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習い事までグレード化している…日本から教育移住が多いシンガポール親子の"分刻みの多忙"の背景

  • 2023.3.12
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教育大国といわれ、日本からの移住も多いシンガポール。5年間そこで子育てをしながら調査をしてきたジャーナリストの中野円佳さんは「小さい頃から資格を集め、大人のLinkedInも顔負けの『ポートフォリオ』を作る親子もいる。シンガポールの親子は、より様々な活動に追い立てられているように見える」という――。

※本稿は、中野円佳『教育大国シンガポール』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

ピアノ
※写真はイメージです
グレード化する習い事

シンガポールの親たちと習い事について話しているうちに、私は、「Grade(級)」や「Certificate(資格/証明)」という言葉がたびたび出てくることに気が付いた。

「水泳は身体を動かすことをしてほしかったから。一種のサバイバルスキルだし、資格を取ればライフセーバーにもなれる。ピアノはある程度の音楽的素養があるといいと思う。グレードがちゃんとあるので、やるように背中を押している」
「お絵描きは息子の選択だけど、ピアノは私が弾けて、学校の勉強とは違った分野の学びということで、やってみたらと勧めた。今、グレード3で、グレード8まで行くと指導者の資格も取れて先生になれるので、たまに文句は言われるけど、プッシュしてやらせている。学業成績が問題ないうちは、リミットを設ける必要はないと思う」

プロのピアニストやスポーツ選手を目指しているわけではなくとも、ある程度のレベルまで達することで仕事につながるという見通しが語られるのを、興味深く聞いていたが、その後、グレードや資格は仕事のためだけではないことが分かった。

中学出願時に有利になるという認識

政府や学校が公式に発表しているものは確認できなかったのだが、親たちの間には、音楽やスポーツでグレードを取ったり、多くの大会で優秀な成績を収めると、中学校出願時に有利になるという認識が広がっていることも分かってきた。

「基本はPSLE(Primary School Leaving Examination:小学校卒業段階で受ける国家統一試験)の成績で決まるけど、あと1点の差で入れたのに、というときに、スポーツなどをやっておくとそれが点数になる」「履歴書に書ければ、同じ点数の子が複数いたときに選ばれるかもしれないから」ということが親の間のうわさ話として語られている。

中等教育の入学段階で、スポーツや芸術、リーダーシップなどに秀でた学生を選抜するDSA(Direct School Admission)についても、「DSAで特定の学校に落ちたら、どこにも行くところがない」と考えて避ける親もいたものの、「教育改革によるPSLEの採点方式の変更で、名門校に確実に入れるかが分かりにくくなった今、DSAを受けることで可能性を増やせる」と考え、準備をするケースもある。

「友人は子どもが4歳の頃から毎日卓球のコーチをつけた」「ポートフォリオと呼ばれる出願書類の書き方を指南するエージェントがあり、ボランティア経験やコーディング(プログラミング言語を使ってソースコードを作成する)の教室に参加した証明書を集めて履歴書をよりよく見せる」「あえてマイナーなスポーツをやらせる親もいる」などの教育戦略を、見聞きしたことがあるとの発言もあった。

小さい頃から資格を集め「ポートフォリオ」を作成

しかし、前述したように、AO入試のような制度であるDSAを利用する場合にも、PSLEは受験する必要があり、自分の子がDSAで合格するかは、結果が出るまで不透明であることから、大半の親は、先に述べたように、DSAの利用を検討する場合も、PSLA対策と両にらみの戦略を立てている。

小さい頃から資格を集め、大人のLinkedInも顔負けの「ポートフォリオ」を作る親子もいる。アプリケーションフォームは字数が限られているために、そこにURLを張り付けるためのウェブサイトを作成するエージェントまで登場しているという。

一方で、あるマレー系シンガポール人の夫婦は、夫が元サッカー選手で、自分の子どももサッカー推薦での受験を考えたが、家から学校への距離が遠かったことなどから、結局、DSAの利用を断念している。

結局、入試の多様化は、学校に合わせて引っ越しできる層や、お金をかけられる層に有利になっている側面がある。

放課後のスポーツや文化的活動も、点数稼ぎのため

このような状況について、ソーシャルワーカーの60代男性エリオットさん(仮名)は、「ぼくたちが子どもの頃は、夕方、近所の子どもたちや親戚同士、色々な学年の子どもたちが遊んでいて、サッカーもさかんだった」と寂しそうな顔を見せる。

サッカー
※写真はイメージです

彼は、ふと私に「サッカーの代表戦を見たことあるか?」と聞いた。新型コロナが流行する前に一度、スタジアムにシンガポール代表の試合を見に行ったことがあるので、「あります」と答えた。

