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「トイレがある階に行きたいのに優先エレベーターに乗れない」車椅子ユーザーの嘆きはなぜ叩かれるのか

  • 2023.4.21

ユーチューバーの渋谷真子さんや、車椅子インフルエンサーの中嶋涼子さんが昨年、ツイッターで、トイレのある階に行きたいのにエレベーターに乗れず困った様子を投稿し、議論になった。ベビーカーで、エレベーターに乗れず困った経験があるという漫画家の田房永子さんは「『優先エレベーターを譲る』という行為はかなり高度な技術が要る。必要な人のためにエレベーターのスペースを譲り合えるようになるためには、まずやるべきことがある」という――。

エレベーターを待つ車椅子に乗った人
※写真はイメージです
「優先エレベーター」を巡るネット上の争い

駅やデパートにある、優先エレベーター。

昔はなかったのに、いつの間にやら設置され今やどこでも見かけます。その必要性、重要性を誰もが均一に知る機会を取り逃したまま……。それゆえ、ネット上で要らぬ争いに発展することもあります。

国土交通省のサイトにある優先エレベーター啓発ポスターによると「エレベーター以外の移動が難しい方がいます。優先利用にご理解ください」とあります。

国土交通省 エレベーター利用円滑化ポスター(2021年2月)
国土交通省 エレベーター利用円滑化ポスター(2021年2月)

車椅子ユーザー、高齢者、妊婦、けがをしている人、障害のある人、乳幼児を連れた人、内部障害のある人、ベビーカーのピクトグラムとヘルプマーク、マタニティマークが描かれ、イラストにはスーツケースを持った人たちの姿もあります。

つまり階段とエスカレーターを物理的に使用することができない人、または、危険なので使用すべきではない人、使用しないほうがいい人、が優先されるエレベーターということです。

しかしこれを巡ってネット上ではしばしば争いが起きます。

車椅子ユーザーやベビーカー利用者が乗ろうとしても「満員で乗ることができず、誰も譲ってくれないため、何十分も待った」という話を当事者がSNSに書き込む。本来の利用の仕方を知ってほしいという意図で声を上げているのに、なぜかその当人が叩かれ炎上する。それらはもはやお決まりパターンのようになってしまっています。

私も3年前までベビーカー利用者で、優先エレベーターを使おうとしても乗れなかったことが何回もありました。

その経験から「優先エレベーターを譲る」という行為はかなり高度な技術を要することである、と感じていました。しかし譲り方の具体的な指示や講習は存在せず、ただエレベーターに「お譲りください」と書かれたシールが貼ってあるだけ。これでは多くの人が「優先エレベーターを譲る行為」ができないのは当たり前である、とここでは言い切りたいと思います。

エレベーターを譲ることの難しさ

優先エレベーターを譲るのは、なぜ難しいのか。

例えば「優先席」は、1人の高齢者が乗車してきたら、1人の乗客が1人分の席を譲る、という動作で済みます。

だけど優先エレベーターで1人の車椅子または1人のベビーカー利用者に譲るためには「スペースを空ける」という行動が必要になります。少なくても2人、場合によっては3人か4人ほどが降りるか、乗ることを控える、という動作が必要になるわけです。

まず、この2~4人全員が「車椅子またはベビーカーユーザーはエスカレーターや階段が物理的に使えないから、譲るべきである。そしてそれを私は実行する」という意識がないとその行動になりません。

さらに難しいのは、この意識がある人が3人いたとしても、それで良いわけではないこと。その3人が空けたスペースに、全く別の人がやって来て駆け足でスッと乗ってしまうことがあります。その駆け足で乗ったのが1人であっても、車椅子またはベビーカーが乗ることのできる広さが欠けてしまうので、車椅子やベビーカーは乗れなくなってしまうのです。

優先席と優先エレベーターを譲るときの違いのイラスト

2人が降りてスペースを空けてくれて、車椅子またはベビーカーユーザーが乗り込もうとしている間に、悪気なく別の1人が乗ってしまい、「あ……」と思ってるうちにドアが閉まって上に行ってしまう。そういう光景は実際にしょっちゅうありました。

この場合の「悪気のない別の1人」にとっては、「エレベーターに乗っただけ」のこと。車椅子やベビーカーユーザーはエレベーターを待つ時、人の出入りの妨げにならないよう、ドアのギリギリ近くまで寄らないことが多い。スペースを譲ってもらうには複数の人がドアから出なければいけないわけで、その時に入り口をふさがないよう、少し離れたところにいる。その様子を「乗るつもりがない」と判断されてしまうことが多々あるように感じます。

電車やバスの「優先席」との違い

電車やバスの優先席は、私たち40代世代も子どもの頃からそれとなく「席を譲りましょう」と教えられ、譲る大人たちのやり方を見たり、議論したり模索する機会がありました。優先席はそういった土台がある上に、次の停車までの数分の猶予があります。考える時間や動作までの決意の時間が少しとれます。

