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北の街リール郊外で、フランス初の大回顧展「イサム・ノグチ」。

  • 2023.4.8

展覧会の入り口で、Louise Dahl Wolfが1955年に撮影したイサム・ノグチに迎えられる。©︎ The Isamu Noguchi Foudation and Garden Museum, New York/ ADAGP , Paris 2023 photo F. Lovino

ゴーフルの「Meert(メールト)」、メレンゲの「Aux Merveileux de Fred(オー・メルヴェイユ・ドゥ・フレッド)」、パン屋の「Paul(ポール)」、来場者が食べたムール貝の殻が山をつくる巨大蚤の市……パリの北駅からTGVで1時間で到着するリール市について、日本で知られているのはこのように主に食関連ではないだろうか。リール市の郊外には自然の中に建つ美術館LaMがある。モダンアート、コンテンポラリーアート、アウトサイダーアートのミュージアムで、今年40周年を祝う。その記念の一環として、7月2日まで開催されているのは「イサム・ノグチ」展。イサム・ノグチ(野口勇/1904~1988年)のフランスにおける初の大回顧展の開催である。

LaM。美術館を囲む緑の敷地には、カルダー、ピカソなどの作品が点在する。アクセス:パリのサン・ラザール駅からTGVで約1時間でLille-Flandre駅に到着。地下鉄1番線でPont de Bois駅まで行き、バスL6号線(Villeneuve d’Ascq Contrescarpe 行き)に乗りつぎ、L.A.Mで下車。Lille-Flandre 駅からは車で約20分。photos:Mariko Omura

イサム・ノグチの名前はフランスでは照明器具AKARI(1952年)とガラスのコーヒーテーブル(1947年)が知られていることから、デザイナーとカテゴライズされている。したがって彼が彫刻家であるというのはフランス人にとってはおおいなる驚きなのだ。

この展覧会は美術館のディレクターでキュレーションを務めたセバスチャン・ドゥロが “カレイドスコープ”と表現するように、彫刻にとどまらず、舞台装飾、デザイン、造園などノグチの多岐にわたる活動を約250点の作品で10の部屋で展示。フランスと彼の関わりについてもフォーカスが置かれている。展示は時代順で、途中3つの部屋で1930年、1949年、1959年に3つの異なる画廊で開催された展覧会をそのままではないにしても、そのエスプリを再現するという意欲的な構成だ。10の部屋は「パリ・アブストラクション」「1930年マリー・スターナー画廊」「ボディ・ストーリー」「1949年イーガン画廊」「生きた彫刻」「1959年ステイブル画廊」「オブジェ・アートを超えて」「光の彫刻」「風景を発明」と進み、「伝統とモダニティの間の陶器」が締めくくる。この展覧会のサブタイトルは、“世界を彫刻する”。これはイギリス、フランス、イタリア、ギリシャ、メキシコ、ペルー、中国、インド、日本……と、ノグチが1928年から亡くなるまで驚くほど世界の各地を旅し、滞在し、仕事をし……ということからだ。

コーヒーテーブル(左・展覧会展示室7より)と和紙のランプAKARI(右・展覧会展示室8より)ゆえ、フランスではイサム・ノグチはデザイナーとして知られている。なお、雲のようにランプをインスタレーションするというアイデアは、ニューヨークでの展示の際に彼がしてみせたことからだ。photos:Mariko Omura

日本人の詩人とアメリカ人作家との間に1904年に生まれた彼。ロサンゼルスから日本に移り、幼少期は父の国で暮らし、14歳の時にアメリカに戻る。大学は医学部に進むが、彫刻家になるという夢は膨らむばかり。1927年、23歳の時にグッゲンハイム奨学金を獲得し、憧れのパリへと。弟子をとらないことで知られるコンスタンティン・ブランンクーシのアシスタントとして数カ月仕事をし、自身もパリ郊外にアトリエを構える。展覧会はここからスタート。「抽象そのものには私はさほど関心がない。芸術は人間的なクオリティを持つべきなのだ」と語った彼の仕事を発見する10室への導入部となっている。

左: 第1室。パリ郊外ジャンティイに構えたアトリエで1929年に撮影された写真の前に、真鍮の彫刻が3点。壁には『Paris Abstrastion』(1928年)が。右: 第2室は1930年にGalerie Marie Sternerで開催された展覧会より。photos:Mariko Omura

