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世界遺産のあり方を変えた!かつての首都「平城京」を感じる奈良の文化財【世界遺産探検記 11】

  • 2023.3.16

こんにちは、世界遺産ライターのコージーです。

今回訪れたのは、1998年に世界文化遺産に登録された「古都奈良の文化財」。平城宮跡や唐招提寺など、寺院や神社を中心に8つの資産から構成されています。

修学旅行で行かれた方も多いと思いますが、奈良の本当の魅力を知っていますか?

遺産自体が美しいのはもちろんですが、世界遺産のあり方を変えたという点で非常に意義のある遺産なんです。

全国民の2人に1人が関わった!?国家事業として建造された東大寺

「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されている資産は8件。限られた時間の中でどこに行くべきか迷うが、まずは東大寺へ。

奈良といえば、東大寺(あと鹿も)。

中学3年の修学旅行で奈良・京都に行ったのだが、その時のイメージは「奈良=東大寺=大仏」である。中3の思い出は、そんなものだった。

あれから14年。当時の思い出を更新するべく、ここから旅を始めることにした。

近鉄奈良駅から15分ほど歩くと、東大寺の正門である南大門が現れる。

青い空、ひんやりとした空気、南大門。

ああ、僕は奈良に来たのだ。そう実感するのにこれほどふさわしい場面はあるだろうか。

時刻は午前8時前。人通りの少なさが、南大門の荘厳な雰囲気をより際立たせている。

門の高さは約25m。屋根裏まで達する大円柱は全部で18本あり、高さ21mにまで及ぶ。

南大門の創建は奈良時代だが、現在の門は鎌倉時代に再建されたもの。威厳を感じさせる門構えに、思わず後ずさりしてしまった。

南大門を通り抜け、参道を進むと中門が登場。

この奥には、聖武天皇が建立したことで知られる大仏が安置されている大仏殿がある。

聖武天皇の時代には天然痘や災害が多く、政治的混乱を治めるため東大寺の建造が計画された。聖武天皇が仏教を篤く信仰していたこともあり、その象徴として大仏が建立された。

中門をくぐると、大仏殿(金堂)が見える。

現在の大仏殿は2度の焼失を経て、江戸時代に再建されたもの。正面57m、奥行き50m、高さ48mと木造建築物として世界最大級を誇る。

大仏殿の中には、高さ約15mの大仏が祀られている。

東大寺の造営は国力を総動員した大事業だった。大仏の建立には約260万人が携わったと言われている。当時の人口は推定500〜600万人なので、全国の2人に1人が大仏の建立に関わった計算になる。

現代では到底考えられない規模だ。もし今、日本の国民の半数が1つのプロジェクトに取り組んだら、どんな景色になるのだろうか。ちょっと気になった。

政治・経済・文化の中心地「平城京」

続いてやってきたのは、元興寺(がんごうじ)。

日本の首都といえば東京と京都のイメージが強いが、奈良も忘れてはいけない。

奈良は710年から784年まで日本の首都「平城京」がおかれ、政治や経済、文化の中心地として栄えた。

目上に道路が走り、政治や儀式を執り行う平城宮は北の中央に建造された。

奈良時代は仏教興隆政策が行われ、数多くの寺院が建造・移築された。

これらの歴史的建造物は、唐から律令制を取り入れ中央政権が確立された当時の政治状況や、約10万人が暮らしていた平城京の街並みを今に伝えている。

世界遺産に登録された建造物群からは、高度な木造建築技術や神道や仏教などの宗教的空間の特徴がうかがえる。

元興寺は、6世紀に蘇我馬子が建立した日本最古の寺院「飛鳥寺」を起源とする。平城京遷都後の718年、旧都の飛鳥藤原地方から現在の場所へと移築された。

奈良観光で訪れている人はあまり多くない印象だが「古都奈良の文化財」の構成資産の中でも歴史が深く、奈良時代を感じるためにぜひ行ってほしい。

文化遺産の重要な概念「真正性」とは

3番目にやって来たのは興福寺。「福を興す寺」。最高に縁起が良い名前だ。

ところで、奈良の世界遺産は世界にある1157件(2023年3月時点)の遺産の中でも特に重要度が高い遺産だ。遺産そのものが素晴らしいだけでなく、世界遺産のあり方にまで影響を与え、世界遺産を大きく前進させたからだ。

カギとなるのが「真正性」という言葉。真正性とは、ごく簡単に言えば「本物であると信頼できるか」。形状や素材、用途、管理体制などがそれぞれの文化的背景の独自性や伝統を継承しなければいけないというわけだ。

