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ぶったまげるほど美味かったスペインの生ハム|世界のハム

  • 2023.3.25

自転車で世界一周を果たした旅行作家の石田ゆうすけさんは、日本にいたころは生ハムにあまり興味がなかったそうです。しかし、スペインのバルを訪れたときに驚愕の逸品に出会います――。

ぶったまげるほど美味かったスペインの生ハム|世界のハム

■幻の味わい

生ハムが日本で食べられるようになったのはバブル期あたりからだったような印象がある。生ハムメロンなる食べ方と同時に広まったんじゃなかったか。
そのころ大学生だった僕は、某ファミレスで調理のアルバイトをしていて、イタリアンフェアか何かで初めて生ハムを知った。変な味だと思った。これのどこがハムだ?
メロンと合わせる意味もよくわからなかった。
そのファミレス以外でも何度か食べた気はするが、印象は変わらなかった。当時はまだワインの味もよくわからない子供の舌だったせいでもあるだろうし、どの生ハムも質はそう高くなかったのだと思う。なんせ学生だったし、高級店では食べていない。

そんなわけで、生ハムのよさがわからないまま26歳で自転車世界一周の旅に出たため、スペインに入国し、田舎町のバルに入って天井から生ハムの原木が大量にぶら下がっているのを見たときは驚いた。あれがこんなに愛されているの?と。
実際、どの客も生ハム――ハモン・セラーノを頼んでいる。メロンと合わせるわけでもなく、ただナイフで粗く削いだものがぶっきらぼうに皿にのっているだけだ。郷に入っては郷に従え。僕も赤ワインと一緒に注文してみた。ワインは一種類だけで、樽からグラスに注がれる(ボトルもあったかもしれないが、客はみんなこの樽ワインを飲んでいた)。どちらも100円程度だ。田舎のバルは驚くほど安い(今は知らないが)。

生ハムを食べた瞬間、あれ、旨いな、と思った。コクも風味も強くて、脂が甘い。本場のはやはり違うのだろうか。脂が舌の上で溶けていくのを感じながら、赤ワインを口に入れる。軽めでベリー風味のあるワインが何かもう生ハムのためにピンポイントでつくられたのかというぐらい合う。これがスペインの飲み方なんだな、と胃の腑に落ちた。日本の居酒屋の「ビール&枝豆」などよりもっと定番中の定番という感じだ。

翌日もバルに入って赤ワインを頼み、生ハムを食べるとぶったまげた。舌の上でシャーベットのように溶け、旨みがグラデーションのように変化しながら広がっていく。肉を噛んだ感じがしなかった。ほんとに液状に溶けて消えていったようだった。

それからというものスペインの旅はバルの旅のようになった。毎晩ここぞと思うバルに飛び込み、溶ける生ハムを追い求めた。どれも旨かったし、脂の溶け方にも陶然としたが、あのシャーベットのような生ハムにはその後出会うことはなかった。値段的にイベリコ豚の「ハモン・イベリコ」ではなかったと思うが、それでは一体、あれはなんだったんだろう……。

スペインのあとはアフリカを1年3ヶ月旅して再びヨーロッパに戻った。で、もうひとつの生ハム大国イタリアを訪れ、生ハム――プロシュートを食べてみたのだが、あれ?と首を傾げた。ハモン・セラーノとプロシュート、名前が違うだけかと思ったが、味も微妙に違う。イタリアのプロシュートは日本で食べていたのと同系統の味だ。イタメシブームの時代に食べていたから当然といえば当然だけど。

どっちが旨いかは好みだけど、僕はスペインのハモン・セラーノの肉の風味と脂の甘味により興奮した。もっとも、イタリアのプロシュートは2、3度しか食べなかったので、もっともっと追求すれば、あるいは、本場のパルマで上質のものを食べれば、違った印象になったかもしれない。

スペインで食べたあの“シャーベットのような生ハム”の感動は帰国後も忘れられず、今でも意識のどこかであの味を追いかけている気がする。生ハムを前にするたびに「次こそはもしかすると……」と思いながら口にし、「……また違ったか」と息をつく、そんなルーティーンをほとんど反射運動のように繰り返している。
あの領域に近づくものすらないので、思い出が極端に美化されてしまったか、あるいはハナからそんなものは存在していなかったのでは、とさえ思うようになった。
でも旅とはそういうものかもしれない。味との出会いもやはり一期一会、再会しようと思っても、おそらく無理なのだろう。だってそれは一生に一度きりの、言ってしまえば奇跡の出会いであり、幻影なのだから。

文:石田ゆうすけ 写真:佐々木美果

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