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内田有紀さん「20代の頃に夢見ていた40代になれた」 俳優デビュー30周年を越えて

  • 2023.5.11
朝日新聞telling,(テリング)

年を重ねることを栄養にして

――昨年、俳優デビューから30年。デビュー当初、「内田有紀 夜空にYOU KISS!」(ニッポン放送)といったラジオにレギュラー出演されていたのも、同世代としては印象的です。

内田: 若かりし頃の話ですね。気軽に話せるラジオということもあり私自身も楽しく過ごしていました。そのときの経験のおかげで現在の私があります。だから、過去の自分を振り返って、しっかりしなきゃいけなかったと反省したりする時も今でもありますが、私は自分の足跡を大切に、抱きしめながら生きています。たくさんの方にこれまでお世話になり、今もお仕事ができている。全身全霊で感謝を返しているような気持ちでいます。

――20代後半から40代前半のtelling,読者の中には、年を重ねることが怖いという人もいます。内田さんはいかがでしょうか。

内田: 私は若い頃からお仕事をさせていただいていることもあり、年を重ねることを栄養にしています。それに“元気の源”みたいな方ばかりにお会いしてきたという「幸せ」もある。だから、年齢を重ねるのを怖いと思ったことはないんです。

出会った諸先輩方はみなさん、苦しいことがあっても、それを乗り越えるパワーを持っていた。その姿を見ていたから私も、立ち止まったり、つまずいたり、転んでしまったりした時でも、必ず立ち上がれると信じることができた。お手本である先輩方に恵まれたのだと思います。

――ロールモデルのような人がいた?

内田: 数えきれないほどの業界の方。表に出ている方ばかりではなく、メイクさんやスタイリストさん、美術さん、そしてスタッフの方……。とにかくたくさん、素晴らしい方と出会うことができました。

朝日新聞telling,(テリング)

――内田さんは「奇跡の○○歳」といった言われ方をされます。ご自身では、どのように?

内田: 最初に言われ始めた頃は恥ずかしかったんですけど、今では純粋に「ありがとう」という気持ち。年を重ねてそんなふうに言われるのは幸せなことです。

日本では謙遜するのが美徳とされていて、年相応や分相応が好まれる。もちろんそれも大事なこと。それでも、こんなに年を重ねても「奇跡の○○」と言われるならば、そのこと自体を「自身の栄養にしたい」と今は思っています。

一方で、「奇跡の○○」は目標ではない。年はナチュラルに重ねるものなので、「みなさん、おおらかにこれからの私を見ていてください」というのが率直な気持ちですね。

無理をするより心の底から思うことを

――telling,世代の女性の中には、「やりたいことが見つからない」「挑戦したいけれど、一歩を踏み出せない」という人も。特に今年はコロナ禍から日常に戻りつつある中で、“踏みだし時”でもあります。

内田: 私は臆病なところもたくさんある。頭の中で「やりたい」「一歩踏み出したい」と思っても、周りの顔色を見たり、怖がったりしてきた。それに私は体育会系の部分があり、頑張りすぎてしまう。頼まれると「はい」って言ってしまうタイプでもあって……。そんな私でも、自分にうそをついて無理に誰かに合わせたり、自分を変えたりということはしてこなかった。

心が思った方向に人生は向くのではないでしょうか。年を重ねた今、無理に何かをするよりは、心の底から思うことをする方が重要だと思うようになりました。足先が向いている方向に自然に歩くことができるように、人生も思った方に進んでいくことができる――。だから大事なのは念じる、そして、心が向く方向を意識すること。

私が言えるのは、それだけです。心が強くない私は、そうやって生きてきて今、20代の頃に自分が夢見ていた40代になれている気がします。当時は笑顔で、そして健康で、感謝しながら仕事ができればいいなと、思っていましたから。

朝日新聞telling,(テリング)

――本格的な人生100年時代をすると、48歳の内田さんはまもなく折り返し。これからしてみたいことは?

内田: 仕事は変わらず、いろんな方と出会って、様々な作品に携わっていきたい。そのバイタリティはすごくあります。一方で、自然と触れ合うのがすごく好きなので、天気がいい日に海が見える場所でキャンプをしたいですね。キャンプして、絶景の海を見ながら、美味しいものを食べる。それが今の希望ですね。

※写真はすべて、WOWOW提供

■岩田智博のプロフィール
ハイボールと阪神タイガースを愛するアラフォーおひとりさま。神戸で生まれ育ち、学生時代は高知、千葉、名古屋と国内を転々……。雑誌で週刊朝日とAERA、新聞では文化部と社会部などを経験し、現在telling,編集部。20年以上の1人暮らしを経て、そろそろ限界を感じています。

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