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江戸時代にもアイドルがいたよ! インターネットがない時代の「推し活」とは?【夫婦・子育ていまむかし Vol.10】

  • 2023.4.1

ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。

突然ですが…みなさんは“推し”がいますか?

少し前までは一部のオタク趣味と言われていましたが、コロナ禍を経て(?)主婦&子育て層もドッと増えたと言われる推し活。

自分が応援したい人=推しを見つけて応援したり動画を見たりグッズを買ったり音楽を購入したり…最近では「推し事(おしごと)」ともいうみたいですね!

表立っては言ってませんが、例に漏れず私も推しの底なし沼入りしております。

正直これまでの人生全く興味のなかった分野だったのに、推しに出会ってしまったせいでズブズブと…。

妻の推し活を冷ややか〜な目で見ている夫ですが、よく考えたら子どもたちだって変形ロボットや野球のスター選手、戦国武将などそれぞれの琴線に触れる推しを見つけて日々楽しんでるんだもん。

母だって推しで癒されたり(時間溶かしたり)したっていいじゃないですか?!

…なんて言っていたら、日本史好きな長男がこんな疑問を投げかけてくれました。

「推し活って昔もあったのかなぁ?」

よくぞ聞いてくれました〜〜〜!

推し活の歴史といえば?

私は以前から歌舞伎鑑賞が趣味なのですが、六代目中村勘九郎さんがまだ勘三郎だった頃に友人に誘われて行った平成中村座。

江戸っ子たちが日夜通い詰めていたであろう芝居小屋を再現した造りで、役者さんの汗の粒さえも肉眼で見える距離に驚いた記憶があります。

その芝居小屋の中でも特に印象深かったのが『御大尽席』。

高額なチケット代を支払えば特別なサービスを受けることができるそう。

つまり、江戸時代だって“推し”に感謝&特別扱いされるために必死にお金をかけた人もいたわけです。

日本史上調べればもちろんいろいろな流行はあったわけですが、推しという『個人』を『一般庶民』がお金をかけて応援する、というブームがはっきりと見てとれるのはやはり江戸時代。

歴史案内人のお二方と一緒に江戸時代の推し活について見ていきましょう〜!

歌舞伎の発祥は以前こちらの連載でも取り上げた通り出雲阿国が始めたかぶき踊りですが、そのブームを遊女屋が真似て客集めをしたことで「たくさんの演者」の中から好みの1人を選ぶ、という形でした。

舞台に立つのは遊女(禁止されてからは若衆と呼ばれる男娼)であり、客は誰を買うか「品定め」しているので、この時代の歌舞伎は今でいう「推し活」ではないようです。(「推し活」は推しが発信するコンテンツを楽しんだり、活動を応援したり、勝手に貢ぐこと(お布施?)で払った以上の精神的快楽を得る活動ですから!!)どちらかというとお店の入り口の写真からホステスを選んでいるのに近いんでしょうね…。

さて女歌舞伎も若衆歌舞伎も風紀を乱すという理由で禁止され、成人男性のみの野郎歌舞伎が定着し定期的に公演されるようになっていくと、いよいよ「推し活」文化が隆盛していきます。

芝居小屋は舞台を三方から見下ろすようにできており、上の階に行くほど席代は高くVIP扱いとなります。

前述の「御大尽席」は当時「上桟敷」と言われ、この最も高い席には贔屓の役者さんが直接ご挨拶に来てくれたり、公演後は芝居茶屋と呼ばれる宴席に役者さんを招待することができたりしたんですって…!

え、推しが直接会いに来てくれるなんてそんな世界線あるの…? 想像しただけで息が…!!

色男役はもちろん女性たちの憧れのアイドル。本気で恋してしまう女子たちも多かったことでしょう。

でも歌舞伎の場合、面白さはそれだけじゃないんです。

女性役を務める女形が独自の路線で女性たちの心をつかんで一大ブームを巻き起こします!

