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「子どもの前で死ぬな!」信仰では救われず泣き暮らした末に命を絶った母に宗教2世の娘が抱いた怒り

  • 2023.4.19

日蓮聖人を信仰する法華経系の仏教団体であり、公称約800万世帯の在家信者がいる創価学会。聖教新聞や大学などの教育機関を有し、公明党の支持母体にもなっている。漫画家の菊池真理子さんは「母親は“学会”の活動に奔走するあまり、私たちをネグレクトした上に、自殺してしまった。大人になっても母のことを可哀そうな人だと思っていたが、今は改めて怒りを感じている」という――。

※本稿は、横道誠(編)『信仰から解放されない子どもたち』(明石書店)の一部を再編集したものです。

漫画=菊池真理子、『信仰から解放されない子どもたち』より
漫画=菊池真理子、『信仰から解放されない子どもたち』より
信仰熱心な母と入信しなかった父の間に生まれて

母が創価学会員でした。岩手県の出身で、母が中学校2年生ぐらいのとき、母の兄、つまり私の伯父がもう治らないかもしれないと言われるような大怪我を足に負いました。それで伯父が創価学会に入信して、勤行をしていたら、怪我が治ったそうです。母はそれを見て、これは本当に信じていいものだと思ったらしくて、自分でも創価学会に入信して、そのあとに自分の兄弟姉妹や親を折伏しゃくぶくして創価学会に入れたという経緯があります。中学時代から、黒板に雲の絵を描いて、そこから雨が降っている様子の絵にして、「ご本尊様というのはこの恵みの雨のようなものです」とクラスで発表するような熱心な信者だったようです。

世俗的なことには興味がない人で、西城秀樹のファンだったという側面はありますが(笑)、ほかには何が好きかはほとんど聞いたことがありません。創価学会の信仰にまっしぐらです。この母の娘として、私は宗教2世でした。

両親の結婚式に父の親戚は誰も来ていなかった

父と母は同じ中学校の出身です。母は父より学年がひとつ下でした。父は学校でわりと目立っていて、生徒会長をやっていたので、母は父を知っていて、父は母を知らないという状況だったんです。そのあと父は進学校の高校に進んで、母は商業高校に通ったと聞きました。そのまま離れてしまったわけですが、おとなになって東京に出てきたときに偶然再会しました。父が勤めていた会社に母も事務員として入ってきて、それで母のほうが「生徒会長の先輩だ!」とびっくりして、母からアタックしたという経緯があります。

それから、いったいどんな事情があったかは知らないのですが、父は母の言うことを聞かなくてはいけないような状況になったらしく、父には恋人がいたのになぜか母と結婚することになりました。母は父に創価学会に入信してくれと頼んで、一度は父もそうすると約束したらしいんです。なので、おそらくそのせいだと思うのですが、両親の結婚式の写真を見ると、父方の親戚は誰も来てないんですね。母方の親戚、親戚というか家族兄弟だけが来ている。ふたりは結婚しましたが、結局、父は約束を破って入信せずに、母だけが熱心で、父は母の信仰に反対するというのが、私が生まれた段階での夫婦の関係です。

私は東京で生まれましたが、3歳のときに埼玉県に引っ越して、それからいまに至るまでずっと埼玉です。3歳下の妹がいて、いまでも姉妹一緒に住んでいます。

母は宗教活動で家を空けネグレクト状態で育った

子どもの頃は座談会という行事に連れて行かれて、一緒にご本尊様のまつられている仏壇にお祈りを捧げる、お題目するということを日常的にやっていました。母はほとんど宗教活動に時間を取られていたため、私と妹はほぼネグレクトのような状態でした。私もまだ幼かったから、記憶違いもいろいろあるかもしれないのですが、母は夜にほとんど家にいませんでした。学校から私たちが帰ってくる時間には不在です。ご飯を作りに一度は帰ってきてくれるのですが、食べおわると、また母は一人で出て行く、たまに私と妹も連れられていく、というのが基本的なスタイルです。でも多くの夜は、私と妹とふたりだけで過ごしていました。

