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東スポ編集局長が本気で餃子を売ることにした理由

  • 2023.3.23

「東京スポーツ」というより「東スポ」の方が名は通っている。読んだことはなくても知っている人は多い夕刊スポーツ紙だ。競馬やプロレスを含むスポーツネタはもとより、芸能やエロニュース、未確認生物ネタなどに本領を発揮し、「飛ばし」や荒唐無稽な記事も多いため、「東スポに載っているもので、日付以外で正確なものはない」とさえ言われることもある。紙の読者の99%が男性だ。

そんな東スポが経営危機に陥り、会社を立て直すために乗り出したのが食品事業で、その名も「東スポ餃子」というのだから、これもまたネタの一つか、と思われたが、なんと軌道に乗りつつあるという。

その顛末を記した『起死回生 東スポ餃子の奇跡』がエムディエヌコーポレーションから出版された。取材・執筆したのは現在、在京テレビ局に勤務する岡田五知信さんだ。雑誌記者の経験もある岡田さんは、ネット時代に苦境に立たされた既存メディアの現状を冷静に抑えつつ、東スポの前代未聞の試みの意味を考えさせてくれる。

苦境の夕刊スポーツ紙が迎えた経営危機

一時は夕刊紙の雄として、『夕刊フジ』『日刊ゲンダイ』とともに、刷れば刷るほど売れる黄金時代も経験した東スポは、その後の活字離れによる部数減と、ネットメディアへの転換に乗り遅れたことが響き、深刻な経営危機に陥る。銀行とコンサルタントから大規模なリストラを迫られ、多くの記者や社員を退職に追いやることになる。

そうした中で、取締役編集局長がほぼ独断で決めたのが、「東スポ餃子」の販売だった。

「なぜ、編集の責任者が新聞を作らず、餃子を焼いているのか」

社内からも、こうした批判が起きるのは当然のことだったが、まがりなりにも「東スポ」というメディアブランドが存在するなかで、なぜ「餃子」だったのか。そこには編集局長の直感だけでなく、それなりのブランド戦略とコスト意識があったことが本書でよくわかる。

一方、やると決まったら一気呵成に動き出すのが東スポのようで、メディアの利点を生かしてみずから記事を載せ、他のメディアにも売り込みを図る。ただし、「飛ばしの東スポ」である。最初の記事に「ネタじゃない! 東スポ餃子が爆誕」という見出しをつけて、本気度をアピールしなければならなかったのである。

それでも、自分たちを苦境に陥れたネットメディアで話題になると、他の新聞やテレビも取り上げるようになり、「東スポ餃子」はその味もさることながら、話題性で注目されるようになり、売れ出す。

この辺りを岡田さんの取材に語る編集局長の口ぶりからは、会社立て直しに懸命になる経営者と、会社の苦境を気負いなく認める中年サラリーマンの姿が見えてくる。そこに彼の破天荒な生い立ちも重ね合わせると、単なる経営論を超えた味わいがある。

広報はエロ記事担当と兼務

また、「東スポ餃子」の広報担当となった編集局員のインタビューも印象的だ。本職はエロ記事の担当で、AVからSMまでなんでも扱う。人が少なくなったため、他の記事も書くことがあり、さらに兼務で「東スポ餃子」の広報や取材対応にスーツ姿で走り回っているのだ。

戸惑いがなかったわけではないが、いまはやりがいを感じているという彼の口ぶりにも、悲壮なサラリーマン像とは違った空気が漂っている。「いまはこれをやるしかないんだ」という決意とは別に、「東スポ餃子」が取り上げられるたびにテレビに自分が映ることを素直に喜ぶ。

「東スポ餃子」に刺激され、ライバル『夕刊フジ』が「夕刊フジ飯店」として「生姜小籠包」を発売、東スポも負けじと、「東スポ唐揚げ」「東スポポテチ」と食品戦線を拡大するなど、夕刊紙を中心とした食品販売の動きは拡大しつつある。

ただ、本書を本業が衰退した企業の新規事業開拓のサクセスストーリーと呼ぶのは、まだ早すぎるだろう。社外も含めて、餃子販売を批判する声は今もあるし、本業の新聞・メディア部門に匹敵する収益を上げるには時間もかかりそうだ。

なにより、今後のスポーツ新聞業界がどうなるのか、見通しは暗いといわざるを得ない。とくに、活字であればこそ容認された東スポの「飛ばし」は、「Yahoo!ニュース」などネットメディアへの配信が許されなくなっている。また、最近のルッキズム批判やLGBT差別問題は、東スポが得意としてきた芸能記事やエロ記事に致命的な打撃となっているという。かつては紙面のあちこちにあった「美女」という活字は、ご法度となる時代である。

「東スポは新聞社ではない」

先の編集局長は、

「東スポは新聞社ではない。新聞も発行する総合商社に生まれ変わらなければならないということですね」

と言い切っている。もはや、メディアとかジャーナリズムとか言っている場合ではないという開き直りも垣間見える。

本書の帯には「崖っぷち新聞界に闘魂キック」というコピーが、東スポ風の色合いで踊っているが、新聞業界はまさに背水の陣にある。

かつて部数が低落しつつあったときの雑誌は、新聞の未来と言われた。その先頭を切ってスポーツ紙の部数は凋落の一途をたどっている。そして、その後を追うように、全国紙も地方紙も長期低落傾向に歯止めがかかっていない。

いずれ大手新聞社も「東スポ」や「夕刊フジ」のように、それぞれのブランドイメージに合わせた食材を売って競い合う日が来る――。

これも荒唐無稽な予想とは言い切れないと思うと同時に、その時、メディアやジャーナリズムはどうなっているのだろうか、というもう一つの考えも頭をよぎった。

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