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「雲中白鶴」とはどんな意味の四字熟語?その由来となったのはどんな人物?類義語は?

  • 2023.4.5

世の中を超越した高潔な人や高尚な人のことを「雲中白鶴(うんちゅうはっかく)」と言います。 これら「雲中白鶴」は主に褒め言葉として使用されます。 しかし、なぜそれら優秀な人を「雲中白鶴」と表現するのでしょうか?

今回はそれら「雲中白鶴」という言葉について解説します。 ここでは特に「雲中白鶴」の意味や由来、語源についてわかりやすく説明します。

「雲中白鶴」とは

まずは「雲中白鶴」の意味について見ていきましょう。

「雲中白鶴」の意味

「雲中白鶴」は世俗を超えた高潔な人や高尚な人の例えです。 「雲中」とは白い雲のことを意味しています。 「白鶴」とは白い鶴のことを意味しています。

これら「雲中白鶴」は文字通り、白い雲の中を飛ぶ白い鶴を表した表現となるわけです。 実際に白い雲や白い鶴のように一点の曇りもないことを言う言葉として使用されます。

特に世の中から逸脱した境地に達していることを意味します。 簡単に言えば、心が清らかで気高く立派な人を褒めた言葉となるわけです。

なお、これら「雲中白鶴」は主に人物に対して使用する言葉で物事にはあまり使用しません。

「雲中白鶴」は褒め言葉として用いる

「雲中白鶴」は褒め言葉として使用されることがほとんどです。

「先生は雲中白鶴な人である」というように使用します。 このように優秀な人への賞賛の表現として使用することが多い言葉となっています。

類義語には「雲間之鶴」などがあり、その意味も一緒です。

「雲中白鶴」の由来

では「雲中白鶴」はどこから来た言葉なのでしょうか? ここからは「雲中白鶴」の由来や語源についてまとめます。

三国志の時代に活躍した学者を評した言葉から

「雲中白鶴」は三国志時代について書かれた著書「魏書(魏志)-邴原」や「世説新語-賞誉」から来ています。 そのエピソードから来たのが「雲中白鶴」です。

2世紀の終わり頃、後漢王朝末期の中国でのことです。 邴原は戦乱を避けて公孫度という人物に世話になっていました。

そんな中、戦乱が落ち着いたことをきっかけに、邴原は故郷に帰ろうと考えます。 しかし、邴原の周りの人々は彼の人柄をとても慕っていたため、なかなか帰してはくれなかったそうです。

そこで邴原は船の上で宴会を開き、みんなが酔っている隙に姿を消したのだとか。 その出来事に対して公孫度は「邴原は雲中の白鶴であるため、小鳥用の網では到底捕まえることなどできない人物なのだ」と言い、連れ戻すのを諦めたそうです。

そこから生まれたのが「雲中白鶴」だと考えられています。 転じて、今では優秀な人を表す表現の1つとして「雲中白鶴」が使用されています。

由来となった「邴原」は幼い頃から勉強熱心だった

ちなみに「雲中白鶴」で知られる邴原は、幼い頃から勉強熱心だったそうです。 事実、邴原は学者として活躍した人物で、政治家などとしても知られています。

しかし、邴原の人生は決して順風満帆なものではありませんでした。 実際に11歳の時には親を亡くし、家が貧しかったこともあって孤児となってしまうほど壮絶な幼少期だったとされています。

そんな邴原は親を失ってからというもの、隣家の寺小屋に通って毎日のように泣いていました。

そんな中、ある先生が邴原に寄り添います。 そして、泣く理由を邴原に尋ねたのです。 そうすると彼は「孤児は傷つきやすく、貧乏だと感じやすくなってしまうものです。第一に勉学ができるものは必ず父兄が揃っているものです。そんな彼らが孤児とならずに勉学ができていることを羨ましく思って涙が流れました」と答えたのだとか。

それほど、彼は勉強熱心だった人物なのです。 実際に先生がそんな邴原を哀れに思い「勉強する気があればここでともに学んでも良い」と言ったそうです。

もちろん邴原には月謝を払える余裕などなかったものの、先生の「意志があるのなら私が教える。報酬を求めはしない」という言葉に救われることになります。

その後、邴原はより一層勉強に励むようになったのだとか。 事実、邴原は年少者の間では突出して優れており、一冬の間に「孝経」と「論語」を暗誦してしまうほどだったとされています。

「雲中白鶴」はそんな邴原という優秀な人物の褒め言葉だったわけです。

まとめ

「雲中白鶴」は世間から逸脱しているほどに高潔で高尚な人を表した四字熟語となっています。 これらは褒め言葉として使用されます。

なお「雲中白鶴」については古代中国で優秀な人物として知られた邴原から来ているそうです。

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