父は仕事人間、プラスお酒の飲み会があると絶対に参加して、帰ってくるのはほとんど「午前様」状態だったので、小さい頃は父に会う時間が少なかったです。週末になると、父の友だちがうちに集まってきて、土曜日と日曜日はずっと麻雀をしながらお酒を飲んでいました。麻雀をしている横でも母がお題目をあげているという奇妙な状況の中で、私と妹はふたりで部屋にこもってマンガを描いていました。これが小学校時代です。

「池田先生」と崇拝する母にはついていけなかった

母は熱心に池田大作さんを信仰していました。仏や日蓮ではなくて、なんといっても池田さん。座談会では、御書の勉強といって日蓮さんの勉強をしていたはずですけど、でもみんな、ちゃんと勉強していたのでしょうか……。うっすら勉強はしていた記憶もあるのですが、基本的にはいつも「池田先生、池田先生」でしたね。池田先生を称える歌を、私たちも無理に歌わされていました。

勤行をあげろとか、題目しろということは、いつも言われていました。ただ正座をして30分とか1時間とか、お題目をあげるのは子どもにはとてもきつかったので、私はすごくサボっていました。ですから、宗教活動をもっとしっかりしろと、ほかの宗教2世ほど言われていないのかもしれません。母からは、「絶対に人の悪口を言ってはいけない」とか「誰かに対して怒ってはいけない」「嘘をついてはいけない」「姉妹喧嘩はだめ」などとしつけられました。わりと普通のことなので、逆にそれは宗教の教えなのか母の教えなのか、私には区別がついていない点が多いんです。

納得できる答えをくれない学会のおとなたちにもやもや

日曜日になると、少年部という集まりに連れて行かれて、時間を取られる。午前中だけだったので、そんなに長時間を潰されたということでもないんですが、とても嫌でした。学年があがって、集まりでおとなたちが話していることに反論すると、すべて宗教用語で丸めこまれるのはおかしいと思っていました。創価学会のいわゆるご本尊様は紙なんですが、私が「ただの紙じゃないんですか?」「なんで紙に力があるんですか?」と質問したら、「うっ」とみんな言葉に詰まったあとで、「普通の紙とお金は違いますよね。紙幣は違いますよね。それと同じようなことです」と返答するわけです。ちゃんとした答えをくれないことに、もやもやしました。

私の中にも、いまだに罰があたるという考えは残ってしまっているんですね。アダルトチルドレン、つまり親子関係がうまくいっていない機能不全家庭で育った人の周囲では、親から逃げろという原則が流通していますが、宗教が関わっていると親から逃げるのも大変だし、親や教団との関係を切って、家族としての交流は続けることもできない。親と自分という一対一の関係だけではなくて、背後に教団があるから何100万人対1ということになる。自分の心のうちにも罪とか罰とかの考えを取りこんでしまっているから、自分の人生を立てなおすのに、ものすごい余計な力を使わなくてはいけない。宗教2世は大変なことだらけです。

創価学会「広宣流布大誓堂」外観
創価学会「広宣流布大誓堂」外観 (写真=Sinhako/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
父との不和もあり母は1日中泣いて暮らすように

母が言っていたことは、「悪いことをするな」とか、言葉のうえではすごく良いことを言っていたのですが、私はそれに縛られすぎてしまって、過剰に善人になろうとしてしまっていたので、生きていくうえでは、つらかったなと思います。とはいえ、いろいろな呪縛がかなり解けたいまでは、やはり悪人よりは善人でいようかなっていうふうには思いますし、差別的なことを教えこまれなかったのは良かったと思います。

母自身も、私たちに言い聞かせる内容のようなすばらしい人であろうと努力していました。でも、父の麻雀仲間に対して、非常に怒ったり嫌ったりしているのは、子どもの私にも伝わってきたんです。でもそれを言葉にしないから、母は結局、私が小学校高学年ぐらいから毎日毎日、ほんとうに24時間中で20時間ぐらいは泣いているような人になってしまいました。

