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だから日本より少子化が深刻に…「算数だけで家庭教師4人」シンガポールでかかる"すさまじい教育費"

  • 2023.3.14

シンガポールの出生率は日本より低い。なぜ深刻な少子化が続いているのか。5年間そこで子育てをしながら調査をしてきたジャーナリストの中野円佳さんは「シンガポール人にとって、子育てをするうえでの大きなハードルは、『お金がかかること』だと指摘されてきた」という――。

※本稿は、中野円佳『教育大国シンガポール』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
※記事内の金額などのデータや状況についての記述は、2018年~2021年の取材当時のものです。

日本よりも低い出生率

教育役割は親にとって経済的にも負担となる。シンガポール人を配偶者に持つある日本人女性は、「私たちは引っ越せないので、今この環境で子育てをしているけど、あえてシンガポールで教育を受けさせたいとは思わない」とつぶやく。

私は、シンガポールで子育てのしやすさを実感してきた。街中での子連れへのやさしい視線に加え、共働きが前提の社会であるがゆえのサービスの多様さにも助けられる。しかし、これはあくまでも、余裕のなさすぎる東京との対比で、さらにいつか母国に戻る選択肢のある外国人の感覚なのかもしれない。そこで生まれ、そこで生きていくことが基本である人たちにとっては、ここまで見てきたように、シンガポールの教育システムは時に過酷だ。

実際に、住んでいる人たちにとって、必ずしも子育てがしやすいとは言いがたいことをうかがわせるのが、シンガポールの極端に低い出生率だ。

シンガポールでは、1970年代以降に急速に少子化が進み、現在では出生率が1.2以下で推移している(図表1)。都市国家であることをふまえ、東京と比べれば同程度だが、日本全体よりも低水準ということになる。

【図表1】シンガポールの出生率の推移(女性一人あたり)
※『教育大国シンガポール』(光文社新書)より
シンガポールの人口政策

シンガポールは、1965年の独立当初は、増加する人口と失業問題の解決を狙って「子どもは2人まで」というスローガンを掲げ、出産抑制政策を取った。

しかし、1970年代に、外資系企業の大量進出により労働力が不足し、また国民所得の向上の結果として、親が子ども数を少なくして自身の生活を楽しむ傾向が強まり、出生率が低下すると、出産奨励へ方針を転換しはじめた(岩崎 2005※1)。

1983年に、リー・クアンユー首相は、高学歴女性に対しては結婚と多産、低学歴女性に対しては出産抑制するという驚きの政策を発表した。大卒の母親には、出産や子どもの看病に際して、有給休暇や税金の払い戻しなどの優遇措置、希望するエリート学校への入学を優先的に認める一方で、世帯月収が1500シンガポールドル以下で学歴の低い母親には、第一子か第二子出産後に避妊手術を奨励し、手術を受ければ1万シンガポールドルの手当てを支給することを決定したのだ。

この政策は、優生学的だとして批判され、1984年の12月に、それまで一貫して与党として7割以上の得票率を保っていた人民行動党が、総選挙で79議席中2議席を失う「歴史的敗北」を見る。慌てたのか、高学歴女性への優遇策はその後廃止された。

少子化対策を打つも出生率は低迷

1987年には、「子どもは3人が理想、経済的に余裕があれば4人以上」との政策を打ち出し、学歴などにかかわらず、結婚や出産を全面的に支援する方向へ転換。ゴー・チョクトン副首相は、3人以上出産した場合は、所得税の還元、広い間取りの公共住宅の優先割り当て、託児所の利用に対する補助金支給などの優遇を与える政策を開始した。

2001年には「結婚・育児支援パッケージ(Marriage and Parenthood Package)」という支援策を発表し、その後、幾度も拡充している。たとえば、2001年は2人目、3人目への補助金支給であったものが、2004年からは第一子を含め第四子まで、2015年からは第五子以降も含めた出産奨励金、産休の延長、ベビーボーナスと呼ばれるケアが必要な家族がいる世帯への家事労働者雇用税などの軽減措置が実施された(Chen et al. 2018※2)。

しかし、その後も出生率は1.2程度と低迷する。2018年のデータによれば、独身の割合は、30~34歳の男性で40.4%、女性で27.4%(1990年は男性で34%、女性で20.9%だった)と、未婚化およびそれに起因する少子化には歯止めがかかっていない。

