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平穏な村で味わうシェーブルチーズとワイン|世界の旅②

  • 2023.4.22

旅行作家の石田ゆうすけさんは、フランス南部の村を訪れた際に1人のアジア系の男性と出会いました。シェーブルチーズとワインを楽しむ彼から聞いた忘れられない話とは――。

平穏な村で味わうシェーブルチーズとワイン|世界の旅②

■少し奇妙な外国人

晩酌にワインを飲むのが日々の習慣になっているのだが、フランス南部でのある経験が、もしかしたら意識下で影響しているのかもしれない。
自転車で世界を旅していたときのことだ。
フランス南部のその小さな村に着くと、山の頂に古城が見えた。山を登って見にいこうかと思い、自転車を安全に置ける場所を探す。
犬の散歩中の人と目が合い、おや?と思った。アジア系の男性だ。なぜこんな田舎に?
あとで聞いて知ったことだが、この村の人口はわずか19人らしい。フランスでなくても、そんな小さなコミュニティに肌の色の違う外国人がいるのは少し奇妙な感じがする。

荷物を山積みにした僕の自転車を見て、彼は「どこから来たんだい?」と英語で話しかけてきた。僕は自分の素性を話しながら、どこかで身構えていた。アジア系であること以上に、彼にはかなり特殊な雰囲気があったからだ。40代半ばぐらいに見えるが、細かいちりめんじわが顔中に刻まれ、そのうえ右頬には蚤でえぐられたような深い傷があった。なんか怖いな。一度そう思うと、微笑んでいる彼の目の奥に鋭い光が潜んでいるようにも見え、どこか油断ならない感じがした。
だから、「城を見にいくのなら私の家に自転車を置けばいいよ」と彼が言ったとき、僕はすぐに返事ができなかった。
そこへおばさんが通りがかり、彼とおしゃべりを始めた。懇意の仲らしく、2人ともほがらかに笑っている。
大丈夫かな、と思った。

山の上の古城
山の上の古城

城を見学して帰ってくるころにはすでに日が暮れかかっていた。彼は僕を家に招いた。古い小さな家だった。長いあいだ空き家だった家を改修して住んでいるらしい。スピーカーからクラシック音楽が静かに流れている。
家にはインド系の小柄な女性がいた。
「スリランカから来たんだ。彼女とは友人を介して文通から始めてね、それからこっちに呼んで結婚したんだ」
彼女は注意深そうな目で僕を見ている。
「で、私はカンボジア人で、2人はフランスの山村に住んでいる」
彼はそう言って笑った。

奥さんはコーヒーをリビングに持ってきて、そのまま彼の隣に座った。表情は少しやわらいでいた。彼はコーヒーを飲みながら「このあたりの見どころを教えてあげよう」と地図を広げた。そのとき初めて彼の右手の異常に気付いた。ギョッとしなかったといったら嘘になる。指が2本しかなかったのだ。

彼は僕の視線を見て、かすかに笑った。顔中のしわがより深くなる。
「地雷にやられたんだよ」
「.........」
そのあと彼の口から語られた話に僕は息を呑み、相槌を打つのも忘れていた。
彼はカンボジアの華僑だった。23歳のとき、ポルポト派の弾圧を受け、国外脱出をはかった。ところがタイを目前にして、仲間が地雷を踏んだ。
意識が戻ったのは翌日だった。右手の指を3本失い、胸、腕、右頬に深い傷を負い、8人の仲間のうち3人が死んでいた。歩くこともかなわず、ジャングルの中でひたすら救助を待った。
翌日、同じく国外脱出を試みるグループに発見されたが、彼らとて、皮膚がただれ、悪臭のすさまじい怪我人を助ける余裕はなかった。彼らは置き去りにされた。

「タイ軍のヘリが救出にやってきたのはそれから2日後さ。無事に逃げきった先のグループが連絡してくれたんだ」
彼は左手で右手を包むようになでながら言った。
3本の指がちぎれた手を見ながら、彼は3日間どんな思いで過ごしたんだろう。顔中のしわに目を移した。年齢に比して異様なほど大量のしわは、もしかしたら指が2本しかない右手以上に、事実の凄惨さを物語っているのかもしれなかった。

彼はしばらくパリにいたが、都会に疲れてこの村に移り住んできたらしい。彼の右手とえぐられた右頬を見る都会の人々の目を思った。あるいは彼の顔のしわは、人々の容赦ない視線によって刻まれたものか......。
人口19人のこの村なら、みんな彼の事情を知っている。よけいな気苦労をしなくて済むに違いない。近所のおばさんと立ち話をしている彼の笑顔が脳裏をよぎった。

外はすっかり暗くなっていた。彼の勧めで晩飯もごちそうになった。
カンボジア生まれの中国人とスリランカ人女性が住むフランスの家、そんなコスモポリタンな空間で出された料理はじゃがいもと大蒜の炒め物、パンとレバーパテ、そしてインスタントラーメンだった。
食事のあと、シェーブルチーズ(山羊乳のチーズ)とワインが出てきた。
「好きでね。音楽を聴きながらこれをやるのが一日の楽しみなんだ」
彼はそう言って微笑んだ。

シェーブルチーズのかすかな獣臭とクリーミーなコクを、果実味のある赤ワインで溶かしながら、スピーカーからの音に身を任せた。壮絶な半生のあと、ようやく迎えた平穏な世界で彼が手に入れた愉楽が、これなのだ。深い静寂の中、シンフォニーが水のようになめらかに流れていく。四方を山に囲まれた村は、この"1日の楽しみ"を味わうのにも最適だろうな。僕はほんのり酔った頭で、そんなことを考えていた。

文:石田ゆうすけ 写真:水島優

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