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児玉雨子のきょうも何かを刻みたくて|Menu #6

  • 2023.3.13

「生きること」とは「食べること」。うれしいときも、落ち込んだときも、いそがしい日も、なにもない日も、人間、お腹だけは空くのです。そしてあり合わせのものでちゃっちゃと作ったごはんのほうがなぜか心に染みわたる。作詞家であり作家の児玉雨子さんが書く日々のできごととズボラ飯のこと。

今回は冷凍食パンを使ったので、卵液に浸した食パンを電子レンジ500Wで40秒加熱し、解凍しながら染み込ませた(裏面も)。その間にフライパンでベーコンの片面を焼き、それから食パンを投入すると、効率よく焼ける。
甘じょっ派による簡単贅沢ホテルライク朝ご飯。

贅沢な味って、いったい何だろう?ドレスコードのあるレストランに行くこと?回らないお寿司屋さんで、端から端まで頼むこと?星がついたホテルのアフタヌーンティ?もちろんどれも素敵だけど、それらは贅沢な「食事」であって、「味」というと私の中の定義からずれてしまう。

じゃあ何なのか、というと、同時に二つ以上の味覚が刺激されるものだ。しかも、その味覚が一見すると噛み合わないようなもの。例えばビターチョコレートやカフェラテのように、甘くて苦いもの。ちょっと複雑なものに、私は贅沢さや洗練された雰囲気を感じる。

その中でも、贅沢かつ危険な組み合わせがある……甘じょっぱいものだ。この組み合わせは日本食よりも、どちらかというと洋食や中華で出会いやすいと思う。

私の初めての甘じょっぱ体験は、小学校低~中学年くらいのとき。中華街のお店で食べた、縁が赤いチャーシューだった。あの赤はホンツァオという中国の麹の色らしい。チャーシュー=しょっぱいというイメージで食べてみると、かなり甘い。初めての味に驚いて沈黙していると、口に合わなかったのだろう、と気を遣った親が「まだ早かったね」と言って、私の分のチャーシューも食べてしまった。

次は、私が小学五年生の頃、家族でシンガポール旅行に行ったときのことだ。ホテルの朝食バイキングでパンを取ろうとしたら、隣にいた中年くらいに見える女性が、シェフに焼いてもらった目玉焼きとベーコンをトーストの上にのせ、そこにたっぷりメープルシロップをかけていた。目玉焼きといえば醤油?ソース?ケチャップ?塩こしょう?という、塩分の選択肢しか知らなかった当時の私には、それはそれはとんでもない衝撃。しかし、同時に「あれは絶対おいしい」という直感が働いていた。中華街での赤いチャーシューを想起したのだろう。化学実験みたいなワクワクと同時に、食べ物で遊んでいるような罪悪感を抱きながら、彼女の真似をしてみた。あの頃より語彙や経験が増えて、はっきりと「おいしい」と言葉が出てきた。

……と、昔を思い出しながら、賞味期限の迫っている卵と冷凍した食パンでフレンチトーストを作る準備をしていると、中途半端に余ったベーコンを冷蔵庫内で見つけた。今日はこれをカリカリに焼いて、フレンチトーストにのせちゃおうかな。メープルシロップ代わりのハチミツも忘れずに。

こだま・あめこ

作詞家、作家。アイドルグループやテレビアニメなどに作詞を提供。小説『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)。

photo & text : Ameko Kodama edit : Izumi Karashima

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