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「ロシアは広い北朝鮮のようなもの」戦場ジャーナリストがウクライナで見たプーチンのあまりにお粗末な作戦

  • 2023.3.31

ロシアがウクライナに侵攻を開始してから1年余り。この間にウクライナで取材を重ねてきたジャーナリストの佐藤和孝さんは「今回の侵攻は、他国に紛争をたきつけ、親ロシア派を助けに行くという名目で出兵する、まさにプーチンの典型的なやり方。現地の戦況を見ると、ロシア軍は驚くほど弱いが、戦闘の長期化が予想され、もはやバランスを保っていた世界情勢には戻れない」という――。

※本稿は、佐藤和孝『ウクライナの現場から』(有隣堂)の一部を再編集したものです。

キーウ中心部の商業地域も破壊された(2022.3.19)
キーウ中心部の商業地域も破壊された(2022年3月19日)
侵攻開始時プーチンの誤算はどこにあったか

2022年2月24日、ロシア軍はウクライナに侵攻を開始。当初は3、4日、長くて1週間程度の作戦だったといわれる。たしかに、電撃的にゼレンスキー大統領を殺害するか国外逃亡させ、そのあとに住民投票でもして傀儡かいらい政権をつくってしまえば、西側諸国は何も言えなかっただろう。そこが目論見だったのは間違いない。

KGBが前身であるFSB(連邦保安庁)も、プーチンにそれが可能であると報告したと思われる。2021年8月にアメリカが撤退した後、タリバンに制圧されたアフガニスタンのガニ大統領のように、真っ先に逃げ出すだろうと見ていた。ゼレンスキーがコメディアン出身ということで揶揄する声もあったし、まだ44歳で政治経験も浅い彼を、FSBは完全に甘く見ていたのだろう。

傀儡政権をつくってウクライナ全土も意のままにしようとしたプーチンの作戦は、キーウ攻略から手を引いた時点で失敗し、州の一部に傀儡国家のある東部のドネツク州、ルハンシク州の完全制圧に軍事目標を切り替えた。しかしウクライナ軍の抵抗は激しく、出口のない長期戦になってしまった。

こうなった以上、この戦争は2年、いやそれより長く続くだろう。クリミア併合以来、これまでに8年争ってきたことに決着を付けようとしているのだ。そしてウクライナの戦後復興は、どんなに早く見積もっても10年はかかる。

チェチェン共和国では14年の泥沼の戦争に

同じように都市が廃虚になった光景を、私はチェチェン紛争でも目の当たりにしている。チェチェン共和国はロシア連邦憲法では、連邦を構成する国家の一つとされ、ソ連崩壊後、ロシア連邦に残った国である、ところが独立を求める武装勢力が蜂起し、第1次(1994〜96)、第2次(1999〜2009)と足かけ14年という泥沼の戦闘が続いた。あのとき目の当たりにした首都グロズヌイの空爆で破壊された街並みは、私が今回取材したキーウ近郊のブチャやイルピンの惨状に似たところがある。

しかし日本の四国ほどの大きさで人口140万人ほどのチェチェン共和国と、ヨーロッパ第3位の面積と人口約4380万人を抱えるウクライナとでは規模が違う。戦争が長引けば長引くほど、廃虚となっていく街は広がり、軍人、民間人を含めた死傷者の数は想像もつかない数に上っていくだろう。

ロシアが負ければ抱える紛争が一気に再燃する

旧ソビエト社会主義共和国連邦を構成した国家には、ロシアとは現在も独立問題や領土問題を抱えている国が複数ある。最近ではアゼルバイジャン共和国西部の自治州ナゴルノ・カラバフをめぐるナゴルノ・カラバフ紛争(2020年)でのアルメニア共和国への支援をはじめ、南オセチア州をめぐるジョージアとの戦争(2008年)など、ロシアは数々の紛争に関与してきた。

プーチンの出兵の大義名分は、たいてい「親ロシア派住民が虐げられている」というものだ。いつもこのやり方で、軍事侵攻の口実にする。いまは独立国である国の親ロ派勢力に武力で自治州をつくらせ、紛争をたきつけて「親ロ派を助けに行く」という名目で出兵する。ウクライナへの軍事侵攻も、まさに典型的なやり方だ。

今回ロシアが負ければ、これまでに紛争をたきつけて支配してきた地域も、一気に反ロシア勢力が巻き返し、失うことになりかねない。2000年6月からプーチンが臨時行政府を置いて傀儡化しているチェチェン共和国なども、独立派が勢いを増すだろう。

「親ロ派を助けに行く」という口実は常套手段

1979年12月のソ連のアフガニスタン侵攻の場合は親ロ派のアフガニスタン人民民主党政権が、ムジャヒディンの蜂起に対してソ連に軍事介入を頼んだかたちになっていた。自ら仕組んだ場合でも、内紛によって当事者から依頼された場合でも、それによって傀儡政権を樹立し、思想統制を強めてずるずると時間をかけてロシア化し、自分の領土にしていくのがロシアの常套手段である。これはロシア革命以前に、約200年にわたって存在したロシア帝国からの伝統なのだろう。

プーチンの頭のなかを覗いてみるわけにはいかないが、彼の考え方の根底には、ソ連というよりロシア帝国がある。

6年ほど前にウクライナの親ロ派のドネツク州を取材したことがある。このとき会ったある兵士はロシアの正規軍ではなく、退役した元ロシア軍人の傭兵で、民間軍事会社「ワグネル」に所属していた。当時60歳くらいだった彼は、「俺は帝政ロシアを夢見ている」という。若い軍人はわからないが、我々世代の念頭には帝政ロシアの栄光がある、と強い口調で語っていた。そうした世代の強い支持が、プーチン大統領にはあるのかもしれない。

