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編集者・渡辺敏史に聞く、人はなぜクルマに乗るのか。どうして私を虜にするのか

  • 2023.2.19
ユリコフ・カワヒロ イラスト

若者を中心にクルマ離れが加速している──という話は、読者の皆さんも耳にしたことがあるだろう。自動車メーカーは今、それをもって戦々恐々の日々を過ごしている。

そりゃあそうだろう。交通網の充実した都市部に限っていえば、合理的に考えて、自動車を持つ意味がない。駐車場代に保険に税金に……と、月々の維持に掛かる数万円の費用だけをタクシー代に置き換えても使いでは充分にある。もし必要に迫られてもレンタカーやカーシェアリングという選択肢があるわけで、もはや愛車は生活のお荷物ですと言われても、それをネタにメシを食っている自動車ライターとして、返す言葉が見当たらない。

ところが、不思議なことに東京に住む僕の周りでは、近頃クルマの購入希望者がやたらと多い。それはもう噴出と言っても過言ではないほどで、仕事柄もあって僕はちょいちょいと彼らのショッピングの相談に乗っている。

内訳としては、子供の生まれた家庭がファミリーカーを……というパターンがやはり一番だろうか。確かに、クルマがあれば子供を連れての外出も圧倒的に楽ちんだ。震災を経験した身には、家族を守るシェルターとしての役割を期待するマインドもあるのだろう。が、けっこうお金が掛かることを説明すると、多くの人が我に返ってソロバンを弾き始める。

犬とクルマは一緒⁉女性たちの驚くべき選択

それでもまったく動じないのが30~40代の女性だ。一人暮らしの経済力も背景に、こちらが相談に乗るまでもなく、気に入ったクルマをポーンとお求めになられる。といっても、それは何百万もする高級車ではない。市井の中古車屋さんに並んでいる、数十万円のちょっと旧い輸入車などだ。

普通ならトラブルを心配して敬遠しそうな銘柄を躊躇(ちゅうちょ)なく選ぶ。その姿に、仕事がクルマ屋みたいなもんである僕はこっそりと、知らぬが仏という言葉を思い浮かべる。が、彼女たちがわざわざそこに特攻する理由は純粋にして明快だ。かつて小説や映画の脇役として出ていたそれに憧れていたから……という話を聞くと、半ば頭でっかちであるがゆえに、故障という地雷を踏まないことに固執していた自分のクルマ人生を恥じることになるわけだ。

それにしても彼女たちは、クルマの維持に掛かるコストを自分の中でどう消化しているのか。問うてみると出てくるのはペットの話だ。ウチは犬が飼えないし、その代わりと思えば出ていくお金はそんなに変わらないと聞かされると、確かに金額的にはそんなもんか……と妙に納得させられる。だからというわけだろうか、愛車に名前をつけている人はやたらと多い。

フェラーリと軽トラの間に横たわる共通点と相違点

と、そこまで話を聞いても残るのは根本的な疑問。それは「なんでわざわざクルマ買うたん?」である。いざとなれば頼るアテもありそうな環境で、それがなくても充分快適に暮らしていける身を挺してまで、生活のお荷物を背負い込む理由。それを問うと彼女たちは「好きな時に好きなようにどっかに行けるから」と仰せられる。

場所や時間に左右されることなく、なんなら道が果てるまで、自分の思うがままに動き続けることができる。これすなわち移動の自由なり。それはクルマという商品の根源であり、最大の効能といっていいだろう。この原点においては、フェラーリと軽トラの間にはなんの違いもない。

移動の自由は人間の欲求の根源にも置き換えられる。言ってみれば『隣の晩ごはん』だって『ぶらり途中下車の旅』だって、根っこにあるのはそれだ。あるいは、初めて自転車に乗れた時の感動を覚えている方は多いと思う。今まで行けなかった場所に行けるかもしれない可能性を体得した、それは人生の中でも五指に入る大きな歓び……というのは大袈裟だろうか。それを与えてくれるツールという点においては、フェラーリと自転車の間にもなんの違いもない。

自転車でなく自動車。つまり独自の存在理由をどう定義するか。それをクルマ作りのプロたちは冷静に、速度・積載力・航続距離という3つの言葉に集約する。この三角形の中で、極端に速度に依(よ)るのがフェラーリならば、積載力に賭(と)すのが軽トラだ。それぞれが事細かに棲(す)み分けられながらも、世の中のほぼ全てのクルマはこの三角形の中に収斂(しゅうれん)する。それは自動車百幾年の歴史を代弁している言葉といえるかもしれない。

そんなことを知りも考えもしないだろう彼女たちは、誰に教えられるでもなく、クルマの本質と付き合っている。ガイドブックではフォローし切れない秘湯や絶景の情報をネットで探り当てれば、思い立ちさえすれば深夜にでも動きだせる。少々化粧が失敗気味でも車中なら気にすることもなければ、目的地に向かう最中、ただ部屋の中にいるのとは違った空白の時を味わえるのもならではの効能だろう。

