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44歳物書き、へらぶな釣り、はじめました

  • 2023.2.22
釣りボート準備風景

写真家の先輩に導かれて、底知れぬ沼へと踏み出す

釣りボート
晩秋の湖にボートを浮かべるだけでも楽しい。

久しぶりに会った1つ年下の友人が〈仁丹〉を噛んでいて、「えっ、嘘でしょ!?おじいちゃんじゃん」と言うと、「いや、噛んだらわかりますよ、この爽快感。ほら、どうぞ」と渡されて噛んでみる。

確かに、これは癖になる。鮮烈な香りに、頭もクリアになったよう。でも独特の香りがなあ、やっぱりおじいちゃんだよなあと思ったけれど、私も同じように既に老年のスタートを切ってしまった。へらぶな釣りだ。〈仁丹〉同様におじいちゃんのものと決めつけていたへらぶなに出逢って、腰は引けつつも、のめり込んでしまっている。

きっかけは写真家の平野太呂さんだった。小学生の頃に近所の釣り堀に通ってへらぶなを覚えた太呂さんと、デザイナーの中村圭介さんと3人で『OFF THE HOOK』という水辺の同人誌を作っている。

普段はそれぞれ違う釣りをしている3人で一緒に釣りをするなら、ダム湖でボートを漕ぎ出してのへらぶな釣りがよいのではと、太呂さんが考えた。竿、餌、仕掛け、釣り場その他すべてを、太呂さんが手配してくれた。

ボートを漕ぐ人
初めての釣行時は、どうやって漕げばいいのかもよくわかっていなかった。奥には『OFF THE HOOK』の同人、ナカムラグラフの中村圭介さん。

へらぶな釣りはリールを使わないため、竿とほぼ同じ長さの道糸に、ハリスの長さの違う針を2つ。ウキには目盛りがついていて、餌がついていない状態で止まるところを餌落ち目盛りと呼ぶらしい。その調整のためにくるくると巻く板オモリを使うことも初めて知った。餌をつけると深く入っていって馴染み、餌がなくなると、その餌落ち目盛りまでウキが上がってくる仕組み。餌は、お麩のような粉末状のものに水を混ぜて使う。あとは、グルテンだから、小麦粉なのかしら。こちらも水で練って、柔らかく固める。

と、こんな感じのレクチャーを桟橋で受けて、ボートに乗り込んでポイントへ。餌釣りで、しかも魚がたくさんいるのは間違いないんだから、まあ釣れるでしょ。ルアーもエギも、フライフィッシングも、船のカワハギも、北海道の鮭も、それなりにいろんな釣りを齧ってきたけれど、ボウズだったことはほとんどなく、だから、へらぶなも釣れないわけがない。傲慢にもそう思いつつ、慣れない手つきで、木にロープを括りつけてボートを固定した。

釣りボート
ボートを木にもやい、釣り場を確保する。そのポイントで釣果は大きく変わる。
湖の風景
釣り座からの風景。ほぼ半日、この景色の中に溶けている。

へらぶな釣りの洗礼、釣りの「入り口」が遠い

竿は、18尺。1尺=約30センチなので、5メートル40センチ強。長いために、餌の振り込みが安定しない。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、同じ場所に餌を落とせば、そこに魚が寄ってくることはわかっているのに、何度やっても上手くいかない。

そして、餌の塩梅が難しい。どれくらいの硬さがいいのか、どれくらいの大きさをつけたらいいのか、全くわからない。餌が大きすぎるとウキが全部沈んでしまい、餌が柔らかすぎると振り込みの途中で落ちてしまう。ああ、釣りにならん。さらには針のついたハリスが絡まったりする。なんだよ〜、と糸を解きながら、気持ちが焦る。が、焦るほど、糸は絡まる。へらぶな、マジで難しい。入り口になかなか立てない。

それでも、何度かに一度は思ったようなポイントに餌が落ち、ウキがゆっくり沈んでいって、ちょうどいい感じの目盛りで止まる。なるほど、これを繰り返して、魚を同じ棚(水深)に寄せるってことね。しかし、一度や二度、うまく餌を落とせただけでは当たらない。ウキが微動だにしない。時計を見れば、ボートを括ってからもう2時間は経っている。でも釣り場にいる時間の半分は、絡まった糸を解いている気がする。

ああ、この釣りは果たして、面白いのかしら。と、半分愚痴のような思いが頭の中を忙しく駆け巡る。ただ、固定したボートに座って湖の上にいるだけで気持ちが良い。管理釣り場ではなく、こんな環境を野釣りと言うらしい。

ウキが動くと、心が騒がしくなる

さて、集中して、餌を振り込むぞと。お、いいところに行った。ウキの馴染みも……、よし、ちょうどいい感じ。

ん、なんかウキがもやっと動いている気がする。魚いるんじゃないの?姿勢を正して、竿を持つ手に力が入る。いかん、身体に力が入っていては、魚は釣れない。ふっと息を吐いた瞬間に、ウキが沈んだ。意識する間もなく、右腕が思いっきり竿を合わせている。瞬間、グッと重みが加わり、その後にグググ〜ッと魚が潜っていく。

頭カラッポ、脳内パッカーン!アドレナリンとドーパミンが出まくっている。声も出せない。おおお、この感覚は初めてかもしれない。竿を立て、しならせて、ゆっくりと5メートルの深場から魚を引き上げる。手を一生懸命に上へと伸ばすと、魚がすーっと上がってきた。たも網ですくって、竿を置いて、我に帰る。つ、れ、た。ちょっと手が震えている。

へらぶながどんな魚なのか、マジマジと見る。顔が小さく、肩から少し盛り上がっている。魚体は銀色。大きさは30センチくらいか。ふー、と息を吐いて、へらぶなを逃す。

釣りの様子
長竿を高く持ち上げて、へらぶなの取り込み。釣れた!
へらぶな
顔が小さく、肩からグッと持ち上がった魚体。いいへらぶなだ。

隣を見ると、太呂さんが「うむ」と頷いて、「釣れたね〜」と平常のトーンで言った。私は爆発しそうな喜びを抑え込んで、当たり前のような顔をして「釣れました〜。太呂さん、ありがとう」と礼を言った。声も少し震えていたと思う。

さて、「次のへらぶなを」とすぐに餌を振り込むのだが、ドキドキする身体では同じ場所に振り込めるはずもなく、糸が絡まって魚が餌を食べる時間帯である時合を逃してしまった。

「へらぶな釣りを始めた」と釣りを嗜む同年代の友人に話すと、大抵は「俺は食べられる魚がいいな」とか「いやあ、おじいちゃんの釣りでしょ、まだいいや」とか返ってくる。その返答はまさしく、かつて自分がしていたもので、その時に太呂さんはこんな気持ちだったのか。

うん、そうだよね。わかる。でもね、あの感覚は、やったことのない人にはわからないよ。でも俺は知ってるんだ、あの気持ちよさ。

結局、釣りはそれがすべてで、へらぶな釣りは特に、その快感が強烈なのだと思う。私はもうウキを見つめる目と竿を持つ身体が連動して、快楽神経が開通してしまった。

あれから何度か通って釣っているけれど、今も、もう釣りたい。

profile

村岡俊也

ライター。鎌倉市出身。著書にアイヌの木彫り職人を取材した『熊を彫る人』(小学館)、新橋駅前のビルをルポした『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』(文藝春秋)など。新刊『画家・中園孔二を追って。(仮題)』を準備中。

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