そして中学生のとき母はみずから命を絶った

私が中学2年生のときに、母は結局、自殺をしてしまうんです。ですから、信仰のために良い人間であろうとしているのはわかるんですが、結局、そんなふうに人間はなりきれないという問題で、すごく葛藤していた人じゃないかという気がします

母の不満のおもな原因は、父にありました。「信じるって言ったくせに一緒に信仰してくれなかった」ということは、ずっと恨みに思っていたようです。あとは、やはり母がお題目をあげていると、父は「そんなものを拝むんだったら、俺を拝め」と、酔っぱらっているからなんですけど、邪魔したりしていました。母はそれがすごく嫌そうでした。私が見る父の姿は、つねに酔っぱらいでした。とにかく父と母がまともに会話しているのを私はほとんど見たことがなくて。冷えきった夫婦だったと考えています。

母に殴られても「可哀そう」としか思えなかった

宗教2世には親を恨んでいる人も多いですが、私の母があまりにもいつも泣いていたから、どうしても悪く思えませんでした。母に突然、タオルを振りまわされ、殴られたことがありますが、母のほうが「とにかく被害者です、私は」という態度を見せてくるので、私は母のイメージ通りに自分が加害者のような気がしてしまって、良い子になれない自分が悪いと考えて、お母さんが可哀そうで可哀そうでしょうがなかったんです。それに、母はなんでこんな不幸なんだろう、母は可哀そうだと思っていた矢先に死んでしまったので、本当に可哀そうなのが確定してしまったんです。

ですから、母に対して嫌いというマイナスの感情を持つことに時間がかかりました。母の被害者感情は父の不信仰だけに由来していません。教団内も関わっています。母は、「聖教新聞」を自分で配達する係だったり、あと、人前に立ってしゃべったりする役割だったんですが、そんなふうに仕事を押しつけられて、教団の活動が嫌で泣いていることもありました。そういうのを見ると、結局この人は学会を信じてもいないんだなとわかって、それで私はびっくりして。なんで信じてもいないのにそこにしがみつこうとするんだろうか、というのをずっと不思議に思っていました。

母親は学会を信じていないのにしがみついていた

母に対して「全部やめて、結婚もやめて、この人、逃げればいいのに」と思ったんです。でも教団外に人間関係がなかったんでしょうね。実家の家族も学会員ばかりになっていましたし。自殺する直前、母は毎日ひたすら泣いて、家出したこともありました。でも父がまったく「我関せず」で、平然と生きていたんですよね。だから私もあえて「お母さん大丈夫?」と声をかけるとか、母を気遣うとかといったことをせずに、何もなかったように過ごすという選択をしてしまいました。

その結果、母が亡くなったあとに、私が選んだ道はすべて間違いだったんだと思って、私が母の死に直接関わっているかのように感じて、とにかく苦しみました。

母の死後も公明党への投票を要請された

創価学会員たちは、当然お葬式にも来ていました。死後に信者は誰でももらえるらしいんですけれど、賞状みたいなのを渡してくるという茶番がありました。「母は創価学会のせいで苦しんできたのに、こんなものをもらって何になるんだろう、まったく救ってくれなかったこの宗教ってなんなのか」と私は悩みながらお葬式に参列していました。そのあとは、学会員がしょっちゅう、うちに来るんです。なんとかの会合に行こうとか、聖教新聞をもう一回とってくれとか言うんですが、父がいると激怒して追いかえすんですね。

父は家庭の外では、人当たりはそんなに悪くなかったですが、学会員に対してだけは「帰れ帰れ」と叫んで。そのうち学会の人たちは、父が不在にしていそうな時間をねらって来るようになりました。