赤ちゃんの手
※写真はイメージです
なぜ少子化が止まらないのか

シンガポールにおける少子化の原因や政策的効果については、豊富な研究蓄積がある。

量的研究では、年齢、民族、学歴などの変数を用いて出生率の規定要因を探る分析が数多くあり、とりわけ市民の多数派(約76%)を占める中華系で出生率が低いこと、また女性の高学歴化が未婚化・晩婚化をもたらしていること、結婚したカップルの中では結婚時年齢が高ければ子どもの数が減ることなどが指摘されている。

女性の高学歴化が未婚につながる理由としては、女性の高学歴化が進んできたにもかかわらず、上昇婚規範意識があることが一因として挙げられている。シンガポール国立大学(NUS)の調査(2013年)によれば、シンガポール女性は結婚相手に自分より身長が高いこと(67%)、年上であること(55%)、高収入であること(44%)、知的であること(35%)、高学歴であること(23%)を求める傾向が指摘されている。

また、晩産化や1世帯あたりの子ども数の減少の背景としては、若いカップルが結婚時に家を購入する際に費用負担が重いことや、住みたい物件の入居権利を得るのに時間がかかること、女性の高学歴化により男性からの経済的依存からの解放が進んでいること、キャリアに投資する考え方が浸透している反面で、女性にとって子どもを産むことの心理的・経済的コストが高いことなどが遠因として言及されている。

前述のNUS(2013)の調査では、「子どもは学業やキャリアの追求をさまたげる」に同意する割合も、男性35.1%に対し、女性は41.9%と、男女差が見られる。女性たちは、産休が長くなることにより解雇される可能性を懸念しているとの指摘もある。

お金がかかりすぎる

女性の高学歴化が未婚化・晩婚化をもたらし、結婚したカップルの中では、結婚時年齢が高ければ子どもの数が減る……という、日本とも共通する問題が起こっている。

また、親になることのストレスの増加や、より少ない子どもに投資する傾向も指摘されており、ある論文では、165人のシンガポール人女性へのインタビューで、子どもの人数を増やす選択肢が取りづらい理由について、次のような点を挙げている(Shirley Hsiao-Li Sun, 2012※3)。

・子育てが長期的なものであるのに対して政府の補助金が一時的でしかないこと
・子どもの学術面での成功を確実にするためにはかなりの金銭的投資が必要だと認識していること
・有給産休を取得できても雇用の保障がないこと
・父親の育休取得についても経済的不安から取得しづらいこと

つまり、シンガポール人にとって、子育てをするうえでの大きなハードルは、「お金がかかること」だと指摘されてきた。塾や習い事に追われることによる時間のやりくりが女性の就労を阻害する可能性もあるが、そもそもこうした外部資源の利用には当然お金がかかる。

高価な教育
※写真はイメージです
学校は無償なのに?

シンガポールは天然資源を持たず、「人材」が唯一の資源として、教育に力を入れている国でもある。シンガポール市民の場合、一部の宗教学校などを除き、大半の児童・生徒が公立学校に通い、義務教育は無償だ。

では何にお金がかかるのか。小学生の子どもを持つ約40家庭にインタビューを実施し、匿名で処理することを条件に、年収や教育費も支障のない範囲でシートに記入してもらった。

シンガポール人の月収の中央値は4500シンガポール・ドル(約36万円)。一方、インタビューをしたのは、教育競争の様相を知るために中華系の大卒の人が中心で、共働きが多く、世帯収入は1カ月1万シンガポール・ドル(約80万円)を超えるケースが大半だった。

現地新聞『The Straits Times』によれば、シンガポールの家庭では、月収の20%以上を子どもの教育にかけていて、収入が高い人ほどより多くお金をかける傾向にあるという(“Parents: More for kids, less for their own future” 2021.8.8)。

私の調査対象の人たちの月の教育費は、申告ベースで500~2000シンガポール・ドル(約4万~16万円)。習い事などの相場は、ヒアリングしている範囲では、おおむね1時間で30~80シンガポール・ドル(2400~6400円)程度の幅があり、週4回で1種類あたり、月1万~2万円台前後というところか。これを何種類、何人の子どもがやっているかで金額に幅がある。