スタジアムで、私は、シンガポールでこれまで見たこともない割合のマレー系の観客に驚いた。普段、街中を飛び交っているのは、英語と中国語が多いが、皆、マレー語で応援している。選手もほとんどがマレー系だからだ。

自分自身も中華系のエリオットさんは、「代表戦を見たら分かると思うが、中華系の子どもたちはサッカーはしない。勉強に忙しくて時間がないから。それで、すごく小さいセグメントの人しかサッカーをしないから、試合に勝てない」と失望したように続けた。

そう言うエリオットさんの子どもたちや、ソーシャルワーカーとして見ている相対的に貧困な層の子どもたちも、外では遊ばないという。

エリオットさんは、放課後のスポーツや音楽などの活動であるCCA(Co-Curricular Activities)について触れ、「CCAだのなんだので、学校にいる時間が長くなっている」からだという。

「CCAで好きなスポーツができればいいのでは? サッカーもあるのでは?」と聞くと、エリオットさんは、「ぼくらの時代は楽しくてやっていたけど、今はどうかな。ポイント稼ぎで、学校のシステムがあれやれこれやれと言ってくるからやってるだけなんじゃないか。すべてが手段化していて、合理的すぎる」と大きなため息をついた。

可視化されやすいところに親は注力する

政府は改善しようとしているのでは、と尋ねると、「文化とはそういうものじゃない、政府は何かを取り上げて、まずかったからとまた構築しようとしても、そんなに簡単にはいかない」。

実際にはシンガポールでも、子どもが自分の好きな部活動を選ぶような形でCCAに取り組んでいる事例もあるだろう。私が自分の子どもを行かせていた近所の「ゆるい」ローカル幼稚園のシンガポール人親たちは、コロナ流行前までは、卒園してからも定期的に外遊びの約束をして、16時頃から18時すぎまでよく遊んでいた。

しかし、エリオットさんの言うとおり、放課後の活動が手段化している層がいるのも事実だ。そして、本来評価しづらい教育活動が、グレード化されるようになり、本質的に何のために何をさせたいのかはさておき、可視化されやすいところに親たちは注力しようとする。

点数、資格、グレードで差をつけるための競争

塾・習い事産業も、このような状況を反映し、細かなレベル分けをして、「資格」を出している。

たとえば、小学3年生から参加することができる、あるロボティクスの教室に、私の息子が行ってみると、子どもたちが作りたいものを自由に試行錯誤していく――ようなプロセスはほぼなかった。

マニュアルに従って、レベル1を、まず教わったとおりにこなせたら、その練習をして、レベル2に進む。レベル2も終えると、試験があり、それを通れば、1つ資格がもらえる。

その資格レベルがある程度まで上がれば、今度は大会に出場ができる――というふうに、子どもたちが進む道が敷きならされている。

ステップ
※写真はイメージです

シンガポールにおいては、日本で東京大学大学院の本田由紀教授が指摘したような、人格などの深部に入り込むような評価と競争というよりは、点数化できる実績づくりを目指した局所的な競争がもたらされているように見える。

本来、子どもの様々な能力や素質に着目することを目指すための政策であっても、選抜に埋め込まれれば、周囲と同等の資格や級があっても差異化ができないため、必然的に相対的な競争となる。

「従来型学力」以外の側面でも、相対的評価をされるには、実力の証明が必要との親の解釈に加え、習い事などの学校外教育の事業者による商業的な宣伝もあり、可視化できる指標を獲得するための新たな競争が発生する。子どもの雇用可能性を高めることは親の責任として認識されており、ここでもやはり、周囲の親が準拠集団(価値観や行動に強い影響を与える集団)となって、政府が直接言及している以上の解釈を生み、「選抜に有利」という憶測が過剰な競争を生み出している。

「学力以外の能力」のために窮屈になる子どもの生活

「これからはペーパーテストだけでなく、学力以外の能力も必要」という言説が広がれば広がるほど、子どもたちの生活は窮屈になっていっているようにも見える。果たして、もともと目指されていた創造性などは身についているのだろうか。

家庭による格差が広がる懸念もある。前出の本田由紀教授は、“近代型(従来型)能力”は、むしろ時間をかけて勉強をすれば多くの人が習得することが可能であったのに対して、“ポスト近代型(新しい)能力”はどうすれば手に入れられるのかが曖昧で、それゆえにより労力を要し、家庭環境が重要になってしまうと指摘する。