私は母の死を経て、この信仰は誰も幸せにしないと思ったので、なんだかんだと理由をつけて拒絶しました。中学生だったので「宿題があります」とか、「夜は出られません」とかです。でも、おとなになったあとも、ずっと来ていましたね。選挙前は特にそうです。「公明党に入れてください」と。適当にあしらうこともあれば、その政党の政策に私は賛成できないからと言って帰ってもらうこともありました。でもそれでもしょっちゅう来ていました。あとは池田さんが配ったお米をくれるとか、いろんなものを持ってうちに訪ねてきていました。私の心は何があっても動きませんでしたけれど。

公明党が与党となったことに衝撃を受けた

おとなになってくると、公明党絡みでひどいことがたくさん見えてきて、公明党が自民党と連立政権を組んだり、いろんな戦争に関わりかねない法案に賛成したりしているのを見たときに、そして、創価学会員が足並みを揃えてついていっていることに、衝撃を受けました。うちの母も生きていたら、ここに投票するんだろうと思ったら、びっくりしてしまって。創価学会という組織を見る眼はネガティブになりました。

母のお葬式のことを思い出すと、母の死んでいる顔が記憶によみがえってきます。でも何ひとつ感じられないんです。悲しみも何もない、本当に無の心の状態になってしまって、それ以上思い出そうとするときっと良くないな、精神衛生上、良くないと思って、母のことをあまり考えないようにしていました。いまもその無になってしまうんです。

「死んだ母が可哀そう」という気持ちを乗り越えて

でもマンガ家になってから、いつか母のことを描きたいとは思っていました。あまりにも傷がなまなましいし、自分の技量的に描けないかもと思って保留にしつづけて。そのうちに父のことを描くことになって、ついでに母も宗教やっていましたという描写を、ちらっと入れたんです。

そうしたら、その直後、夜寝ていたら突然、それまでは母のことをずっと可哀そう可哀そうと思ってきたんだけど、急に「子どもの前で家の中で死ぬな!」と、すごい怒りが湧いてきました。「そんな死ぬにしても子どもが第一発見者になるようなところで死ぬな!」と。そこから母のことも「可哀そうな人」じゃなくて、冷静にどんな人だったのか見つめなおしてみたいと考えはじめて、そうしたらやっぱり宗教の問題は避けられません。そこから、宗教2世に関するマンガをぼんやりと考えるようになりました。

普通の親子と混同されると宗教2世の苦しみはわからない

宗教2世のみなさんと自助会をしたり、インタビューをしたりして思ったのは、いまはまったく公助がなくて、すべて自助に任されている状態だということです。政治がやってくれることは充分ではありません。ならば民間がまずは頑張ってやっていくしかないのかなという状況ですが、絶望の反面、頑張るぞという気持ちもあります。

横道誠(編)『信仰から解放されない子どもたち』(明石書店)
横道誠(編)『信仰から解放されない子どもたち』(明石書店)

福祉職・心理職の人たちや精神科医といった、支援職の方々は、一度この宗教2世問題を知ってほしいなとは思います。宗教2世が置かれている現状について、新しい観点から見てほしいです。普通の親子関係の問題と混同されると、宗教2世の苦しみはなかなかわかってもらえないんじゃないかと思います。

私は、宗教2世のためのオープンチャットをLINEで作っているのですが、やっぱり宗教に全然接点のない友だちが、「大丈夫なの? 宗教の人って怖いんじゃないの?」と心配してきたんです。宗教2世のことを、私自身は被害者だと思っているんですけれど、普通の人から見たら宗教1世も宗教2世も一緒なんだと実感しました。なんか知らないけどやばそうな人、怖そうな人、関わらないほうがいいよ、と世間は見ている。そこの誤解はなんとかして解いていきたいと思っています。

菊池 真理子(きくち・まりこ)
漫画家・宗教2世
代表作にコミック『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書店)、『毒親サバイバル』(KADOKAWA)、『依存症ってなんですか?』(秋田書店)など。『「神様」のいる家で育ちました』(文藝春秋)など自分以外の宗教2世を取材した作品もある。

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