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風流な音を奏でる「ししおどし」、もともとその音は聞き入るのが目的ではなかった?!

  • 2023.3.29

風流な音を奏でる装置のことを「ししおどし」と呼びます。 これらは水の増減によって音を奏でる仕組みとなっています。 しかし、もともとその音は聞くことが目的ではなかったそうです。

そこで今回はそれら「ししおどし」について解説します。 特に昔はどのような目的で設置されたのかについて説明します。

「ししおどし」とは

まずは「ししおどし」がどのようなものなのか見ていきましょう。

ししおどしは「添水(そうず)」と呼ばれる構造をしている

「ししおどし」は風流のある音を奏でる装置のことです。 特に日本では神社や寺院の庭園に置かれることが多いです。 これらは水の増減によって音を鳴らすよう設計された仕掛けのことを言います。

その仕組みは以下の通りです。 まず一方を削った竹筒に「懸樋(かけひ)」で水を引き入れます。 そこに一定量の水が溜まることで支点の片側が下がり、水を排出する構造となっています。 その際、反動で竹筒が跳ね上がり、竹筒の尻が石を叩くことで風流のある音が出るのです。

それらの構造は「添水(そうず)」と呼ばれ、ししおどしの代名詞にもなっているのが特徴です。 この一連の動作を生み出すのが「ししおどし」です。

今ではその音が風流だとされ、多くの庭園に採用されています。 特に現代では神社や寺院だけではなく、由緒ある家系の庭園などにも設置されていることが多いです。

風流な音を楽しむためではなかった「ししおどし」

現代では「ししおどし=風流を楽しむもの」という認識があります。 しかし、昔はそうではなかったようです。

本来はシカを追い払うのが目的だった

本来の「ししおどし」は害獣対策が目的だったとされます。 特に田畑を荒らすシカなどを追い払うためのものだったそうです。

それらのこともあり、漢字表記では「鹿威し」と書かれます。 他にも漢字表記では「獅子威し」と書かれることもありますが、こちらは「しし」に引っ張られた表記となります。 どちらも間違いではありません。

もちろん「ししおどし」はシカだけではなくイノシシなども追い払ってくれます。 つまり、もともとは鳥獣対策として実用的な意味で設けられたものだったわけです。

そのため、あくまでも風流は二の次でした。 しかし、その反面で「ししおどし」の音が風流だったことから、神社や寺院に設置されることが多くなったとされています。 特に近年では全国各地の庭園に取り入れられています。

中でも「ししおどし」は庭園表現の1つとして重要な役割を持つ装置です。

「かかし」や「鳴子」もししおどしの一種だった

昔は「かかし」や「鳴子」も「ししおどし」の一種でした。 事実、どちらも鳥獣対策として設置されたのが始まりです。

「かかし」とは

「かかし」とは、作物を荒らす鳥獣を防ぐために田畑に立てる人形のことです。

これらは竹や藁などで作られるものが主流です。 その多くは人を模したものが多いとされています。

なお、これらは単に田畑に掲げるだけのものではなく、見掛けでは良さそうなのに役に立たない人などのことも指します。 その場合は見掛け倒しという意味も含まれるので注意しましょう。

「鳴子」とは

「鳴子」とは、作物を荒らす鳥獣を田畑から追い払うための仕掛けのことです。

板に細い竹管を掛け連ね、縄を引いて音を出す構造となっています。 それらから発せられる音に驚いて、多くの害獣は逃げていくわけです。

ししおどしのはじまり

では「ししおどし」はどこから始まったのでしょうか?

ししおどしを作ったのは徳川家康の元家臣?

「ししおどし」を作ったのは徳川家康の元家臣だった人物です。 その人物こそ、石川丈山と呼ばれる庭園作りの名手とされています。

彼は文人としても知られていましたが、庭園作りなどにも精通していたのだとか。 そんな彼が鳥獣対策として考案したのが「ししおどし」だったそうです。

つまり「ししおどし」の生みの親は石川丈山と言えます。

最初のししおどしが設置されたとされる京都・詩仙堂

「ししおどし」が設置された最初の場所は京都の詩仙堂とされます。

詩仙堂とは京都の左京にある山荘跡のことを言います。 これらは国の史跡にも指定されるなど、貴重な遺産でもあるそうです。

現在は曹洞宗の寺院としても知られ、別名で丈山寺とも呼ばれます。 これらはもともと石川丈山が隠居するために建てた山荘であり、そこから名前が付けられたわけです。

まとめ

「ししおどし」は風流のある音を奏でるのが魅力です。 しかし、これらはもともと鳥獣対策として設置されたのが始まりです。

事実、もともとは庭師だった石川丈山が考案したもので、害虫を追い払うためのものだったそうです。 ただ、現代では日本の美しさを表す要素の1つとなっているため、本来の役割は薄れつつあります。

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