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『バビロン』登場人物の「歯」はなぜ黄色いのか? 観賞1回では分からない、画面に隠された仕掛けを監督が解説【単独取材】

  • 2023.2.10

映画『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督が約15年温めた映画『バビロン』。騒乱のハリウッドを舞台にした群像劇は、観るたびに映画づくりの奥深さが倍増するような映画体験ができる。それをスクリーンで成し遂げたチャゼル監督の哲学とは? フロントロウ編集部とチャゼル監督のインタビューでは、まずは出演者の“歯の汚さ”で盛り上がった。

歯が汚い! 1920~1930年代のハリウッド事情とは?

ハリウッドがサイレント映画からトーキー映画へと変わろうとしていた1920年代~1930年代を舞台にした『バビロン』を作るにあたり、デイミアン・チャゼル監督は“リサーチにおける右腕”と呼ぶパトリック・マーフィーと共に資料をあさり、歴史家やエキスパートと語り、当時のハリウッドをビジュアルから社会問題まで深く研究したという。

画像: サイレント映画のトップスター、ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)は映画界に憧れる青年マニー・トレス(ディエゴ・カルバ)を気に入ってアシスタントにする。
サイレント映画のトップスター、ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)は映画界に憧れる青年マニー・トレス(ディエゴ・カルバ)を気に入ってアシスタントにする。
画像: ギャングのボスであるジェームズ・マッケイ(トビー・マグワイア)はとくに歯の汚さが目立っていた。
ギャングのボスであるジェームズ・マッケイ(トビー・マグワイア)はとくに歯の汚さが目立っていた。

その細かいリサーチの結果はストーリーだけでなく、一見では気づかないようなところにも隠されている。例えば、『バビロン』では美しく着飾った俳優や業界人たちの歯や爪が汚いことに気づいただろうか? 当時のアメリカは衛生面でまだまだ改善の余地が多く、歯磨き文化も確立されていなかった。だからこそ、サイレント映画からトーキー映画へと変わりセリフをきちんと言う必要が生まれたとき、デンタルケアをしてこなかった多くの役者が苦労したと言われている。そして、トーキー映画がハリウッドスターの歯のお直し文化、つまり“芸能人は歯が命”という考えを主流にし、そんな映画スターたちの美しい歯に憧れた一般層でのデンタルケアを流行させた。

画像: (左)実在のトーキー映画スター、ジョーン・クロフォードもトーキー時代に歯をお直ししたひとり。(右)ジュディ・ガーランドの『オズの魔法使』での歯はアメリカ国民の綺麗な歯への憧れを加速させたと言われている。
(左)実在のトーキー映画スター、ジョーン・クロフォードもトーキー時代に歯をお直ししたひとり。(右)ジュディ・ガーランドの『オズの魔法使』での歯はアメリカ国民の綺麗な歯への憧れを加速させたと言われている。

ハリウッドの文化と歴史の徹底したリサーチが背景に見えるこの演出について聞くと、チャゼル監督は笑いながらこう語った。

デイミアン チャゼル:「歯の黄色さに気づいてくれてありがとう。歯についてのコメントはほとんど聞かないので、気づいてもらえて嬉しいです。なぜなら、私たちはこの件で随分と議論を重ねましたからね。時代ものの作品では当時のディテールが欠落していることに気づくと嫌になる。だからこそ、現代の歯科衛生の恩恵を受けた歯を使うのは嫌でしたし、爪も汚いままにしたかった。そのように、キャラクターのなかに不完全があるということこそ、ビジュアルに一貫して欲しいものだとみんなで思うようになったのです。私は、美しさと醜さを並べるのが好きなんですよ。映画の登場人物たちは、カメラの前に立ち、パーティーに出席して、そこにはハリウッド特有の美しさがある。しかし少し近づいて化粧を落とせば、実に醜い面が見えてくる。映画全体を通してそのような二面性を持たせることこそ、その背景にあった哲学だったのです

画像: マニー・トレスという役は、1920年代に最年少でスタジオ幹部となったキューバ移民のレネ・カルドナをはじめ複数の実在人物がもとになっている。
マニー・トレスという役は、1920年代に最年少でスタジオ幹部となったキューバ移民のレネ・カルドナをはじめ複数の実在人物がもとになっている。

2、3回観るほど面白くなる、スクリーンに隠されたチャゼル・マジック

チャゼル監督が『バビロン』に仕込んださまざまな“仕掛け”にすべて気づくには、1回の鑑賞では絶対に足りない。『バビロン』ではフレームをパノラマビューのキャンバスのように提示して、観客がフレームのさまざまな部分に「視線を流れるように移しながら」観られるようにこだわったそうで、「観客につねにどこを見れば良いか促さない映画作りが好きなんです」と語った監督は、総勢250人のキャストで成し遂げようとしたことを明かした。