明和期(1700年代後半)に活躍した二代目瀬川菊之丞という女形は、その美貌と独創的なファッションで女性たちのファッションのリーダーとなりました。

髪型から帯の結び方、身につける小物に着物の色などこぞって真似する女性たちは彼の俳号(俳句を読む際に使うペンネーム)にちなんで「路考娘」と呼ばれたそう。

現代だと、例えばジャニーズやK-POPなど男性アイドルは疑似恋愛的な対象ですが、女性たちのファッションアイコンになるのは女性アイドルがほとんどですよね。

女形(男性から見た理想の女性を演じている男性)が、女性たちに支持されるというのは歌舞伎ならではの特殊な事例なのかもしれません。

江戸の男性の推し活とは?

では江戸の男性に人気だったのは…?

今でいう清純派で身近に感じられる坂道系アイドルなら、茶屋の娘。

いわゆるカフェの看板娘です。

高嶺の花、セクシー系なら吉原の人気遊女でした。遊女は芸能にも秀でており相当のお金がないと会える機会も無いので庶民は芸能人のような感覚で見ていたようです。

いずれも現代のグッズ戦略を彷彿とさせる物販が大盛況。

ポスターにうちわにタオル(手拭い)…マジで昔からオタクもグッズも存在してたんです…!

男女問わず、相撲の力士も大人気でした。

両国で時々見かけるお相撲さんってやっぱりテレビで見るより断然大きくてびっくりしますが、当時さらに平均身長が低かった日本人の中で力士は別格の体格でさらに違いが際立ちますよね。

人気力士には役者同様固定ファンがついて、中でも裕福なファンがパトロンとなり宴席に招いて自慢したり金銭的に支援したりしていたようです。

インターネットがない時代…どうやって推しを見つけたの?

ここまでいろいろな種類の江戸っ子の推し活を見てきたけれど、今のようにインターネットも無い時代にみんなどうやって推しを見つけたり、その良さを広めたりしていたの?

そう、推しと持ちつ持たれつの存在「絵師」が大活躍だったんですね。

カメラ小僧と言われた人たちは「野鳥でも撮るんか?」ってぐらいのなっがい望遠レンズを担いで写真を撮ってますし、彼らが撮った写真が、公式では出せない臨場感やオタクのツボを突いてバズることでアイドルたちの宣伝になったりしていますよね。ファンがファンを広げていくあの現象です。

当時の絵師たちも、役者や遊女、力士などを次々と描いて最新の姿をグッズ化。

まぁ彼らの場合は特定の推しを応援するためというよりは、自分の絵師としての人気、商売を確立することが主な目的も大きかったのでしょうが結果的に「○○の描く△△が良い」と評判になって、絵師も推しも知名度と人気が上がるという相乗効果があったというわけです。

なんだか本当に江戸時代と現代は似ているな〜と思っていたら

おこんさんが「現代の推し活ブームは『自分を取り戻すため』なのかもしれないね」と…。

いい学校に行っていい会社に入らなければ、結婚しなければ、子育てに専念しなければ、家庭のために尽くさねば…こんな「あるべき姿」の圧に対して、自分の意志で見つけた推しに、はたから見たら無駄なお金や時間を注ぐ…自分だけの楽しみ。

そして同じく趣味の合う人たちと推しの良さを語りあう喜びがそこにはある…。

なるほどな〜。私も推しを見つけてから育児や仕事・家事で埋まっていた日々の中に「非日常」な時間ができています。

推し活している間は母とか妻とか仕事のこととか、社会の中から期待されている自分の役割とは無関係な「いちオタク」でいられるし、相手の素性は全く知らないままただ同じ人のファンであるというだけのオタ友もできました。

ハマりすぎて健康を害したり生活費まで使い込んだり…と生活や身を持ち崩すような状態は良くないと思うので、最低限のルールや常識を持つことは大前提として…

「推し活」は精神の解放…というかつまり最高です!

そして、さんざん人の推し活を白い目で見ていた夫ですが、スラムダンクの映画三回見てるし 限定グッズ、欲しいんだって! ってことでそれぞれの楽しみがあって何よりです。

(tomekko)

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