しかし優先エレベーターは、利用者が操作する「ドアの開閉」に出発のタイミングのすべてがかかっています。

だから満員のエレベーターに途中階から優先者が乗ろうとしていることが分かっても「えっとこれは譲るべきなのか?」と思っている間にドアが閉まってしまうこともある。

優先エレベーターを譲るには、優先席よりもさらに強めの瞬発力と機動力が必要なのです。さらにそこでその力が自分1人にあっても、他の人が察してスペースを空けることに協力してくれなければ、車椅子やベビーカーを乗せることなくそのエレベーターのドアは閉まります。

つまり、優先エレベーターで優先者を優先する、という行動は以下のことが要求されると言えます。

・優先エレベーターの譲り方の知識と「譲ろう」という意識を持っていること
・見知らぬ人たち同士、複数による臨機応変の連携プレー
・俊敏な判断と実行力

これはかなり高度で難しいことです。

だけど国土交通省のポスターには「お先にどうぞの一言を」とか「エレベーター以外の移動が難しい方がいます」とか「優先利用にご理解ください」という文言だけが載っています。具体的にどうしたらいいか、は書いてありません。

街にある優先エレベーターも同様で、お客さんたちの「ご協力」と「ご理解」にすべてを委ねている状態。

この呼びかけのみで、あの難易度激高な連携プレー技をみんなにやってもらうというのは、とんでもなく無理があります。

「乗ります」アピールも難しい

ネットを見ていると、「車椅子ユーザー、ベビーカーユーザーが『乗ります』と声をかければいい」とか、「グイグイ乗りますアピールをすればいい」いう意見もよく見ます。

しかし実際それは、中に乗っている人たちへの「あなたが代わりに降りてください」「次のエレベーターを待ってください」という意味になります。

電車やバスなら椅子を譲って座れなくなったとしても「目的地まで移動すること」まで譲ることにはなりません。しかしエレベーターで譲るというのは「目的地まで移動すること」自体を譲ってもらう、ということになります。それも言いづらさに大きく関わっています。

優先席と優先エレベーターを譲るときの違いのイラスト

ほとんどの人にとって、「この方に譲るために、私だけではなくあなたも降りましょうよ。次のエレベーターを待ちましょうよ」と全く知らない人に声をかけるのは難しい。優先者にとってもそれは全く同じで、これほど言いづらいことはない。言いづらいからこそ、優先エレベーターという存在があるわけだし。

動作自体が複雑で、状況的にも難易度が高い、さらにそれを誰も習ったことがない。そんな要素が重なって結果的に、誰も悪意がないのに「優先されるべき人が優先されない」という悲しすぎる作業をみんなで成し遂げちゃっている、それが現状ではないかと思います。

指示されると動けるが…

今年3月、大阪の阪急うめだ本店では優先エレベーターに優先される人が乗れるよう、店員が「優先の方が来ましたので他の方は降りてください」と声をかけて降車を促している、という記事がニュースになっていました。

店員や駅員ポジションの人から指示されるとみんなサッと動ける。それでも「なんでそんなことを指図されなきゃいけないんだ」となってしまう人もいるようです。

譲り方はもちろん、必要性すら教わっていないので、優先エレベーターを使用しないとならない経験のない人の中には「そもそもどうして優先しなきゃいけないんだ」という感情が生まれるのも致し方ないのかもしれない。

必要なのは「知らせること」「知ること」

街にいる人はだいたいみんな、いい人です。「自分は基本的に善良な人間である」と自認している人がほとんど。そこに「みなさまの善意」に頼る形のアナウンスがされている優先エレベーター。しかし詳しい使い方は実は知らない。知らされていないので無自覚です。

自分は何も悪いことをしていないつもりで街から家に帰ってきて、ネットを見たら「譲ってもらえなくて困った」という文言が目に入ったら、罪悪感が湧いたり「あなたは譲ってくれない」と自分が責められているように感じてしまうってことがあるんじゃないだろうか、と私の勝手な想像なのですが、思います。そこで湧いた困惑や憤りが、発言者に向いてしまうこともあるのではないかな、と。

優先エレベーターを必要とする人への理解や、優先エレベーターの重要さ、そして譲り方のレクチャーを学校や職場やどこかでしっかり教わる機会が30分でもあれば、みんな納得してスムーズに気持ちよく優先エレベーターを利用することができるのではないか、と思います。

そう思うのは私自身もベビーカーユーザーになるまで、優先エレベーターの重要性に全く無頓着だったから。

「誰もちゃんと教えてもらってないんだから仕方ない」。そういったん開き直って、「無知、無頓着なことを責められている」と捉える方向ではなく、「知らせることと知ること」に注目すれば、みんなの優しさパワーが発揮されるんじゃないか、そんな風に思います。

田房 永子(たぶさ・えいこ)
漫画家
1978年東京都生まれ。2001年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞(青林工藝舎)。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を2012年に刊行、ベストセラーとなる。ほかの主な著書に『キレる私をやめたい』(竹書房)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(河出書房新社)、『しんどい母から逃げる!!』(小学館)などがある。

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