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あなたは、何と言って葬られますか?忌野清志郎、石原裕次郎、いかりや長介らに送られた言葉

  • 2023.2.20
宇田川新聞 イラスト

あなたは、何と言って葬られるのでしょうか?

自分が死んだ後のことを想像してほしい。あなたが親しい人々に葬られるところを。ナンシー関や武満徹のように、「無二の存在」として言葉をかけてもらえるだろうか。

忌野清志郎やいかりや長介のように、盟友が心温まる思い出を語ってくれるだろうか。自分では決して見ることのできない世界から、どんな言葉が送られるのか、それは自身の生き方にかかっている。

フィデル・カストロ → チェ・ゲバラ

もしも、わが革命戦士、わが戦闘員、わが国民はどうあってほしいかと意見を求められたら、どんな迷いもなしに、こう言うにちがいないでしょう。チェのごとくあれと。

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英雄への言葉は、人民の前で語られた。ハバナ革命広場での追悼式で「チェは誰もがすぐに好きになるタイプの男だった」という言葉で始まった演説。メキシコで出会った2人は、「革命」という共通項でつながれ、運命を共にした。「我々は勝利するであろう!」と、遺志を継ぐ言葉で締めくくられている。/『チェ・ゲバラの記憶』フィデル・カストロ/トランスワールドジャパンより

原田芳雄 → 松田優作

優作。
俺は今までお前が死ぬとこを何度も観てきた。
そしてその度にお前は生き返ってきたじゃないか。
役者なら生き返ってみろ!
生き返ってこい!

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9歳年下の俳優の死に際し、斎場で憤るように原田芳雄はこう叫んだ。『竜馬暗殺』などの作品で共演した原田のことを、松田優作は公私共に「兄貴」と呼んで敬愛し、一時期はその一挙手一投足を模倣したという。自宅さえも隣同士に構えるほど仲が良かった。松田優作の息子・龍平と共演した際には「やはり運命を感じる」と語っている。/『不滅の弔辞』不滅の弔辞 編集委員会/集英社より

森田一義 → 赤塚不二夫

私もあなたの数多くの作品のひとつです。

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福岡でボウリング場の支配人をしていたタモリは上京後、赤塚邸で居候を始める。タモリが大きな顔をして赤塚のベンツを乗り回し、赤塚が申し訳なさそうに酒を差し入れる。徹底的に「バカ」になるという遊び心でつながる、いわく「肉親以上の関係」だった。白紙を読むという一流の“ギャグ”の中、初めて「ありがとうございました」とお礼の言葉を送っている。/赤塚不二夫 告別式より

キアヌ・リーヴス → リヴァー・フェニックス

若い僕たちはさまざまな失敗を犯してきた。
でも後悔は何の役にもたたない。
ただその辛い経験を教訓にして、二度と同じ失敗を犯さないようにしていくしかないんだ。
彼に会いたいよ。
ミスター・フェニックスに…
寂しいよ。

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『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』で共演し、親友となった2人。続くリヴァーの代表作『マイ・プライベート・アイダホ』でも共演し、究極の友情を描いている。訃報を聞いて、全身が麻痺したように動けなくなってしまったというキアヌは、リヴァー不在の中でも前に進んでいくしかないという思いを吐露している。/『死に急いだ青春 リヴァー・フェニックス』スクリーン編/近代映画社より

甲本ヒロト → 忌野清志郎

あなたとの思い出に、ろくなものはございません。突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり。なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり。

レコーディングの作業中にトンチンカンなアドバイスばっかり連発するもんで、レコーディングが滞り、その度にわれわれは聞こえないふりをするので必死でした。

でも今思えば、全部冗談だったんだよな。

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宇田川新聞 イラスト

『忌野清志郎 青山ロックン・ロール・ショー』と題された葬儀で、かつて何度もステージ上で共演した甲本ヒロトは「きよしろー」と呼びかけ、数々の「ろくでもない」思い出を語っていく。早すぎる死という「笑えない冗談」を、「なるべく笑うよ」と。清志郎は死後もロックな人だった。/忌野清志郎青山ロックン・ロール・ショーより

勝新太郎 → 石原裕次郎

ほんとに、生きてるときも思いやりがあったけども、死んで肉体がなくなっても、この魂が…
この写真の顔が、たいへん楽にさしてくれて…。
悲しい葬式じゃなくて、なにか楽しい、と言っちゃいけないんだけども、ああ…
なにか非常に、最高な葬式にめぐりあったような気がする。

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宇田川新聞 イラスト

青山葬儀所で営まれた昭和のスターの葬儀で弔辞を送ったのは、「兄弟」と呼び合った勝新太郎。多くの作品で共演し、派手な喧嘩の後も「芝居にしよう」と笑い合う関係だった。原稿を用意せず、遺影に語りかけるように紡がれた言葉は、「どっかで会うんだから、それまで…さよなら」と締めくくられた。/石原裕次郎 葬儀より

谷川俊太郎 → 武満徹

武満、君が返事をしてくれないから、ぼくは君に話しかけることが出来ない。
君の沈黙と測りあえるほどの言葉をぼくはもっていない。

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絶大なる人気を誇る詩人をして、「言葉をもっていない」と言わしめた武満の死。作曲家と詩人という関係ながら、40年以上もの親交を結んでいる。右の言葉の後に、入院中に武満が書いていた断片を読み上げた。「ぼくはいかなる場合でもぼくの“希望”は捨てない」という言葉を。/『武満徹の世界』齋藤愼爾、武満眞樹編╱集英社より

