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「青天白日」とはどんな意味の四字熟語?「青天白日」の由来や類義語は?

  • 2023.4.23
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後ろめたいことが何もないことの例え、それが「青天白日(せいてんはくじつ)」です。 これらは心にやましいことがないことの例えとしても使用されます。 しかし、なぜそれを「青天白日」と表現するのでしょうか。

今回はそれら「青天白日」がどのような言葉なのかを解説します。 ここでは特にその意味はもちろん成り立ちや類義語についても説明します。

「青天白日」とは

まずは「青天白日」の意味について見ていきましょう。

「青天白日」の意味

「青天白日」とは後ろめたいことが何もないことの例えです。 これらは心にやましいことがないことを意味する表現です。 また、まったくの疑いがないことも意味します。

その他、無実であることが明らかになることも指します。 中でも、疑いが晴れることを表す際に使用されることも多いです。

ちなみに、これら「青天白日」はよく晴れた青空と白く輝く太陽から転じた表現とされています。

「青天白日」の由来

では、これらの言葉はどこから来た表現なのでしょうか。 ここからは「青天白日」の成り立ちについて見ていきましょう。

「青天」と「白日」があらわすもの

まずは「青天白日」をそれぞれ分解して理解を深めましょう。 ここでは「青天」と「白日」それぞれの意味をまとめます。

「青天」は晴れ渡った青空のことを意味します。 「白日」は輝いて白い太陽のことを意味する言葉です。

それら青空や太陽に例えた表現、それが「青天白日」となります。 つまり、もともとはどちらも青空や太陽のことを表していた言葉だったわけです。

出典は「韓愈」の美しい景色を詠んだ詩から

「青天白日」は唐代の詩人、韓愈の詩「崔群に与ふる書」にちなむとされています。

崔群とは韓愈が優秀だと認めている友人の1人のことです。

ある日、崔群に対して「崔群は確かに立派な人物ではあるが、みんなが彼を誉めるのは変だろう」と批判する人が現れました。 それに対し、韓愈は「別に変ではないだろう」と反論したのです。

その際「鳳凰や芝草は誰もがめでたいものと認めている。また、青天白日は奴隷さえもその晴れやかさを知っているものだ」と語ったとされています。

つまり「青空や太陽が晴れやかなのが当たり前であるのと同じく、崔群が立派なのは一目瞭然でみんなが褒めるのも当然だ」と反論した形となります。

そこから「青天白日」という言葉が広まったわけです。 そして、次第に現在のような意味を含むようになったと考えられています。

「晴天」ではないので注意!

「青天白日」は「白日青天」という別の表現もあります。 どちらも意味は変わらないので、どちらを使用しても問題はないでしょう。

ただし、漢字間違いには注意しなくてはなりません。 同じく「せいてん」と読む漢字には「晴天」もあります。 しかし「晴天白日」と書くのは誤りとなります。

「青天白日」の類義語

最後に「青天白日」の類義語について見ていきましょう。

清廉潔白

「清廉潔白」とは心持ちや立ち振る舞いや清くて正しいことの例えです。 特に後ろめたいところが何1つない様子のことを指します。

「清廉」は私利私欲がなく、けじめがついている様子のことです。 「潔白」は心身や言動が綺麗で、やましいところがない様子のことを意味します。

これは疑いようのないほどに素晴らしい人物などを例えた表現としても使用されます。

それらの点が「青天白日」と重なるものがあるのではないでしょうか。

品行方正

「品行方正」とは行いがきちんとしていることの例えです。 特に身持ちが良く、立派である様子のことを表します。

「品行」は道徳的見地から見た言動のことです。 「方正」はきちんとしていて正しい様子のことを意味します。

つまりはその人の人と成りを表現した言葉なのです。 その点が「青天白日」に通ずるのではないでしょうか。

まとめ

「青天白日」は後ろめたいことが何もないことの例えです。 これらは心にやましいことがないことの例えでもあります。 また、無実が証明されることなど、疑いが晴れるという意味も含まれています。

この「青天白日」は古代中国のエピソードから生まれた言葉です。 特に友人を擁護するために使用された言葉とされています。 その話も含め、ぜひこの四字熟語を覚えておきましょう。

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