家賃並みの教育費

金融機関の管理職で、小学生の子どもがいるある女性はこう語る。

「私の親の代では片稼ぎでもよかったけど、収入の伸びよりも物価が上がっているから、共働きをやめることは今はできない。学校にはお金がかからないけど、学校では大したことを教えてくれないから、結局親は、家庭教師にたくさんお金をかける。これが、すごくすごく高い。子どもに教えるのがとても上手だったら、専業主婦になることもできるかもしれないけど、塾のためだけに必死で働いている親は多い」

この「すごくすごく高い」という家庭教師費用の半端ない金額が明らかになっていったのは、中学生のいる親にインタビューをしはじめてからだった。

小学校修了試験前の小5~小6時にかけた金額を聞きはじめた頃、思わず月額と年額を間違えたのかなどと耳を疑い、驚いたふうを出さないようにしながら再確認する必要があった。

士業の仕事に就く中華系女性オーロラさん(仮名)は、小5の長女の家庭教師に払っている月額について、「5000~6000ドル」と答えた。日本円で40万~48万円程度。場合によっては世界でも高いことで有名なシンガポールのコンドミニアムの家賃より高い。それを毎月、1人の家庭教師に払っているということなのか。

オーロラさんは、長女の小学校修了試験(PSLE)に備え、「働きながら(子育てと勉強を見ることの)両方はできないから」という理由で、“フルタイムの”家庭教師を雇っていた。フルタイムの家庭教師というと、複数家庭の子どもを並行して教えるプロ家庭教師をイメージするが、オーロラさんの家に来る家庭教師は、オーロラさんの長女“専任”という意味だった。

宿題をしている子ども
※写真はイメージです
週5日、昼過ぎから寝る直前まで家庭教師と過ごす

週5日、毎日、長女が学校から帰ってくる昼過ぎから自宅に来て、夕飯を共にし、ほとんど寝る直前まで一緒にいる。「もう1人母親がいる、みたいな」存在だという。

聞くと、その家庭教師は、もともと友人の友人で、自分も子どもがいる中国出身の女性。中国ではワーキングマザーだったが、夫の転勤でシンガポールに来て、自分の子どものPSLEを終えた後、することがなかったため、当初は「お金は取りたくない」と無償でオーロラさんの長女に教えはじめたという。

オーロラさんは彼女の働きぶりを見て、あまりの献身ぶりに、まずは時給で支払いを始めた。ところが家庭教師の女性は、オーロラさんの家に来ていない時間帯も、オーロラさんの長女に説明するための資料作成や、長女が1つ問題を間違えれば、その苦手を克服するために似たような問題を持ってくるなどの準備に、膨大な時間をかけていることが分かったため、月額で渡すことにしたという。

「こうでもしないと、仕事ができない。彼女が来るようになってから、娘との関係もよくなった。親が自分で教えようとすると難しくて、親子の心理的な距離が遠くなったりするけれど、家庭教師がいてくれるから、娘は今も私と近しくて、何でも話してくれる。しかも、その家庭教師も(子どもを持つ)母親だから、この年齢の子どもをどういうふうに扱ったらいいかもよく分かってる」

算数だけで4人の家庭教師

オーロラさん夫妻は高収入カップルで、お金のある人のすることは、どこの国でも極端――ということだろうか。私はその後、このように毎日来る家庭教師を雇っている話を聞いたことがあるかと聞いて回ったが、同じ人物に全科目の家庭教師と母親的な役割までをも外注するケースはこれまで見つかっていない。

しかし、オーロラさんと同等の金額をかけている人は、そこまで珍しくはないことも分かった。しかも、必ずしも超高収入カップルに限らない。

インド系シンガポール人のサラさん(仮名)も、一人娘の小学6年生の1年間は、1日に2科目の家庭教師が入れ替わり来るなどして、中国語、英語、理科……と全8人の家庭教師(算数だけで4人)を雇っていた。それぞれの科目は週1~2回あり、すべての金額を合わせると6000~7000ドルになったという。彼女の世帯月収の申告は、夫婦合わせて8000ドル弱。「その1年だけと思って」、可処分所得のほぼすべてか、上回るほどの金額を家庭教師に投資していたことになる。

