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「人生をやめたい」どん底の吉川めいさんを変えた、ある気づきとは

  • 2023.3.23

まだ10代の頃だったと思うのですが、私の中に知らぬ間に定着してしまった”思考の種”があります。それは、「私はギリギリなタイプだ」といった、ちょっと危うい思考です。親に言われた訳ではないし、誰かに教わったことでもありません。思い返せば、思春期真っ只中に両親の離婚を体験したことが、私の心に深い傷を残し、その頃に生まれた発想だったのだと思います。

当時の私は、自己の形成の安全地帯だったはずの家庭という基盤を失い、何を信じていいのかわからなくなっていました。両親共にそれぞれ大変な思いをしていた中、誰が私の親権を持ち、私の面倒を見るべきかといった、私にとって最も根本的な養育が不安定となった、とても辛い時期でした。

私はそのことについて一度も口に出したことはありませんでしたが、「自分は見捨てられるかもしれない」「私は価値がない」といった、自分の存在意義を問うような思いが、この頃に芽生えたのだと思います。このままいったら私は自分がどんな大人になってしまうのかわからない。もうダメかもしれない。そんな心境のエッジを彷徨う中、「私はギリギリなタイプだ」という思考の種は、次第に観念へと育ち、根を張り、私の心の中に定着していきました。

人のことだと見えやすくても、自分のことだとなかなか見えない。今ではこうやって文字にしてクリアにできるけど、「自分はギリギリのところを生きている」という観念は、気づかれないまま私のアイデンティティの一部となっていました。このような考え方や感情の不安定が続き、自分の存在の基盤を失いつつある精神状態は、臨床的に Borderline Personality Disorder(境界性パーソナリティ障害)と診断されることがあります。英語では「ボーダーライン=境界性」という言葉を使った表現なのですが、まさに当時の私は、親と住むことができず、姉と暮らすことになり、大人の見守る目が少なかった中、自分は「ボーダーライン、ボーダーライン(危うくギリギリ境界性パーソナリティ障害)」なのではないか、と勝手に疑い始めてしまったのです。

その数年後、やっとの思いで精神的に持ち堪えようとしていた時期に、母は脳神経系の病気を発症しました。先が見えない見解の中、再び不安な気持ちに襲われ、私は崩れ落ちそうな状態でした。しかし、そんなどん底の暗闇の鬱と不眠から必死になり、少しでも自分の健康を助けてくれるものはないかと、ヨガと瞑想に出逢ったことも事実です。

そこからまた何年もかかったのですが、再び這い上がるように自分なりのバランスを見つけ、20代中頃で結婚。パートナーとのスタートを切ることで、どうにかしてもう一度自分の基盤を見つけたかったのでしょう。しかし、この結婚も5年後にはピリオドを打つことに。こうして30歳になる前に立て続けに起こったショックすぎた出来事は、ワンツーならぬワンツースリーパンチまで。私は、人生にコテンパンに殴り倒されたように、自分の状態を危うく、ギリギリのエッジを彷徨うように感じずにはいられませんでした。

そんな私に大きな転機がやってきたのは、自分の離婚を経験して間も無く、まだ小さな赤ん坊だった長男を連れてインドへ行ったある夏のこと。南インドという土地は、ヨガを学ぶために24歳の時から通い始めた第二の故郷。ローカルのお友達も多く、インドの暮らしは私にとって毎日ヨガの練習にどっぷり浸かるだけでなく、ハイペースだった東京ライフを物理的に離れ、自分を癒すために必要なサンクチュアリでもありました。

長男が産まれ、母になり生活が一変してまだ日が浅かった頃。離婚を決意した同じ月に、父が癌申告を受けたことが重なり、私は精神的に相当応えていました。日本の仲間達は「赤ちゃんを連れてインドに行くなんてリスクが大きすぎる」と戸惑いを隠しませんでしたが、私は、こんな時こそボロボロの自分を労わり、見失いかけていた自分の心のセンターに戻りたいと、第二の故郷へ向かったのでした。