真正性の考え方のもとになっているのが、1964年に採択されたヴェネツィア憲章。建造物や遺跡を修復する際には建設当時の工法、素材を尊重することが重要視された。

真正性は文化遺産に求められる概念で、真正性を満たしていないと判断されれば、世界遺産への登録は見送られることになる。

真正性の捉え方をアップデートさせるきっかけとなったのは、奈良の法隆寺だった。

法隆寺は「古都奈良の文化財」とは別に「法隆寺地域の仏教建造物群」として1993年に世界遺産に登録された。

法隆寺の世界遺産登録をめぐり、真正性に関する議論が巻き起こった。

かつては遺産が建設された当時の状態をそのまま維持・保存していることが真正性であると考えられており、法隆寺における真正性に疑問の声が上がったのだ。

当時、世界遺産をリードしていたのは欧米諸国。真正性は、欧米の石の文化を前提とした考え方だった。

欧米の建造物で用いられている石は時代を経ても変化しにくく、建設当初の状態を保ちやすい。

一方で、法隆寺や興福寺、東大寺は木造。木は石のように、同じ状態で長期間保存することは難しく、これらの木造建造物は定期的に部材の部分的な取り替えを含む修理を行っている。

「法隆寺地域の仏教建造物群」を世界遺産へ登録するにあたって、日本政府は木の文化における保存・修復の歴史を説明した。

そして、無事世界遺産登録を果たした翌1994年、奈良市にて「真正性に関する奈良会議」を開催。会議の参加者は奈良の建造物の修復現場を視察したという。

日本主導で採択された奈良文書では「遺産の保存は地理や気候、環境などの自然条件と文化・歴史的背景などとの関係の中ですべきである」とされた。

真正性は各地域の自然条件や歴史的背景などに応じて判断されるべきであり、その文化ごとの真正性が保証されるかぎりは、遺産の解体修理や再建なども可能となった。

奈良文書によって真正性の解釈は柔軟になった。アジアの木の文化やアフリカの土の文化などにも目が向けられ、世界遺産リストの多様性を促進させる契機となったのだ。

奈良文書は、世界遺産を真の意味で"世界遺産"にした意義ある文書だ。奈良は、世界遺産全体の進歩、発展に大きな貢献を果たした。

東西の両塔がシンボルの薬師寺

今回の世界遺産探検、ラストを飾るのは薬師寺。

薬師寺は680年に天武天皇の発願によって建立された寺院で、平城京の遷都に伴い、718年に現在の地に移築された。

薬師寺といえば、東塔、西塔の2塔がシンボル。まだ入場前だが、堂々とした姿が見える。

入場料を払って中門をくぐると、目の前には金堂、右手に東塔、左手に西塔が現れる。

東塔は、薬師寺で創建当時から唯一残る建物。

六重に見えるが、実は三重塔。各層に裳階(もこし)がつけられており、大小の屋根が交互に出入りする特異な構造となっている。全体として律動的な美しさを保ち、「凍れる音楽」と称されている。

2009年から2021年まで12年間にわたって、史上初の全面解体大修理が行われた。

こうして美しい姿を保ち続けられるのは、奈良文書によって真正性の解釈が広がったおかげだろう。

西塔は1528年に焼失してしまったが、東塔の綿密な調査に基づいて設計され1981年、伝統的な木造建築の工法で再建された。

右に東塔、左に西塔を拝み、中央前方に見えるのが金堂だ。金堂を東西の両塔が挟む配置は日本で最初だったため、このような伽藍は「薬師寺伽藍配置」と呼ばれている。

金堂内には薬師如来、日光菩薩、月光菩薩の薬師三尊が祀られている。高さ3mを超える3体の銅像は、7世紀末から8世紀初頭に制作された。日本における仏教彫刻の最高傑作の1つとされる。

金堂の奥には、たくさんの学僧が仏教を学んだ大講堂がある。高さ15m、幅50m、奥行きは10m。金堂よりも大きいのが意外だ。

大講堂のさらに奥には、2017年に再建された食堂(じきどう)がある。僧侶が食事をするほか、仏教儀礼なども行われていたらしい。

薬師寺はどこからでも写真を撮りたくなる。トリを飾るのにふさわしい場所だった。

今回訪問できたのは8つの構成資産のうち、4資産。平城宮跡、唐招提寺、春日大社、春日山原始林はまたの機会にとっておく。

平城京は世界の影響を受けて、8世紀につくられた都だった。それから時代を超え、20世紀には世界に影響を与える存在となった。

そして「古都奈良の文化財」がもたらした世界遺産の進歩は、21世紀の世界をより良いものへと変えていけると、僕は思う。

石の文化、木の文化、土の文化、それぞれの文化に合った遺産の保存方法がある。正解は1つではない。

僕たちはつい、自分のレンズで物事を見てしまう。だが、いろんなレンズで世界を見ることができれば、世界はもっと輝くに違いない。

All photos by Koji Okamura

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