画像: ド派手なパーティーでも知られていた20年代ハリウッド。映画史上トップクラスに、狂ったほど楽しいパーティシーンが描かれる。
ド派手なパーティーでも知られていた20年代ハリウッド。映画史上トップクラスに、狂ったほど楽しいパーティシーンが描かれる。

デイミアン チャゼル:「この映画ではすべてのキャラクター、すべてのシーン、すべてのフレームに明と暗を組み込みたかったのです。映画のどの場面にいるかによって比率は変わりますが、つねに明と暗が存在している。例えばパーティーシーンのようにたくさんのことが一度に起きている場面では、フレームのなかに美しいことと醜いことの両方を入れるようにしました。非常に密度が高い映画なのです。フレームがいっぱいの時、別のことが同時進行で行なわれている。つまりそれは、初観賞時にはフレームで起きていることの一部しか観られていないことになります。もちろん初観賞時に満足してほしいですが、複数回観ることで楽しみが増える映画でもあるのです。

例えば、私たちはハリウッドの当時の人口構成を細かくリサーチしました。この数字は30年代に入り急激に変わり、その変化はメインキャラクターの間で見て取れますが、背景に映る人たちやクルー、映画界の重役でも見て取れます。私たちは彼らを慎重にキャスティングしたのです。当時のハリウッドは低俗なアートとされており、ハイソサエティからは尊敬を得られないサーカスのような場所でした。だからこそ、アメリカ社会のつまはじき者にも扉が開かれていた世界だった。しかしトーキー時代になり、ハリウッドの評判が高まり、収益も倍増すると、扉は閉ざされ、私たちが知る白人だらけのオールド・ハリウッドの時代が幕開けるのです。こういった描写はすべて、シーンの背景で起きています。だから初見で気づくのは難しいかもしれない。水面下で多くを表現したため、2、3回観て気づくことがあると思います。もちろん、皆さんが2、3回観たいと思ってくれるならばね(笑)」

20年代~30年代のハリウッドと2023年には共通点がある

『バビロン』が舞台とする1920年代のアメリカは製造が盛んになり、テクノロジーの発展により突如として多くの家庭に洗濯機、掃除機、冷蔵庫、ラジオといった家庭用品が置かれ、生活様式は大きく変わった。1920年の10年間でアメリカは42%の経済成長を成し遂げ、社会は大きく繁栄したのだが、一方で、20年代後半~30年代前半にかけて自殺率が急増。光と闇のある時代だった。テクノロジーが目まぐるしく発展し、メンタルヘルスの問題も浮き彫りになっている現代とのリンクを感じるが?

画像: 映画の登場人物たちは実在の人たちがモデルになっており、ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)は、サイレント映画時代最大のセックスシンボルとされたクララ・ボウにインスピレーションを得ている。
映画の登場人物たちは実在の人たちがモデルになっており、ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)は、サイレント映画時代最大のセックスシンボルとされたクララ・ボウにインスピレーションを得ている。

デイミアン チャゼル:「ええ、間違いなくそう思います。今もハリウッドをはじめ、多くの業界で足元がぐらついている感じがしているのではないでしょうか? 個人の意思に関係なく生活がテクノロジーに支配されていて、我々はテクノロジーの奴隷と化している。今ある形のテクノロジーで言うと、この問題のはじまりは1920年代まで遡れると思っています。アートとしてのシネマの面白いところは、テクノロジーによって生まれたアートであるところです。絵画や口承のようにテクノロジーが発展する前に有機的に生まれたものではありません。誰かがカメラという品を発明し、人生をイメージに映し、化学的プロセスを使って光のパターンをセルロイドに記録し、印刷して、そこに動きを加え、それがシネマというアートを生み出した。だから映画はつねにテクノロジーと密接な関係にあるのです。そうすると、テクノロジーが大きく変わるとシネマというアートも大きく変わる。だから20年代には多くのアーティストたちは、『やめろ! 我々はこれを求めていない! うまくいっているのになぜ変える必要があるんだ!?』と叫んでいた。しかし彼らに選択肢はないのです。なぜなら行方を支配しているのはテクノロジー側で、それが序列であると気づくことはどの時代においても嫌な現実ですよね。とくに現代ではそれが強いのではないでしょうか」