穏やかな気候の南インドの慣れ親しんだ街並みに着くと、私はすぐに友人のサンディープの家に駆け込みました。ただただ、誰かにゆっくり話を聞いてもらいたかったのです。

サンディープは、東京人にはまずないようなスローモーションで、熱いチャイを入れてくれました。小鍋から小さなスチールカップに注いだ本場のチャイは、なぜだろう? それだけで時の流れをゆっくりさせるパワーを秘めているかのように、いつまでも冷めず、私たちの長い会話を見守ってくれました。そんな優しい空気が用意されただけで、私の目からは津波のような涙が溢れ出しました。

「もうボロボロ。壊れきっているし、本当にダメかもしれない。私は、本当にボーダーラインかもしれない」と。嘆くようにこぼした言葉は、長年の心の声をそのまま語っているようでした。「パパとママが離婚した時も、もう本当に人生諦めたかったし、 ママが病気になった時も、右も左も、その先どうしたらいいか全く見えなかったし。真っ暗だった。もう今回こそ本当にダメかもしれない。一番信頼していた人とこんなことになるなんて。私はそうやって何度も、何度もギリギリのところばかり! 私は、ボーダーラインかもしれない」と号泣しました。

座布団も不要とする、慣れたあぐら座で座るサンディープは、膝の横の床にそっとスチールカップを置くと、顎の先の髭を指でなぞりながら、しっとりと時間をかけて答えました。

「そりゃあ、思春期の親の離婚は辛いよね。ただでさえとても多感な時期だし、君が人生を辞めたくなる気持ちも分かる気がする」

何も否定せず、そうやって聴いてくれる人が目の前にいただけで、どれだけ私にとって救いだったか。私は、自分より何年も人生の先輩で、かつアーユルヴェーダ的観点から感情について深く研究してきている彼から発せられる穏やかな雰囲気に飲み込まれるように聞き入りました。

「その数年後にお母さんの病気が始まったんでしょう? 君はまだ学生だったのに。それは多大な精神的ストレスだし、ショックだよね。だけど君は、その時も人生を辞めたいって感じつつも、辞めずにいた。辞めないどころか、その時期にヨガと瞑想を見つけたんだよね?

そして今。最も信頼していた人と衝撃的な離婚に至り、君は自分がボロボロだと話す。だけど、君は“壊れ切っていてもう本当にダメかもしれない”と言いながら、僕のリビングでチャイをすすっている。よく状況を見てみると、君はちゃんと、今の自分にとって最も安心できる場所と相手を選んで、ここに来ているのだろう」彼の冷静な知見にはハッとさせられましたが、それでも不思議と納得できたことを覚えています。

「君は、自分のことを“ギリギリボーダーラインかも”と何度も言うけれど。僕はこれらの理由で君は“ボーダーラインではない”と見極めるよ。なぜなら君は明らかに、何度崖っぷちまで歩み出ても落ちないタイプだということを繰り返し証明しているんだからね」

それは、私の頭上の雨雲から雷が落ちたような瞬間でした。

一度見えてしまったら、見えなかったことにできないこと。「気づき」とは、このようなことを指すのだと思うのです。落雷のように、サンディープの言葉によって私の心に突然落ちた気づき。それは、私の中に根付いていた定番ロングランの心のナレーション:「私はボーダーライン」を一挙に崩し、根絶したのでした。

何度も辛い経験をしてきていることには変わりはないのですが、「それについて自分がどう考えるのか」の視点が著しく変わった瞬間でした。そして、あの日のチャイ以来、私は、もう自分で自分を「危ういギリギリだ」なんて思えなくなったのです。そして、人生を捉える視点がなんだか少し広く、軽く、明るくなったように感じています。

出来事は変わっていない。ただ、「それについてどう考えるか」が変わっただけ。それなのに、自分の見る世の中が変わって見えるなんて。心のヒーリングとは、思うよりよっぽど近くで始まるのかもしれない。忘れられない体験は、いつまでも私の心の中で新しくあります。そして、慣れ親しんだ自分の視点を変えることに常にオープンでいたいとまで感じるようになった、今日の私を作っています。

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