小林秀雄 → 中原中也

あゝ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉が言へようか

君に取返しのつかぬ事をして了つたあの日から僕は君を慰める一切の言葉をうつちやつた

あゝ、死んだ中原
例へばあの赤茶けた雲に乗つて行け
何の不思議な事があるものか
僕達が見て来たあの惡夢に比べれば

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宇田川新聞 イラスト

大学時代に出会い、親友として文学を語らった2人は、決定的な別れ方をしている。かつて中原と同棲していた長谷川泰子が、小林のもとへと走ったからだ。その後、小林と泰子は別れるものの、心から打ち解けることのできなくなってしまった友。その想いが、悲痛な詩を小林に詠ませた。/『文學界』昭和12年12月号/文藝春秋より

阿久悠 → 久世光彦

久世光彦が死んだ。
それは得難い人を失ったということよりも、もっともっと切実な、ぼくの中の貴重な証人に突然去られた思いで、ぼくもまた一部死んだのである。

そう、久世光彦は最大の証人だった。
ぼくもまた、彼の証人だった。

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作詞家でもあった久世に対し、同じ土俵で戦ってきた阿久は、「雑踏の中で宇宙人が宇宙人を認識するように」お互いを認めていたという。久世が演出するドラマに、主題歌の詞を書いた阿久。愛すべき昭和のムードは、この2人によって作られていた。阿久悠も、もういない。/『マイ・ラスト・ソング 最終章』久世光彦/文藝春秋より

マドンナ → ジャンニ・ヴェルサーチ

ジャンニ、これから寂しくなります。みんながあなたがいないのを寂しく思うことでしょう。

でも私には、はき慣れたヴェルサーチのジーンズのポケット一杯に思い出があります。それはどこにも消えてなくなりはしません。

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華麗なるファッションピープルとして一時代を築いたデザイナーの死に際し、古い友人であるマドンナは、「私はジャンニ・ヴェルサーチのベッドで寝たことがあります」というショッキングな言葉で始まる追悼文を発表。温かい人柄を訴えている。/『友よ 弔辞という詩』サイラス・M・コープランド編、井上一馬訳/河出書房新社より

パリス・ジャクソン → マイケル・ジャクソン

お父さんはわたしたちが生まれたときからいままでずっと最高のお父さんでした…
パパ愛してる

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宇田川新聞 イラスト

2009年6月25日に急逝した、キング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソンの追悼式において、「1つだけ言いたいのは…」と涙ながらに訴えたのは、父への愛の言葉。今まで人前で素顔を見せることのなかった娘のパリスが、世間の評判とは違う、1人の人間としてのマイケルの姿を世界中に伝えた。/マイケル・ジャクソン追悼式より

坪内祐三 → ナンシー関

私を含めてたいていの物書きは補充がきく。
しかし、彼女のあとを継げる者は誰もいない。
(中略)ナンシー関のいない日本なんて。

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宇田川新聞 イラスト

消しゴム版画と痛快なテレビ批評。切れ味の鋭すぎる「物書き」として絶大なる支持を得ていたナンシー関が亡くなったのが、2002年。まとめられた仕事集に再録された、坪内祐三による追悼文の題は「無頼の人」だった。「ナンシー関のいない日本なんて」。今も誰もがそう思っている。/『ナンシー関大全』ナンシー関/文藝春秋より

加藤茶 → いかりや長介

いきなりそっちから「全員集合!」と言われても俺たち4人は集まれないからね。
たぶんそのうち本当に「全員集合」になるかもしれないけど、その時はやっぱりまた向こうでコントをやろうよ。

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40周年記念に『全員集合』と『(ドリフ)大爆笑』を撮りたいと言っていた矢先の死。加藤が「これから俺たち4人でドリフターズまだやってくよ」と語りかける姿はまるでコントの一場面だったという。「ゆっくり休んでちょうだい」とザ・ドリフターズに人生の半分以上を捧げたリーダーの労をねぎらった。/いかりや長介 葬儀より

草野心平 → 金子光晴

これは死んだんぢやあない。昼寝だ。永遠に昼寝にはいつたんだと思ひました。
それにしても月桂樹の葉つぱ位、その眠りの額におきたいな、ともふと思つたのですが、そんなものない方があんたらしくサツパリしてゐていいナ、と思つたのです。嗚呼。

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『西ひがし』『ねむれ巴里』などの放浪記で、今なお支持される詩人は、79歳で亡くなった。同時代に生きた詩人、草野心平による弔詞では、「もうろくの八十才なら何も文句はないけれど」と、その死が悼まれている。「本当に惜しい。本当に残念」というストレートな言葉が綴られている。/『現代詩手帖』昭和50年9月号/思潮社より

アントニオ猪木 → 三沢光晴

不謹慎かもしれないが、レスラーは皆、どこかで死に場所を探しているところがある。リングの上で死ねたら最高と思い、やっている。

男として最高の場所で旅立たれた。お悔やみを申し上げたい。

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宇田川新聞 イラスト

団体の異なる2人は、試合で闘ったことはない。しかし、同じレスラーとして、そして団体を率いる長として、気持ちを理解することはできるのではないか?2009年6月、リング上で急死した三沢に向けた、ともすると批判される可能性もあるこの言葉は、猪木にしか語れない。/アントニオ猪木プロレスデビュー50周年記念イベントにて

マイケル・ジャクソンは世界中の人々を魅了するポップスターでありながら、1人の父親として穏やかな時を過ごしたはずだ。だからこそ、娘のパリスは初めて公の場に登場し、世界に向かって、「1つだけ言いたいのは……」と訴えた。誤解を受けがちなマイケルの「本当の姿」を語らずにはいられなかったのだ。

私たちは、思い描くようなピースな臨終を迎えることができるとは限らない。むしろ、願いが叶うことのほうがはるかに少ないはずだ。もう一度、想像してほしい。

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