高学歴家政婦が人気

なお、シンガポールの家計調査(HES:Household Expenditure Survey)によれば、シンガポールではこの10年、塾の利用金額が激増している。家庭教師の利用金額はほとんど変わらないが、こちらも根強い人気を保っているようだ。その理由について「家庭教師は自分の子の学びに合わせてカスタマイズしてくれるから」と語る親は多い。

そして共働きにとっては、オーロラさんの例のように、もう1人の母のようにふるまってくれる、つまり家庭におけるケア役割も代替してくれるという理由がある場合もある。

あるとき、シンガポール国籍を取得済みの中国出身の友人が、中国語のニュース記事を私に送ってくれた。Google翻訳と彼女の説明をもとに要約すると、中国の都市の一部で、「高学歴家政婦」を雇うのが流行っているというのだ。

家政婦を雇ううえで、子どもの教育も見てくれる高学歴の女性が人気だという。新卒で就職活動に苦労する若い女性たちにとっても、家庭教師先の富裕層と人脈を築くことのできる仕事は悪くないと、その記事では分析されていた。

勉強を教えてくれて、子どもの状況に合わせたケアもしてくれる。親にしか果たせないと思われてきた家庭内での「教育役割」を、外注できる選択肢が出てきているといえるだろうか?

ハイエンド家庭/パワーカップルで、こうした母業も含めたフルタイム家庭教師を雇うという非常に個人化されたオプションは、今後一般的になり、女性の就労と男女平等化につながり得るだろうか?

しかし、ここで、教育役割を外注できるような家庭教師をつけるために必要なのは、お金だけではないことも分かってきた。

家庭教師確保のための競争

家庭教師ではなく塾を選んだ人たちにその理由を尋ねると、「高いから」以外に、「よい家庭教師を探すのが大変だから」「評判のいい家庭教師を確保できなかったから」という声が頻繁に出てくる。

中野円佳『教育大国シンガポール』(光文社新書)
中野円佳『教育大国シンガポール』(光文社新書)

つまり、家庭側が優秀な家庭教師を確保するのが難しく、獲得競争が熾烈しれつなのだ。もちろんシンガポールにも、日本にもあるような家庭教師紹介サイトや派遣サイトのようなものはある。しかし、実際に家庭教師を雇っている人に、どうやって見つけたのかを聞くと、ほぼほぼ「友人や親戚の紹介」だ。

しかも、半ば常識になっているのが、実績のある家庭教師には数年前から唾を付けておいて、今見ている子どものPSLEが終わった途端に、自分のところに来てもらうというものだ。

韓国の医学部受験をめぐるドロドロを描いた韓国ドラマ『SKYキャッスル』にも、受験コーディネーターについてもらうために奔走する話が出てくる。世界中で巻き起こっている「家庭教師の獲得競争」には、頭がクラクラしてくる。

シンガポールにおいて、親戚や知人から評判のいい家庭教師を紹介してもらえることは非常に重要。結局、経済資本、社会関係資本の有無によって、家庭教師を雇えるかどうかが決まっていることがうかがえ、ここでも恵まれた人がより有利な競争環境を確保していくという格差の実態を見ることになる。

<参考文献>
※1 岩崎育夫(2005)『シンガポール国家の研究 「秩序と成長」の制度化・機能・アクター』風響社
※2 Chen, M., Yip, P. S. F., & Yap, M. T., 2018, Identifying the most Influential Groups in Determining Singapore's Fertility, Journal of Social Policy, Vol. 47(1), pp.139-160.
※3 Sun, S.H., 2012, Care Expectations, mismatched: State and Family in Contemporary Singapore, International Journal of Sociology and Social Policy, Vol.32 No.11/12 pp.650-663.

中野 円佳(なかの・まどか)
ジャーナリスト
1984年生まれ。2007年東京大学教育学部卒、日本経済新聞社入社。金融機関を中心とする大企業の財務や経営、厚生労働政策などを担当。14年、育休中に立命館大学大学院先端総合学術研究科に提出した修士論文を『「育休世代」のジレンマ』として出版。15年から東京大学大学院教育学研究科博士課程、フリージャーナリスト。キッズライン報道でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞受賞。22年から東京大学男女共同参画室特任研究員。

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