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【『スベクヒャン』の歴史知識】武寧王と太子は史実でどういう人だったのか

  • 2023.2.10

テレビ東京で放送されていた『帝王の娘 スベクヒャン』が最終回を終えた。このドラマをきっかけに古代の百済(ペクチェ)の歴史に興味を持った人も多いことだろう。

そこで、『帝王の娘 スベクヒャン』に登場した武寧王(ムリョンワン)と太子ミョンノンの実話を紹介したい。

イ・ジェリョンが演じた武寧王は、ドラマの中では24代王・東城王(トンソンワン)の「いとこ」という設定になっていたが、実際には「息子」であった。そのことは、『三国史書』でもはっきりと書かれている。

武寧王は39歳だった501年に百済の25代王として即位した。容貌が優れていたというから、今で言えば相当なイケメンだった。

国王としても巧みな戦略家であり、高句麗(コグリョ)との戦いを有利に進めて国力を高めている。そういう意味でも大変な名君であった。

『帝王の娘 スベクヒャン』では、武寧王の息子がチンム公(チョン・テス)で東城王の息子がミョンノン(チョ・ヒョンジェ)であった。しかし、ドラマの中でチンム公とミョンノンが入れ替わって育てられた。つまり、ミョンノンは武寧王の実子ではなかったのだ。

(画像=©2013-2014MBC)
日本での仏教の始まり

しかし、史実は違う。ミョンノンは武寧王の正真正銘の実子であった。

そして、523年に武寧王は世を去り、代わってミョンノンが即位している。これが26代王の聖王(ソンワン)である。

聖王は学問に秀でていて、人格も高潔だった。在位中は善政を行なって民衆からとても慕われた。

この聖王は日本とも深い関係を持っていた。特に重要なのが、日本に仏教を伝えたという事実だ。それは552年のことである(538年だったという説もある)。聖王が日本に仏像や経典を贈ったことが日本での仏教の始まりになった。

こうした歴史に登場する聖王は、554年、新羅(シルラ)との戦闘の最中に戦死した。当時は国王が自ら戦争を指揮することがあり、戦乱の中で亡くなる国王もいた。まさに聖王がそうだった。

『帝王の娘 スベクヒャン』でもミョンノン(後の聖王)が自ら戦争の先頭に立つことがあった。くしくもドラマは聖王の最期を暗示していたのかもしれない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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