルジェラがエルメスのクリエイティブ・ディレクターに任命されたことだ。1998~99年秋冬が彼による初コレクション。服のデッサンが壁を覆う中央に、1991年にエルメスに生まれた時計ケープコッドのブレスレットをマルタンが2重巻にした“ドゥブルトゥール"が展示されている。

このセクション4ではメンズの話題もふたつ。1995年にブランドを創設したラフ・シモンズによる1998年春夏コレクションの「Black Palms」だ。パリコレ参加2回目のショーで、パーム・ツリーのモチーフの服はコレクターズアイテムとなった。この展示の向かい側の壁では、エディ・スリマンのイヴ・サンローラン・メンズコレクションについて語られている。それによると1996年7月にメゾンのオーナーのピエール・ベルジェによってアーティスティック・ディレクターに任命され、初のコレクションが1997年7月に発表されたのだが、とても小規模な見せ方をしたためにビジュアルもあまり残されていない……と、なんの展示もなく壁は真っ黒の空間だ。

左・中: マルタン・マルジェラがエルメスのアーティスティック・ディレクターに就任。右: ラフ・シモンズの1998年春夏コレクション。この脇の壁にはフィリップ=ロルカ・ディコルシアの写真を展示している。向かいの黒い壁はエディ・スリマンのイヴ・サンローラン・オムのファーストコレクションに捧げられ、Satoshi Saikusa撮影のモノクロ写真が展示されていたが、エディ・スリマンの希望により展示から外された。photos:Mariko Omura

1997年7月にはオートクチュールの秋冬コレクションが発表された。会場に展示されているのは、アレキサンダー・マックイーンによるジバンシィの2度目のクチュールコレクション「Eclect Dissect」、そしてクリスチャン・ラクロワによる10周年記念クチュールコレクションだ。さらにジャンニ・ヴェルサーチ自身による最後のコレクションからも2体が。このセクション5に隣接した小部屋には、ヴェルサーチの死、ダイアナ妃の死、そしてジャン=シャルル・ドゥ・カステルバジャックがデザインした法王の祭儀の話題がまとめられている。1997年7月6日、ジャンニ・ヴェルサーチはオートクチュールコレクションをいつも通りリッツ・ホテルのプールで開催し、その9日後にマイアミの自宅前で暗殺されてしまう。そして7月22日に行われた彼の葬儀に参列したダイアナ妃が、まさか翌月の8月31日に事故で亡くなることになるとは、誰が想像しただろう。会場内の黒い小部屋では、ふたりの葬儀の映像が小さなモニターに流されている。

左: ジョルジオ・アルマーニがダイアナ妃のために制作していたドレスは試着されることなく終わった。彼女が亡くなった数日後、そのクロッキーがプレスに発表された。右: ジャン=シャルル・ドゥ・カステルバジャックが法王ジャン=ポール3世のためにデザインした上祭服。photos:(左)Mariko Omura、(右)© Antonio Ribeiro / GAMMA RAPHO

第3室を占める、最後となるセクション7は1997年10月に発表された1998年春夏プレタポルテコレクションだ。 このシーズン、パリコレを席巻するのは外国人クリエイターたちである。アメリカ人ジェレミー・スコットが「rich white women」の真っ白いコレクションを発表する一方、ベルギーからの新風が吹く。オリヴィエ・ティスケンス、ヴェロニク・ブランキーノ、ジョゼフュス・ティミステールといったベルギー勢がロマンティック&ゴシックな黒のコレクションでパリを満たしたのだ。25歳の英国人ステラ・マッカートニーは、フランス・ブランドの中でもとりわけフランス的なクロエのクリエイティブ・ディレクターとして初コレクションを発表。このセクションでフランス人クリエイターとして唯一気を吐いているのがニコラ・ジェスキエールである。1997年にジョセフュス・ティミステールの後任としてバレンシアガのアーティスティック・ディレクターに任命された彼による初のコレクションから3点を展示。会場の床に設置された大スクリーンでは、パフォーマンス形式のショーで毎シーズン話題を提供したフセイン・チャラヤンのコレクションが鑑賞できる。

1997年10月に発表された1998年春夏コレクションから、左はステラ・マッカートニーによるクロエの初のコレクション。右はジェレミー・スコットのコレクション「Rich White Women」。photo:©︎ Gautier Deblonde

左: ヴェロニク・ブランキーノのデビューコレクション(左)とオリヴィエ・ティスケンスのデビューコレクション。右: ニコラ・ジェスキエールによるバレンシアガのファーストコレクション。photos:(左)Mariko Omura、(右)©︎ Gautier Deblonde

このセクション7で大きくスペースが割かれているのは、マーサ・カニンガム創作のバレエ『Scénario』のために川久保玲がデザインした衣装だ。第1部で紹介されている1996年10月8日に発表された「Body meets Dress, Dresse meets Body」にインスパイアされたコスチューム。衣装でデフォルメされたダンサーたちの身体が踊るコンテンポラリーバレエで、1997年10月14日にニューヨークで初演され、パリのオペラ・ガルニエでも1998年1月に11公演が行われた。川久保玲は衣装だけでなく、カワサキタカオとともに空間デザインも手がけた。また遠近感のないフラットな印象を与える照明のアイデアも彼女によるものだった。展示されている8体のコスチュームを見ながら、ステージを想像してみよう。これが『1997年 ファッション・ビッグバン』展を締めくくる。

会場のつくりはサークルをなしていて、このステージ衣装と最初のセクションのコム デ ギャルソンのワンピースがループをなしている。見ごたえのある展覧会だ。再び会場を一周して1年間に生まれたエネルギーあふれるクリエイションを文字を読まずに鑑賞することで、1997年のビッグバンの衝撃をより強く感じることができるだろう。

1997年にマーサ・カニンガムが創作したバレエ『Scénario』の衣装とセノグラフィーは川久保玲が担当。オペラ・ガルニエで1998年1月6日〜17日にマーサ・カニンガム・カンパニーによって11回踊られた。この展示のために美術館が取り寄せたのは、ドイツに保存されていたセカンド・セットのコスチュームだそうだ。photo:©︎ Gautier Deblonde

『1997 Fashion Big Bang』会期:開催中~2023年7月16日Palais Galliera10, avenue Pierre 1er de Serbie75116 Paris開)10:00~18:00休)月、5月1日料金:15ユーロ(予約が望ましい)www.palaisgalliera.paris.fr

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