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ミニスカートの生みの親、マリー・クワントが逝去。

  • 2023.4.14
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1960年代にミニスカートを流行らせたイギリスのデザイナー、マリー・クワントが、4月13日(木)、93歳で逝去した。

1960年代にミニスカートを流行らせたイギリスのファッションデザイナー、マリー・クワント。(イギリス、1964年11月13日)photography: Ronald Dumont/Express/Getty Image

4月13日(木)に93歳で亡くなったロンドンのデザイナー、マリー・クワントは、ミニスカート、カラフルなメイクアップ、柄タイツなどを普及させ、ファッションに革命を起こした。

マリー・クワントは、ミニスカートの生みの親としての称号を巡って、特にフランス人デザイナー、アンドレ・クレージュとの間で多くの論争を引き起こしたが、短くてぴったりとしたミニスカートの世界的な普及に貢献したことは確かである。ヴィダル・サスーンがスタイリングした有名な茶色の前髪が特徴的なマリー・クワントの個性とスタイルは、彼女を英国で最も有名なファッションデザイナーのひとりにした。マリー・クワントのおかげで当時の女性たちは、ホットパンツ、プラスチック製レインコート、パレットのように色鮮やかなメイク、ウォータープルーフのマスカラなどを手に入れた。

クリエイティブなショップ、「BAZAAR(バザー)」

1930年2月11日、ロンドン生まれの彼女は、後に夫となるアレキサンダー・プランケット・グリーンと共にファッション界でキャリアをスタートさせた。彼女は当初、ロンドンのゴールドスミス美術大学で出会った若い学生の奇抜な服装に惹かれた。1955年、夫妻は当時活況を呈していたチェルシー地区に、友人と一緒に最初の店「BAZAAR(バザー)」を開いた。洋服やアクセサリーを扱うショップは、地下にあるレストランとともに、若者やアーティストたちの出会いの場となった。ブリジット・バルドー、オードリー・ヘプバーン、ビートルズ、ローリング・ストーンズがそこに集った。

マリー・クワントは、シンプルなラインと鮮やかな色使いのドレスやミニスカートを作り、豪華なウィンドウディスプレイで演出を楽しんだ。

1955年、マリー・クワントは夫のアレクサンダー・プランケット・グリーンとともに、当時賑やかだったチェルシー地区に最初のショップ「BAZAAR(バザー)」をオープンさせた。photography: Keystone/Getty Images

「不快だ!」

「私たちの店の前には、ポーラーハットをかぶった男性たちが、タイツにミニスカートを着た人形にたたきつけるように傘を振り回して、『不道徳だ!』、『不快だ!』と叫んでいましたが、客は買い物に押し寄せました」と彼女は2011年に出版された自叙伝の中で書いている。店舗があったキングス・ロードは、ミニスカートをはいた女の子たちのファッションショーの場となった。常にお祭りの雰囲気が漂うスウィンギング・ロンドンの特徴的な雰囲気があふれ、もうひとつの中心地であるソーホーのカーナビー・ストリートと共に、その象徴的な存在となった。

この成功を受けて、デザイナーのマリー・クワントはロンドンに2号店をオープンし、アメリカのデパートチェーンJ.C.ペニーとコラボし、一般消費者向けのライン「ジンジャー・グループ」を立ち上げた。幾何学的な形、水玉模様、対照的な色、PVC(ポリ塩化ビニル)のような素材で遊ぶのを好むマリー・クワントは、遊び心に満ちた、気取りすぎないファッションを推進した。1965年に出版された初の自伝『Quant by Quant(クワント・バイ・クワント)』の中で、「私の服は、ポップ、エスプレッソバー、ジャズクラブといった10代の流行にぴったりだったのは偶然だった」とコメントしている。

2019年の展示会でファッションを担当するヴィクトリア&アルバート博物館のキュレーター、ジェニー・リスター氏は、「彼女は正しい場所に正しい時にいた」と説明している。同博物館は、彼女の衣服、化粧品、下着、パターンなど約100点のアイテムを所蔵している。「彼女は勇敢な行動力を持ち、セクシュアリティやプライベートライフについて挑発的な発言をすることで、見出しを飾ってきました。」サリー(イングランド南部)に暮らしていたマリー・クワントは、ほとんど公の場に出ることはなかった。彼女には息子のオーランドと3人の孫がいる。2000年に、彼女は化粧品会社を日本企業に売却したが、そのロゴである花は今でも彼女のトレードマークとなっている。

80歳の誕生日の年にインタビューを受けたマリー・クワントは、「60年代のロンドンの活気と革新」に対するある種のノスタルジーを告白した一方、「現代の女性であることは素晴らしい」と考えていると述べた。「新しい種類のスーパーウーマンが現れている」と自伝の中で喜びの心境を語った。「彼女たちはアスリートのように活発に動き、男性のように膝を広げて座り、彼女たちの子どもたちは母親の名前を選んでいる(...)つまり、彼女たちは、セルフコントロールする力を持っているのです。」

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