画像: レディ・フェイ・ズー(リー・ジュン・リー)はハリウッドが求める“アジア人らしい魅力”を演じることでハリウッドで生き残っている。アジア系へのフェティシズムを物語る役だ。
レディ・フェイ・ズー(リー・ジュン・リー)はハリウッドが求める“アジア人らしい魅力”を演じることでハリウッドで生き残っている。アジア系へのフェティシズムを物語る役だ。

1920年代から1930年代の移行のなかで排除されたのは、セリフのある演技ができない俳優だけではない。音声の登場で映画業界の格式が上がると、ハリウッドは“イメージのクリーンアップ”をはかる。LGBTQ+や有色人種といったマイノリティが排除されるという差別を受け、多くの人がキャリアを失い死亡者が多く出た。

デイミアン・チャゼル:「1920年代~1930年代にかけて、ハリウッドとその周辺では自殺やオーバードーズ(薬物の過剰摂取)の件数が上がりました。その事実は、語る価値のある物語があるかもしれないと私を最初にこのテーマに惹きつけたもののひとつでした。サイレントからトーキーへの移行については、私の大好きな映画のひとつ『雨に唄えば』でも実に美しく語られていますが、多くの人々にとってあまりにも悲惨で、激動の変化だったせいで、彼らを絶望の淵に追いやり自殺者が出ていたと思わせるような描き方ではないです。もちろん、大恐慌のようなほかの要因もある。しかし、音声の登場でキャリアを台無しにされた人たちがいて、さらに、ハリウッドの業界様式も変化してきた。『バビロン』の中でも描かれていますが、道徳規範が重要視されるようになり、これまで合法だったものが違法に、許されていたことが許されないようになり、自由が減りました。そして、その中で多くの不幸な死に直面するのです。

この15年間、デイミアン・チャゼル監督の「ワン・デイ」映画だった

『バビロン』のアイディアの種がチャゼル監督の頭に浮かんだのは約15年前。デビュー作となる2009年の映画『Guy and Madeline on a Park Bench』を制作する前だった。この映画を映画祭で観た、フォーカス・フィーチャーズの若きエグゼクティブだったマシュー・プルーフ(『バビロン』のプロデューサー)から連絡をもらったチャゼル監督は、“1920年代から1930年代の過渡期にあるハリウッドを舞台にした群像劇”というアイディアをプルーフ氏に明かし、そこから何年もアイディアの投げ合いを続けていたそう。そんな2人の間では、『バビロン』は”ワン・デイ映画=いつの日か映画”と呼ばれていたという。

画像: 現在38歳のデイミアン・チャゼル監督。『バビロン』のもととなったアイディアが浮かんだのは20代前半。約15年にも及びリサーチと構想で超大作を完成させた。
現在38歳のデイミアン・チャゼル監督。『バビロン』のもととなったアイディアが浮かんだのは20代前半。約15年にも及びリサーチと構想で超大作を完成させた。

デイミアン チャゼル:「会ったばかりのマシュー・プルーフにアイディアをプレゼンしたのです。私はLAに引っ越してきたばかりで、私たちは好きな映画やシネマについて議論しながら交流を深めた。そのなかで『バビロン』の核となるアイディアはつねにそこにあり、いつか作りたいと思っていました。マット(※マシュー・プルーフのあだ名)はいつも、『これはワン・デイ=いつの日か映画だね』と言っていました(笑)。『いつの日か作る。でもそのいつかは一生来ない。なぜならこれは壮大すぎるし、恐ろしすぎるし、自分たちは業界で知名度ゼロだし、月に行く計画を立てているようなものだ』と思っていた。しかしこの話をするのが楽しかったので何年も話し続けました」

では、そのワン・デイ(=いつの日か)がやってきたと思えた理由は何だったのだろう?

デイミアン チャゼル:「ワン・デイはちょうど『ファースト・マン』(2018年)を終える頃にやってきました。マットと(リサーチを担当した)パトリック・マーフィーのおかげで、その時点で十分なリサーチを蓄積することができていました。必要な材料が揃ったと思えた。その前までは、(『バビロン』の舞台となる)世界をまだ十分わかっていないと感じていたのです。しかし『ファースト・マン』が終わろうとする頃には、これなら何かを作れると思えました。それに、ずいぶん先延ばしにしたなというのもありました(笑)。せめて挑戦しないと、“いつの日か”は本当にやってくることなく、この映画は本当にワン・デイ映画になるかもしれないと思ったのです。

デイミアン・チャゼル監督が“ワン・デイ映画”と言うほど壮大で、そして約15年をかけて実現させた映画『バビロン』は現在公開中。(フロントロウ編集部)

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