驚くほど弱かったロシアの軍事力

さらに今回わかったのは、開戦当初に始まって、その後のウクライナ軍の優勢を見る限り、ロシア軍が驚くほど弱かったことだ。侵攻当初など、数の上でも劣勢で防衛に徹しているウクライナ軍が、アメリカやNATOが供与する武器を駆使し、大軍による首都キーウの攻略を諦めさせた。

武器のハイテク化の遅れに加え、世界一広大なロシアの人口は1億4400万人、西側はアメリカだけで3億3000万人、NATO諸国を加えれば兵力に圧倒的な差が出るのは明白である。国土の大きさに惑わされていたが、ロシアはじつは広い「北朝鮮」のようなものだ。エネルギー資源を除けば、主な産業は軍需産業くらいしかない。西側諸国より格安で紛争国に武器輸出しているが、自動小銃などはとにかく、戦車などの水準は低い。

精密誘導ミサイルの精度も、米戦略国際問題研究所によると、ものによっては命中率が50%に満たないものがあるという。半分以上が命中しないとはどういうことだろう。

一方でウクライナの巡航ミサイルによって、巡洋艦モスクワが撃沈されている。ウクライナはそもそもが「旧ソ連の兵器庫」といわれたほど、軍事技術は高水準である。

ロシアはなぜ制空権をとろうとしないのか

さらに不思議なのが、ロシアが制空権をとっていないことだ。現代の戦争は、まず巡航ミサイルか航空機戦力で空爆し、長距離砲で砲撃し、反撃能力を十分奪って地上軍の投入というのが一般的だが、今回の侵攻ではその手順を踏んでいない。

ロシア軍には、旧ソ連時代から地上部隊の作戦の援護的役割として、航空機戦力を活用する伝統がある。ウクライナを甘く見ていたこともあるだろうが、約3500機を超える軍用機(『世界の空軍2016』による)をもちながら、プーチンも伝統的な地上部隊中心の作戦にこだわってしまったのか。少なくとも、長期にわたる全面戦争を想定せず、地上部隊で電撃的に攻略できると考えていたことは、ここからもわかる。

逆にウクライナ軍の方は、相当に準備していたようだ。8年前のクリミア侵攻からの経緯を思えば、ロシア軍の脅威に手をこまねいてすごしているはずはない。NATOからは、ロシア軍に関する情報や軍事技術の提供、最新兵器の供与と使用法の指導などは侵攻前から行われていた。

ウクライナ軍は周到な準備の上で反撃した

2月24日の侵攻初日、ロシアの空挺くうてい部隊約300名がキーウ郊外のアントノフ空港を一時占拠したと報じられた。ところがウクライナ軍の反撃で奪回されたばかりか、ほぼ全滅してしまったという。これなどはウクライナ側に十分な備えがあり、NATO側から敵作戦内容という機密レベルの情報提供まであったことの裏付けといえる。

ロシアから見てもう一つの誤算は、長年中立国だったフィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請である。ウクライナのNATO入りを阻止しようとして、中立国をNATO側に追いやってしまった。ロシア国境の西側は敵だらけだ。こう見てくると、遠くない未来に、ロシア・中国連合のような国際社会の対立軸が生まれるのだろうか。

私はそこまで中国は愚かではないと考える。おそらく中国は、西側とロシアの対立の“漁夫の利”を狙ってくるだろう。ロシアを支援しているように見られているが、趨勢を注視しているに過ぎない。もっとも、もしロシアが勝つようなことになれば、尖閣諸島や台湾有事はすぐに始まるかもしれない。

世界史が変わったと認識した方がいい

もう少し踏み込んで言うと、2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻があった瞬間、「世界史は変わった」と認識した方がいい。歴史の転換点なのではなく、この日をもって転換し終わったと見るべきだ。全く新しい段階に突入している。

佐藤和孝『ウクライナの現場から』(有隣堂)
佐藤和孝『ウクライナの現場から』(有隣堂)

それは20世紀中ごろの第2次世界大戦終了後、国際社会が冷戦構造で二陣営に割れながらも、冷戦終結を経てもなんとか保ってきた国際秩序の終焉しゅうえんである。1991年のソ連崩壊で、社会主義VS自由主義のイデオロギーの対決は30年前に終わった。これから始まるのは、専制主義VS民主主義のイデオロギー対決である。

この戦争が及ぼす影響は、アフガン戦争、チェチェン紛争、イラク戦争、あるいはユーゴ解体やシリア内戦などとはまるで違う。これまでの大国の紛争介入は、あくまで局地戦や内戦に乗じて戦われたものに過ぎなかった。今回は世界規模での影響は避けられない。

これまで私が歩いてきた戦場は、あくまでアフガニスタンの歴史、イラクの歴史などの変化の現場に立ち会ったにすぎない。今回2022年、23年のウクライナ取材では、「世界史の現場」を目の当たりにしてきたことになる。地域紛争であっても世界に“さざ波”くらいは起こしているが、今回のケースは世界史全体への巨大津波である。

佐藤 和孝(さとう・かずたか)
ジャーナリスト
1956年北海道帯広市生まれ。横浜育ち。ジャパンプレス主宰。山本美香記念財団代表理事。24歳よりアフガニスタン紛争の取材を開始。その後、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、アメリカ同時多発テロ、イラク戦争などの取材を続け、2003年にはボーン・上田記念国際記者特別賞を受賞。著書に『アフガニスタンの悲劇』(角川書店)、『戦場でメシを食う』(新潮新書)、『戦場を歩いてきた』(ポプラ新書)、『タリバンの眼』(PHP新書)など。

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