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金平糖と同時期に日本に伝来した飴菓子の「有平糖」とはどんな食べ物?

  • 2023.2.9

綺麗な見た目で口にするのが惜しいお菓子はたくさんありますよね。 そのひとつともいえる「有平糖」は金平糖と同時期に日本に伝来したお菓子です。

美しいお菓子の原点とも言える、有平糖がどのようなものなのかを解説します!

有平糖とは?

 

「有平糖(あるへいとう)」は、砂糖に少量の水飴を混ぜたものを煮詰めて作られる飴の一種です。 飴が柔らかい間に空気を入れ膨らませて練り伸ばす有平糖の飴細工は、精緻な技術が必要となります。

高温で煮詰めて作られているため、熱にも強く季節に関係なく良品質を保ち、年間を通して美味しく食べられます。 水分を吸収しやすい水飴の比が少なく、湿気に強くベタベタしないのが特徴です。 最低限の水飴と砂糖を多く使って作られているため、その食感はサクサクとしたものになっています。

手間をかけて作られた有平細工の花には蝶が間違えて止まってしまう、という逸話があるほど。 出来上がりが非常に美しいお菓子のひとつです。

茶道のお菓子として使用される、和菓子のひとつとして親しまれています。

ポルトガルから伝来

 

有平糖は、戦国時代の終わりにポルトガルから伝来した南蛮菓子のひとつです。 その名前は、ポルトガル語の「Alfeloa(アルフェロア)」に由来するとされています。

このアルフェロアは糖菓の意味し、そこからアルヘルやアルヘイルと呼ばれていました。 それが、アルヘイ糖やアリヘイ糖に変わり、現在の有平糖という表記となったと言われています。

日本での有平糖

当時の砂糖はとても高価。 そんな砂糖を使い技巧を凝らせて作られた美しい有平糖は、高貴な身分の人が口にしたり、祝い事の際に食べるものとされていましたので、非常に価値のある庶民は口にできない存在でした。 しかし砂糖の生産が増加した江戸時代に、庶民も入手しやすくなったとされています。

また、菓子職人は他の商人よりも厚遇を受けていたそうです。 江戸城へ登城する際には一般的な商人が使用する通用門ではなく、表玄関の通行を許可されていたりと、菓子職人の技術は優遇するに値していたものであったとされています。 そこから幕府からの歓待を受け、菓子職人の技術が上がり、飴細工の技法が完成されてきたと言われています。

江戸時代末期になると、有平糖細工の技術は著しく進化し、花や植物や蝶を象ったものが作られるようになります。 茶道のお菓子として扱われるようになったのもこの時期です。

江戸時代には、棒状や板状に伸ばす、型に流し込んで固める、空気を入れて膨らませるといった洋菓子にもある技法が、有平細工に取り入れられていたそうです。

他の飴と有平糖の違い

 

一般的な飴と比較すると使用している材料は同じですが、配合に違いがあります。

有平糖は砂糖を多く使用し、水飴をあまり使わないで作られています。 それに対して一般的な飴は、水飴を多く使用し作られています。

水飴には砂糖の結晶化を抑える効果があり、口当たりがなめらかになります。

配合を変えるだけで舌ざわりが大きく変化するので、非常に奥が深く、当時の菓子職人が厚遇であった理由がなんとなく分かる気がしますね。

金平糖との違いは?

現在でも喫茶店等で提供されており、子供から大人まで一度は口にした金平糖も、南蛮菓子のひとつです。 ですが、有平糖とは違った材料で作られています。

金平糖を作るには、まずはグラニュー糖を水で溶かし、焦げ付かないように丁寧に混ぜることで出来上がる「糖蜜」と呼ばれる液体を用意します。 そして、斜めになった大きな銅釜にザラメを入れ、糖蜜をかけて混ぜていきます。 銅釜は常時火にかけており、突起が出るまで繰り返します。

制作期間は最低でも2週間。 糖蜜をかけては乾燥させるという作業を何度も何度も繰り返してようやく出来上がります。

実は、金平糖の代名詞ともいえる突起がなぜ生まれるのか、それは明確には分かっていなかったりします。 一説には、熱くなった鉄板の上で、ザラメにかかった糖蜜が部分的に乾き硬くなるため、製造の過程でどんどん伸びていく、と言われています。

まとめ

美しくて、口にするのがもったいなく感じる飴菓子の「有平糖」。 このお菓子は、戦国時代にポルトガルから伝わった南蛮菓子の一種です。

名前こそ似ていますが、「金平糖」とは作り方が大きく異なります。

馴染みがないようにも思われる和菓子のひとつですが、意外とコンビニとかで取り扱いのある商品がある・・・なんてことも。

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