1. トップ
  2. ChatGPT、Bard…劇的進化遂げるAI、人間の「判断」にどう影響?

ChatGPT、Bard…劇的進化遂げるAI、人間の「判断」にどう影響?

  • 2023.4.15
AIの劇的進化で人間の判断はどう変わる?
AIの劇的進化で人間の判断はどう変わる?

Microsoft(マイクロソフト)が3月17日、話題の対話型AI(人工知能)「ChatGPT」の技術をOffice(オフィス)製品に組み込んだ「Copilot(コパイロット)」という製品を発表しました。これにより、文書やプレゼンテーション資料の作成など、大部分の作業をAIが担うため、同社は人間の生産性が劇的に上がるとしています。

Google(グーグル)も同月21日、ChatGPTに対抗する形で、「Bard(バード)」と呼ばれる対話型AIを一部の国で公開を開始し、AIの開発競争は激化しています。

劇的な進化を遂げているAIですが、AIの進化が行き着く先にはどのような未来が待っているのでしょうか。AIが高性能になるにつれ、「人間の判断」がどう変わっていくのかについて、心理学者である近畿大学生物理工学部の島崎敢准教授が、「シンギュラリティ」という概念を基に考えていきます。

AIに判断を委ねる可能性も

シンギュラリティは、米国の技術者であるレイ・カーツワイルが提唱した概念で、日本語で「技術的特異点」と訳されています。具体的には、加速度的に進化する人工知能が、自らのアルゴリズム(計算手順)をアップデートし始め、コンピューターの知能や能力が、人間の知能や能力を超越する瞬間を指しており、2045年ぐらいに訪れるといわれています(この段落の文章は、ChatGPTが生成した文章を私が微修正したものです)。

近年、AI技術の進歩は目を見張るものがあり、コンピューターが人間を超える存在になる日が本当に訪れるような予感がします。

もしかすると、既にAIは人間の能力を超え始めているのかもしれません。例えば、ChatGPTに今年の「大学入学共通テスト」の英語の問題を解かせた結果、平均点を上回ったという報告があります。また、絵画や文学のコンテストでも、AIが生成した絵画や文章が賞を取った事例があります。AIは既に「ある種の能力」では平均的な人を上回っており、シンギュラリティは始まりつつあるのかもしれません。

人間を超えるAIの登場は、どのような問題をもたらすのでしょうか。現在ある仕事の多くがAIに置き換わる、つまり、未来では仕事を探すのが難しくなるというのが、よくいわれる短期的な問題です。しかし、本当の問題はもっと深いところにあるのかもしれません。

例えば、私がインターネット上の動画配信サービスで好きなドラマや映画をいくつか見たとします。AIは過去の膨大な動画の配信履歴から、ドラマAや映画Bが好きな人は、アニメCも好きなはずだという推論をして「レコメンド」を表示します。レコメンドに従ってアニメCを見てみると、高確率で私の好みのコンテンツが再生されるのです。

AIは私の嗜好(しこう)だけでなく、1人の人間ではとても把握し切れない世界中の人の嗜好パターンをよく知っています。そして、AIが推奨してきたコンテンツは、私自身がタイトルやアイコンから「面白そうだ」と適当に選んだコンテンツよりも、私を楽しませる確率が高いのです。

言い換えれば、「どの映像を見るべきか」について、AIは人間の私よりも適切な判断をしたことになります。これが繰り返されれば、人間は自分の判断よりもAIの判断を信じるようになっていきます。

個人が「休日にどのコンテンツを見るか」の判断をAIに委ねる程度なら、大した問題は起きないかもしれません。しかし、“AI社長”は人間の社長より会社の業績をよくするかもしれないし、“AI将軍”は人間の将軍より大きな戦果を上げるかもしれません。そして、“AI政治家”は人間の政治家よりも人類のためによりよい政治を行うかもしれません。

こうなってくると人類は、人類の未来のための判断すらAIに頼るようになる可能性があります。

ここで厄介なのは、人間がAIに判断を頼ることだけではなく、人間を超えたAIを、人間が理解したり評価したりできないことです。人類はこれまで、人類を超える存在に出会ったことがありません。私たちは人類より知能の低い動物のことを比較的よく理解できますが、逆のケースは困難で差が大きくなれば理解も評価もできなくなります。

何を知っていて、どのようなプロセスで判断しているのかが分からない相手に、自分たちの運命を委ねてしまうと、恐ろしい結果を招くかもしれません。

例えば、養鶏場で飼われている鶏は、人間が考えていることを理解できません。しかし、そこにいる1羽の鶏が鳥インフルエンザに感染すると、全ての鶏が殺処分されます。これは鶏を超える存在であり、状況を俯瞰(ふかん)的に見ている人間が、鶏という種全体にとって良い選択をしているわけですが、殺される鶏にとっては、ただの悲劇でしかありません。

シンギュラリティが実際に訪れるのかどうかは、専門家の間でも意見が割れています。「遅かれ早かれ間違いなく来る」と主張する人もいれば、「永遠に来ない」と主張する人もいます。

シンギュラリティが訪れなければ、AIに仕事を奪われることはあっても、これまでと同じような未来が続くでしょう。しかし、シンギュラリティが現実のものになれば、今とは全く違う世界になるかもしれません。そのときに自分たちの未来をAIに委ねるのか、主導権を渡してよいのか、今から考えておく必要がありそうです。

近畿大学生物理工学部准教授 島崎敢

元記事で読む
の記事をもっとみる