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恋人が意識不明の重体に。残されたノートに隠された「真相」とは――本屋大賞ノミネート『川のほとりに立つ者は』

  • 2023.2.19
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いつも傍にいた友だちだから、長く付き合っている人だからと、自分はよくわかっているつもりでも、意外な一面を垣間見て途惑うことがある。何も気づかずに傷つけてしまったり、悪気はないのに怒らせてしまったり。わだかまりを残したまま、決別した後に相手の本当の気持ちを知って悔やむこともある。この本を読みながら、そんな過去の苦い記憶が頭の中を駆けめぐるようだった。

2023年本屋大賞にノミネートされた寺地はるなさんの新作『川のほとりに立つ者は』(双葉社)。物語の始まりは2020年の夏、コロナ禍で誰しも他者と関わることに不安や惑いを抱えていた頃だ。カフェの店長をつとめる29歳の原田清瀬にも付き合っている彼がいたが、数か月前に些細なすれ違いから喧嘩別れに。コロナ禍で会えないまま連絡も途絶えていた。

そんなある日、清瀬は突然に病院から連絡を受ける。恋人の松木圭太が大怪我をして、病院へ運ばれたのだという。清瀬が病院へ駆けつけると、松木は集中治療室の寝台に寝かされ、意識不明の重体だと聞かされた。

松木が発見されたのは歩道橋の下で、もう一人の男性とともに倒れていた。通報した女性の話では、歩道橋の上で互いの胸倉を掴んで喧嘩していて、二人で階段から転落したという。松木は携帯も財布も持っておらず、ポケットの中にアパートの鍵が入っているきり。鍵についていた金属製のホイッスルの中に彼の氏名や住所、清瀬の電話番号が記されていたため連絡を受けたのだ。

その後、松木と一緒に倒れていた男性は小学校時代からの親しい友人とわかるが、清瀬はその名前も聞いていなかった。やさしくて、素直で、まっとう。清瀬にとってそんな人物だった松木は、なぜこんな喧嘩をしたのか。彼と離れていた間に、いったい何があったのか。

清瀬が数カ月ぶりに松木のアパートを訪ねると、部屋の様子はすっかり様変わりしていた。そこで見つけたのは3冊のノート。そのうち2冊には、子どもが書いたような稚拙な字が並んでいた。そして最後の一冊は大学ノートで、見慣れた端正な松木の文字が並ぶ。そこには彼が隠していた、ある「真相」が綴られていたのだった......。

誰のこともわかってなかった

こうして意識が戻らぬ恋人の謎を知りたいと、彼が残したノートを手掛かりにたどっていく清瀬。その中で出会う人たちと摩擦や葛藤を重ねながら、ひたむきに向き合おうとする姿が描かれる。著者の寺地さんは、本書の着想をインタビューでこう語っている。

〈普段、人と接する中で、はた目にはわかりにくい困難を抱えている人はとても多いのだなあ、と思ったのがこの作品を書くことになったきっかけのひとつです。「困難」と言うととてもおおごとのように聞こえるので「不便」でもいいです。たとえば耳の聞こえがやや悪いとか、ものすごく道に迷いやすい、というような程度のことも含まれます〉(双葉社・「COLORFUL」著者インタビューより)

松木の事件を経て、清瀬はさまざまな生き辛さを抱える人たちと関わることになる。

言葉は耳で理解できても、文字を書くことだけができないディスクレシア(発達性読み書き障害)の青年。幼い頃に両親が離婚、母親の再婚相手と折り合いが悪くて家を飛び出し、出会った男たちからのDVに苦しむ女性。清瀬が店長をつとめるカフェでは、遅刻が多くて何かとトラブルを起こすスタッフに手を焼くが、彼女は自分が発達障害であることを言えずにいたこともわかる。さらに恋人の松木もまた、期待をかけ過ぎる父親と子ども嫌いの母親から逃れ、親子の縁を切られていたことも後に知るのだった。

「......わたしは今まで、松木だけじゃなく、誰のこともわかってなかったと思うんです。わかろうとしてこなかったんです。他人にたいして『なんか理由があるかもしれん』って想像する力が足りなくて......そのせいで、職場の人を傷つけたりもしたんです」

清瀬がこう吐露する場面が心に残る。自分では「当たり前」と思っていたことも苦手な人がいる。外見は「普通」に暮らしているように見えても、誰にも言えない苦悩を抱えている人がいる。かつては他人事と見過ごしていたり、勝手な思い込みや偏見もあった清瀬が、目の前にいる人たちと真摯に向き合い、自分の在り方を懸命に問い続けていく。その先にどんな明日が待ち受けているのか......。読み手も似たような痛みを覚えながら、読み進めるうちにかすかな希望が見えてくる物語だ。

そして読み終えたときに、あらためて思うことがあった。いかに身近な存在でも、何も言わなくても分かり合えていると信じていても、その時々にちゃんと伝えるべきことがあるということ。大事な人だからこそ、「ありがとう」の言葉、愛おしく思う気持ちを言葉に変える。何も伝えられないまま、いつ、いかなる形で別れの時が訪れるかもしれないのだから。歳を重ねるほどに、その大切さを思い知らされるのである。

■寺地はるなさんプロフィール
てらち・はるな/1977年佐賀県生まれ。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2020年度の咲くやこの花賞文芸その他部門を受賞。21年『水を縫う』で第9回河合隼雄物語賞を受賞。

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