1. トップ
  2. 恋愛
  3. 結婚13年、どこで間違えたのだろう。村山由佳「恋愛文学の極致」に圧倒。

結婚13年、どこで間違えたのだろう。村山由佳「恋愛文学の極致」に圧倒。

  • 2023.4.6

「漕げよ、漕げ、あなたの舟を」

村山由佳さんは今年、デビュー30周年を迎えた。本書『Row&Row(ロウ・アンド・ロウ)』(毎日新聞出版)は、夫婦の溝を「互いの間を隔てる川」にたとえて、対岸にいる妻と夫、それぞれの心理をリアルに描き出した長編小説。

恋愛小説の名手と呼ばれる村山さんが到達した「恋愛文学の極致」ということで期待が膨らんだが、期待のはるか上をいって圧倒された。文章から映像が浮かび上がってきて、実際に現場を目撃しているかのようだった。

本書は妻と夫の視点から交互に語られる。互いに本当の自分を見せることができないまま、溝はじわじわと深くなっていく。川に隔てられた夫婦は、再び漕ぎ寄ることができるのだろうか。

「いつの頃までだったろうか――男と女の間にあるという深くて暗い川を渡るべく、お互いに舟を出し合っていたのは。先にあきらめたのがどちらだったか定かではない。今ではもう、漕ぎ出そうにも舟底には穴が空き、櫂(かい)は朽ちてしまった気がする。」

二本の線が離れてゆく

早瀬涼子(りょうこ)、43歳。都内の広告代理店に勤めている。夫の孝之(たかゆき)は3つ年下で、美容師をしている。結婚して13年。1階が店舗で2階が住居の一軒家を埼玉に建て、暮らしている。

夫婦の休みが重なることはほとんどない。最後に抱き合ったのは一昨年の結婚記念日だが、途中で孝之がその気をなくしてしまった。涼子の中に不満がうっすらと積もっていく。とはいえ、好きな仕事を続けられて、理解のある夫がいて、家がある。「これを幸せと思わなければ、きっとバチが当たる」と自身に言い聞かせる。

休日になると、孝之は自転車サークルの仲間と出かけていく。それは良いことだと、涼子は思うようにしている。自身が経営する美容室と、口コミで繋がる近所の客。仕事柄、自分とくらべて閉じた世界にいる夫を尊敬できなくなっていくのが怖い。もっと広い世界を持ってほしいと、望んでいる。

結婚する前、涼子は3つ年上のアート・ディレクターと不倫関係にあったが、ある出来事をきっかけに目が覚めた。想いを断ち切るために髪を切ろうと向かった美容室。そこにいたのが孝之だった。その後2人は結ばれたのだが......。

「今こうして冷静にふり返ると、もはや認めざるを得ない。たまたま二本の線がぶつかったタイミングで、いわば勢い余って籍を入れたような結婚だった。その一瞬の交点を経て後は、時がたてばたつほど互いが離れてゆく心地がする。」

ずっと望んでいたこと

早瀬孝之、もうじき40歳。不安定な自営業で、涼子の貯金に頼らざるを得なかったこともあり、肩身が狭い。だから涼子が接待で酒を飲んで帰ってきても、文句は言えない。孝之の腹の底に「澱(おり)のように溜まってゆくもの」がある。

セックスレス夫婦ではあるが、仲が悪いわけでも、妻に女としての魅力を感じなくなったわけでもない。話はそう単純ではなく、互いの間に「飛び越えなくてはならない溝のようなもの」が横たわっているのを感じて足がすくんでしまうのだ。

ただ、後悔しているわけではない。俯瞰すれば自分たちはうまくいっているほうだろうし、「人生のどこかの時点に戻ってやり直したいと思うことが特には見当たらないという、それを幸せと呼ばずして何と呼ぶのだろう」と思っている。

ところが、自転車サークルで知り合った20代の小島美登利(みどり)を美容室のアシスタントとして雇うことになり、歯車が狂った。美登利は孝之を褒めて慕ってくれる。自分に値打ちがあるかのように思えて、充実感や自己肯定感を得ることができた。妻といる時には感じることができないものだった。

「ほんとうは、凄い、と褒められたかった。よくやっている、と認めてもらいたかった。もっと日常的にねぎらい、いたわってもらいたかった。――もうずっと長い間。」

間違いながら舟を漕ぐ

美登利を雇う前に、孝之は涼子に相談した。「涼子が嫌なら断るよ」と。若い女性を雇うことに目くじらを立てる女だと思われたくなくて、涼子は平気なふりをした。もちろん嫌なのだが、本当の気持ちは言わなかった。

「何かを小さく、しかし決定的に間違えた気がした」。微妙なバランスを保っていた夫婦の関係が崩れはじめる。ある時、涼子はこんな妄想をする。もしもぼろぼろだったあの時期に、美容室で会ったのが孝之以外の誰かだったら......。

「世間の夫婦はどうなのだろう。修正がきく程度の小さな行き違いならともかく、互いの間に大きな川をはさんで対岸を見つめながら日々を過ごす夫婦は、もはや他人よりも遠い存在だと言えはしないか。」

不満、孤独、プライド、渇望......。眠っていた感情や欲望が呼び覚まされた時、人はこんなにも変わるのかとドキドキした。こちらまで熱くなってくる。涼子も孝之もどの方角へ舟を漕いでいくのか、結末まで本当にわからない。

みんな大小の間違いを繰り返しながら、自分の舟を漕いで「幸せのかたち」を見つけていくのだなと思った。40代の涼子が魅力的に描かれていて、同世代として勇気づけられる。本格的な恋愛小説を求めている人に、ぜひ読んでほしい。

本書は、週刊誌「サンデー毎日」の連載を加筆修正のうえ単行本化したもの。

■村山由佳さんプロフィール
むらやま・ゆか/1964年東京都生まれ。93年『天使の卵 エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞。2003年『星々の舟』で直木賞、09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、島清恋愛文学賞、21年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『星屑』『ある愛の寓話』など。

元記事で読む
の記事をもっとみる