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「自己嫌悪に満ちていた」豪初の東洋系ミス・ユニバースが自分のアイデンティティを受け入れるまで

  • 2023.4.15
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シドニーのレーンコーブ川を見下ろす日当たりのよいサンデッキに座り、オーストラリア版ウィメンズヘルスの取材を受けるフランチェスカ・ハングは、涙を必死にこらえながら、若い頃の自分に宛てた手紙を読んでいる。

「あなたを怖がらせたくはないけれど、この先の人生で、あなたは何度も落ち込むでしょう。不安や恐怖を感じ、悲嘆に暮れる日もあるでしょう。このような感情から、あなたのことを守ってあげたい。でも、それは、あなたが今日のあなたになるのを阻む行為」

現在28歳のフランチェスカは昔ほどもろくない。でも、これまでの苦しみは消えていない。2018年、フランチェスカはアジア系女性として初のミス・ユニバース・オーストラリアに選ばれた。以来、彼女はメディアサイト『E!』のホストを務めたり(レッドカーペットイベントでクリス・ヘムズワースにインタビューしたこともある)、母親と一緒に『Frankie Lane』というファッションブランドを立ち上げたり、ビューティーブランド『Swisse』のアンバサダーに任命されたりと大忙し。

でも、この成功は長年の自己嫌悪を克服したからこそ得られたもの。シドニーでフランチェスカが生まれ育ったエリアは文化的多様性に乏しかった。そのため彼女は、中国出身の父親が築いた家庭環境と「もっとオーストラリア人っぽくなりたい」という気持ちの狭間で、自分のアイデンティティを見つけられずにいた。この感情が語られることは非常に少ない。でも、移民二世のオーストラリア人の大多数は、この感情を知っている。だから彼女は自分の過去を公にすることを選んだ。

実際、今回のインタビューでもフランチェスカは、自分を受け入れるうえでメンタルヘルスのケアが果たした役割、アジア系の人材がメディアに出ることの重要性、内面と外面の美しさを磨くために取り入れている習慣を包み隠さず話してくれた。オーストラリア版ウィメンズヘルスからその内容を見ていこう。

Women's Health
若い頃の自分に宛てた手紙の中で「心のケアは、少なくとも体のケアと同じくらい大切」と書いていますが、その気づきに至った背景を教えてください。

子どもの頃からメンタルヘルスの問題を抱えていたとは思いませんが、ケアするための時間を積極的に作る必要性は感じていました。もともと私は感情的で多感なタイプ。これには若い頃のアイデンティティ・クライシスが関係していると思います。家族にもメンタルヘルスの問題を抱えている人がいるので、ケアの必要性は昔から強く認識していました。

運動は私のメンタルヘルスに不可欠です。頭がスッキリしますから。私の両親が非常にオープンで、心理カウンセリングに負のイメージを持っていないことも大きな助けになりました。「あなたには問題があるから心理カウンセラーに会いなさい」と言われたことは一度もなく、いつも「あなたが楽に相談できる第三者と話してきたら?」という感じでした。

どのようなアクティビティでメンタルヘルスをケアしていますか?

平凡ではありますが、一番好きなアクティビティは愛犬との散歩です。公園を楽しそうに走り回る彼女の姿を見ていると、こっちまでうれしくなります。ワークアウトでは自分を追い込むのが好きですね。自分相手の終わりなき戦いみたいな感じがしますし、とことん追い込んだあとは「私は自分で思っているより強い」ことが実感できます。

パートナーと私は冷たいシャワーを浴びるのも好きですね。健康によいのは分かっていますが、私たちは自分との戦いを目的に浴びています。冷たいのはイヤですが、そのあとの爽快感をエサに思考と体を操れるか、という話です。その勇気が出ない日もありますが(笑)。

Women's Health
アイデンティティ・クライシスについて具体的に教えてください。

父の家族は1950年代に中国からオーストラリアに移り住み、シドニーのモスマンで毛糸店を始めました。当時のオーストラリアは白豪主義(英国人以外の移住を制限するための法律があった時代)だったので、父の両親は父に標準中国語や広東語を話させませんでした。彼を周囲に同化させることで、一家がはみ出し者にならないように、オーストラリア人と認識してもらえるようにしたんです。

私の見た目は典型的なオーストラリア人と違うので、学校ではアジア人扱いをされていました。そして、アジア人のコミュニティを訪ねれば、その言語が話せないので浮いてしまう。まさに、どっちつかずの状態でした。その結果、みんなと同じになりたい、私が思うところの“オーストラリア人”に近づきたいという想いが強くなり、結果的にアジア系の自分から自分自身を切り離してしまったんです。そのつながりを取り戻すのには長い時間がかかりました。自分の一部を遠ざけてしまったことが本当に恥ずかしかった。アジア人失格だと思いましたし、自己嫌悪でいっぱいでした。

この過去を忘れることはないでしょう。いまも考えるだけで少し気分が悪くなります。アイルランド系の私の母は苗字を変えていないのに、私は中国人と思われるのがイヤで自分の苗字を合法的に変えられないか両親に尋ねました。Hungという苗字でなければ、アジア系であることがバレないと思ったんです。幸い私の両親は、これを侮辱と受け取らず、私がないがしろにしてきた私自身の一面を再び大切にする機会を与えてくれました。

どのように自分自身のアイデンティティを受け入れましたか?

ある瞬間にフッと受け入れられたわけではありません。若い頃は周囲に溶け込みたくて仕方ない。でも、大人になると自分だけのユニークさが欲しくなります。そこで私は考えました。「私は人となにが違うのか? 私をユニークな存在にするものとは?」。その結果「私はラッキー。母側とアジア側という2つの文化にアクセスできる。超クール」という結論に至りました。

その後、モデル業界に入る過程で、アジア人のモデル起用が少ないことに気づきました。私は、その天井を持ち上げてどかしたい。オーストラリアの社会でも少しずつ変化は起きていて、おかしな話かもしれませんが、アジア系オーストラリア人シェフのポー・リン・ヤオやアジア系オーストラリア人作家のベンジャミン・ローの活躍をテレビで見たときは救われましたね。白人社会で生まれ育った人には小さなことかもしれませんが、アジアにルーツを持つ人たちには、その影響の大きさが分かるはずです。

※この記事は、オーストラリア版ウィメンズヘルスから翻訳されました。

Text: Lizza Gebilzagin Translation: Ai Igamoto

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