左: 第3室「ボディ・ストーリー」。右: 第4室は「1949年、Eganギャラリー」。イサム・ノグチは1946年にMomaが開催した『14名のアメリカ人』展に含まれているように、この頃からアメリカで彼の仕事の評価が高まっていった。photos:Mariko Omura

ブランクーシがピュアなフォルムをベースに抽象的彫刻を製作したのに対し、ノグチは人間の身体、動きから抽象的フォルムを得ていたことを2~4室で見た後、第5室の「生きた彫刻」へと。ここでフォーカスされるのは、彼のダンスの舞台装置とコスチュームについてだ。この分野での彼の活動は、フランスはもちろん日本でもあまり知られていないのではないだろうか。彼とダンスとの関わりは1926年に遡る。舞踏家の伊藤道郎から『鷹の井戸』のための仮面の創作を依頼されたのだ。その後、展覧会でも1944年頃に描かれた『The Bells』のコスチュームの習作が展示されているように、ルース・ペイジのために舞台衣装を作るが、本格的コラボレーションにいたるのはダンサーで振付け家マーサ・グラハムとである。

マーサ・グラハム創作『Cave of the Heart』(1946年)でノグチがコラボレーションしたのはブロンズと真鍮を用いた『Spider Dress and Serpent』だ。photos:(左)Kevin Noble ©︎ The Isamu Noguchi Fondation and Garden Museum、(右)Mariko Omura

1935年から彼の最期まで22作品の仕事を彼女と共にしたのだ。彼と彼女はギリシャ神話への興味という共通項もあった。自分の彫刻を道具として捉えたことがない彼だが、彼女がそれらをシンボリックな道具として舞台で使うことから、「彫刻がマーサの身体の延長になる」と彼は語っている。ダンスによって彼の彫刻に命が与えられるのだ。ビスなしでパズルのように複数のエレメントが噛み合わせる彼の彫刻は、舞台装置として移動しやすいものだった。

会場では部屋の周囲にマーサのステージのための彫刻を展示し、中央の巨大な柱状のスクリーンにステージ写真が次々と映し出されてゆく。この展示法のおかげでダンサーの身体の延長として、ダンサーが生命を与える彫刻であることが明快となり、マーサ・グラハムのバレエにおける彫刻が果たす役割を理解することができる。

センターの三角柱に映し出される舞台の映像が周囲の彫刻のための手がかりとなる。「イサム・ノグチなしには、私は何もできなかったでしょう」とマーサ・グラハムは語っている。photos:Mariko Omura

1951年から55年にニューヨークのMOMAで開催されたGood Design展でもデザイナーとしての彼の仕事が展示されたように、第7室では有名なコーヒーテーブル以外に彼が手がけた複数のデザインが紹介されている。車、それに世界初のベビー・フォン……。この後、展覧会は和紙のランプ、庭園、陶器と多岐にわたる彼の作品を展示。実に意欲的なオール・アバウト・ノグチ展なのだ。開催がパリでないのが少々残念だけれど、これを機会にリールまで足をのばしてみてもいいだろう。

第6室は1959年にStable Galerieで開催された彼の2度目の展覧会から。2年前に亡くなったブランクーシにオマージュを捧げるものだった。ブランクーシの作品の『鳥』を想起させる右手前の大理石の彫刻はノグチがユーモアを込めて製作した『Pregnant Bird』(1958年)だ。photo:Mariko Omura

第7室。ノグチがデザインした車は実際に動くところを映像で見ることができ、また石膏の模型が壁を飾っている。その他家具なども展示。photos:Mariko Omura

左: ノグチが200点近く陶器を製作したことがあまり知られていないのは、彼が自分の気持ちと触れ合うのが日本の土ということで日本でしか製作しなかったことによる。右: ニューヨークのMOMA所蔵の『Mitosis』(1962年)。キスをするようにわずかに触れ合うふたつの変形卵型のブロンズ。扱い要注意ということで、ガラスケースに収められて展示されている。

「Isamu Noguchi、Sculpter le monde」展開催中~7月2日LaM(Lille Métropole Musée d’art moderne d’art comtemporain et d’art brut)1,allée du Musée59650 Villeneuve d’Aswww.musee-lam.fr開)10:00~18:00休)月料:11ユーロ

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