おそらく日本の親にも、「習い事も、探究学習も、STEAMも、英語も、自然体験も、普通の勉強も……」と、あれもこれもさせたい親心はあり、他人事ではないのではないだろうか。子どもによっては、親の顔色をうかがって「やりたい」というケース、友達がやっているから自分もとやりたがるケース、そして「一度始めたことは継続しようね」となった結果、追われてしまうケースもあるだろう。

親も子も忙しい

私は2017年にシンガポールに行き、新型コロナウイルス流行前の2018年秋から継続的に、子育て中の親たちにインタビューをしてきたが、シンガポールの母親インタビューでまず苦労したのは、対象者の確保でも英語でもなく、「母親に時間を捻出してもらうこと」だった。

専業主婦の場合、いちばん時間を取ってもらいやすいのが、朝、子どもを学校に送り出した後だ。子どもは給食がなく、13時半頃下校してから昼食を取るので、その用意などを始めるまでの数時間。

そして、共働きの場合は、昼休みにオフィスの近くまで行き、昼食を取りながら話を聞くのが確実だ。それ以外では、平日の午後や週末、子どもを習い事に送っていった後、迎えに行くまでの間に話を聞くこともあった。

とにかくシンガポールの母親は忙しいのだ。そしてそれは、裏返せば、子どもが忙しいということでもある。

ロボット工学のためにパソコンを使う子ども
※写真はイメージです
分刻みのスケジュールで動く親たち

いったい何にそんなに忙しいのだろうか。子どもたちのスケジュールを母親たちに書いてもらった。

【図表1】共働き家庭のケリーさん(仮名)の小1の娘の1週間のスケジュール
※『教育大国シンガポール』(光文社新書)より
【図表2】専業主婦のシンディさん(仮名)の小2の息子の1週間のスケジュール
※『教育大国シンガポール』(光文社新書)より

図表1は、共働き家庭のケリーさん(仮名)の小学1年生の娘の1週間のスケジュールだ。平日は学校の後、18時まで学童(Student Care)に行き、その後、木・金にPhonics(英語)、ピアノが入っている。

土曜日は午前中に算数と水泳、午後にテニス、日曜日は午前中の3時間が中国語で、午後はコーディングと、5種類の習い事で埋まる。

図表2は専業主婦であるシンディさん(仮名、前出)の当時小学2年生の息子のスケジュールだ。学校から帰宅後に自宅で昼食を取り、その後、月:水泳、火:ピアノ、水:英語、木:中国語、金:そろばんが入っている。習い事によって始まる時間が異なるので、その合間に宿題をする。

シンディさんには年長の次男もいて、弟もほぼ同様のスケジュールの詰まり具合だが、兄と一緒に受けるものもあれば、時間帯がずれているものもある。母親は車で送迎をするのだが、兄弟それぞれの時間に合わせて文字どおり分刻みの行動をしている。

シンディさんは、「うちの子にリラックスタイムはないわね……習い事の合間に宿題をさせていて、うーん、宿題が終われば、リラックスタイムかな」と、取って付けたように書き込んでいた。土曜日はテコンドーのみで、日曜日は家族で出かけるなどフリータイムにしているという。

活動に追い立てられる親子

もちろん、もっとリラックスした親子もいる。コロナが流行する前は、私は公共住宅の合間に設置されているプレイグラウンド(公園)スペースで自分の子どもたちを遊ばせていたが、近所の子どもが遊ぶ中に小学生もいたし、習い事はゼロで、自宅や、共働きの場合は祖父母の家でのんびりしているという家庭もある。

中野円佳『教育大国シンガポール』(光文社新書)
中野円佳『教育大国シンガポール』(光文社新書)

しかし、インタビューをしていくと、小学校低学年から、平日は毎日1~2種類、あるいは週末に複数の習い事があるというケースは決して珍しくない。

これは日本についても同じで、私は以前、東洋経済オンラインで、習い事熱について書いたことがある。ただし、日本では主に専業主婦から、どちらかというと子どもたちの時間を持て余していて、「体力を使ってもらう」ために習い事に行かせるといった語りがあったが、シンガポールではほとんど聞いたことがない。

学力競争も残りつつ、習い事もグレード化する……という中で、シンガポールでは親子は、より様々な活動に追い立てられているように見える。

中野 円佳(なかの・まどか)
ジャーナリスト
1984年生まれ。2007年東京大学教育学部卒、日本経済新聞社入社。金融機関を中心とする大企業の財務や経営、厚生労働政策などを担当。14年、育休中に立命館大学大学院先端総合学術研究科に提出した修士論文を『「育休世代」のジレンマ』として出版。15年から東京大学大学院教育学研究科博士課程、フリージャーナリスト。キッズライン報道でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞受賞。22年から東京大学男女共同参画室特任研究員。

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