海沿いで日の出を拝んだら、市場のおいしい朝ご飯を食べて街の生活へと舞い戻るもよし。スマートフォンをイジって次の目的地を探すもよし。普通の旅ではかなえられないその自在性に気づいたことで、生活のリズムや内容が大きく変わったという人も多い。

世の中の“エンスー”たちは、クルマに何を求めるのか

自律した自在な移動を可能にする、これこそが自分のクルマを持つ最大の意味。とかく、そのハードウェアに舌闘を繰り広げてしまう僕などは、ついこのありがたみを忘れて狭いところに陥りがちだ。

そう、生活のお荷物どころか、生活がお荷物といわんばかりの好事家にとっては、クルマは趣味性を託する尊大な生命体。ただ4つ車輪が付いてて転がってるだけのスーツケースみたいなもんに見えるものに対して、これでもかと差異を見出し自分の嗜好と照合する作業は怠らない。

AKBの48人がおのおのどんな特性なのかはまったく興味もなく知る由(よし)もないが、トヨタの86に装着されるタイヤのサイズと銘柄による特性の違いは軽くファミレス2時間コースの議題である。大の大人のオッサンが寄ってたかってそんなん……というのは、傍目(はため)には理解しがたい状況だろう。時に、若者のクルマ離れは、我々のこんな痛さが原因ではないかと思うこともある。

たかだかクルマを相手にして、なに必死で語り合ってるんだよ……とツッコまれれば立つ瀬はない。自動車専門の媒体なんて、そんな戯(ざ)れ事の羅列で、普通の人はシラフじゃ読めたもんじゃあないだろう。やれエフィシエンシーだアジリティだと、時に呪文のような言葉を使いながら、クルマ好きがクルマから見出そうとしているのは、インダストリアルにおける「官能」だ。

ユリコフ・カワヒロ イラスト

細部にまでこだわり抜く、自動車という名の総合芸術

例えば、毎日使うパソコンのキーボードには人それぞれ、こだわりがあるだろう。キー配列や形状はもとより、ストロークの大小やメカスイッチのクリック感といった、性能とは直接的に関係のないところに、我々は知らず知らずのうちに官能的評価を下している。

よく切れる包丁とiPhoneのOSとの間で共通するのは、サクサクと動いて気持ちいいという、これもまた官能の評価軸だ。そう、本屋や映画館に行かずとも、官能はそこら中に転がっていて、人は触れるものに対して自然にそれを嗅ぎ取っているというわけである。

クルマは約3万点の部品で構成されていて、そのおのおのが官能を司っていると言っても過言ではない。僕に言わせれば壮大な組み合わせからなる総合芸術だ。例えばブレーキを踏むという行為一つとっても、まずペダルそのものにどれだけの剛性があるかによって受ける操作感は全然変わってくる。ペダル操作の速度や踏み込み量でどのようにブレーキの効き目を強めていくかは、完全に各車の調律の範疇(はんちゅう)だ。中にはディスクの構造やパッドの素材なども事細かに味つけされているものもある。

一刻も早く止まるのが機能なら、どういう姿勢で止まるかは官能。最も緊急性の高いブレーキですらそういう観点で作られているのだから、ステアリングの操舵感やアクセルの操作感などは、それはもう千差万別にして官能の塊である。

その中で、例えばアウディなどは、自らのブランドイメージや走りのフィーリングをより印象づけるために、ボタンの押し込み感やノブの摺動(しょうどう)感、揚げ句は配光やにおいといった車内環境のチューニングを施している。統一した世界観でブランドを浸透させるには、五感的な官能評価は欠かせないという考えで、遂には社内に官能性能研究の専門部署までこしらえたほどだ。

もちろんアウディほど大掛かりでなくとも、メルセデスやBMW、レクサスといったライバル勢も同じようなことは行っている。立派な大学を出た大の大人が大真面目でウナギやアバクロみたいなことを考えている、その必死さがクルマ好きには愛(いとお)しく映ったりするわけである。

片や本能、片や官能。
おのおのクルマに対する距離感や価値観は異なっているわけだが、共通するのは自らの手でクルマを走らせることに歓びを見出せているということだろうか。本能でクルマと向き合う人は、知らない風景との出会いが何よりの満足になるだろうし、官能派は路面の段差を越えたりステアリングを回したりという動作のみにも一喜一憂が待ち構えている。

いずれにせよ、クルマを持つ、そして乗るという行為は、文明社会でほぼ全ての人が等しく許される最高の自由なのではなかろうか。もちろん飛行機や船といった選択肢もあるだろうが、一般的にはクルマにかなう自由移動体はない。それゆえに、経済的ではなく社会的に所有を禁止されている国も世の中にはあるほどだ。

日本に住んでいて幸せだと思うのは、中古車も含めて、いいクルマが本当に安く買える環境が整っていることだ。維持費以外の面においては、これほどクルマの安い国はそうはない。返す返すも最も高いハードルは、持つ決意である。

profile

渡辺敏史(編集者)

わたなべ・としふみ/1967年生まれ。出版社で二・四輪雑誌の編集者を経て、自動車ジャーナリストとして独立。年間を通して、国内外を問わず数々のクルマを試乗。雑誌、ウェブなどさまざまなメディアで活躍する。

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