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「サザエさん」を生んだ生涯独身の天才漫画家 長谷川町子が語る磯野家のヒミツ

  • 2023.2.6

終戦直後の新聞連載スタート

♪おさかなくわえたドラ猫~

日曜日の夕方、テレビからアニメ「サザエさん」のテーマソングが流れてくると、「ああ、日曜日も終わりか」と多くの日本人が感慨にふけった時期があった。テレビ離れが加速した今も同じかどうかはわからないが、それだけ国民の間に定着した番組だった。翌日の月曜日が来るのをうっとうしく思う状態を「サザエさん症候群」と称することもあったくらいだ。

サザエさんをテレビでしか知らない世代にとっては驚きかもしれないが、サザエさんは太平洋戦争が終わった直後の1946年、地方新聞連載の4コマ漫画として世に生まれた。作者は当時26歳の長谷川町子さん。まだ女流漫画家が珍しかった時代としても、きわめて若い漫画作者だった。

その長谷川さんが折々に書いたエッセイや対談、インタビューをまとめた『長谷川町子 私の人生』(朝日新聞出版)が、「サザエさん」を長く連載していた朝日新聞系の出版社から2023年1月に復刊された。

胃がん摘出も自身には知らされず

1992年に72歳で亡くなった長谷川さん。自身がサザエさんのモデルとも言われながら、生涯独身で、漫画作りに命を擦り減らした人生だった。ときに淡々と、ときに笑い飛ばしながら語り、綴る本書は、4コマ時代を知る人から現代のアニメ世代までをほっこりさせてくれるエピソードに満ちている。

父親が亡くなって福岡から上京したのが14歳。絵を描くのが大好きだった長谷川さんは、姉に連れられ、人気漫画『のらくろ』の作者、田河水泡の家を訪れ、弟子になることを許される。そして翌年には『少女倶楽部』で漫画初連載を開始。15歳での漫画家デビューは「天才少女漫画家」と呼ぶにふさわしい人生のスタートだった。

本書は必ずしも時系列で並んでいないのだが、長谷川さんが一貫した考え方と生活態度、そしてキリスト教の無教会派の信仰のもとに生きていることが、どの編を読んでも分かる。

「サザエさん」と並ぶ代表作「意地悪ばあさん」も長谷川さん自身に似ているという評を逆手に取り、自身が胃がんで胃の5分の4を摘出したことを、この漫画を連載していた『サンデー毎日』に『意地悪ばあさん「入院の記」』として書いている。仕事のストレスもあっての発病だったことも書いてあるが、主治医とのやり取り含め、軽妙な描写は笑いを誘う。実は、本人はがんであると疑いながら周囲はそれを「胃潰瘍」と言いくるめ、死ぬまで知らずにいたらしい。それを知ると、この文章の味わいは、より深いものになる。

家庭漫画に課した原則

「サザエさん」は単行本68巻という大量の作品があり、「磯野家」の謎に関する本まで出ていることは有名だが、本書では、いくつかの地方紙を経て朝日新聞での連載が始まったころ、長谷川さん自身がサザエさんの家族をどのように想定していたかを語る対談も載っていて興味深い。

例えば、マスオさんについては、会社員ではなく「研究所」に勤めているのだという。さらにサザエさんの父母については、名前はないとか、父50歳、母45か46歳という設定だが、その割に老けていると自分でも認めている。ほかにも、サザエ・マスオの夫婦仲とか、なぜマスオさんがサザエさんの実家に住んでいるのかなど、あらためてテレビアニメを見る機会があれば、また違った印象を感じるかもしれないエピソードがいっぱいである。

本書には、長谷川さんのスナップ写真も何枚か挟み込まれ、確かにサザエさんに似ているなと思わせるものもあれば、いかにも売り出し中の流行漫画家といったものもあり、サザエさんがこの人から生み出されたことを実感させてくれる。

先述の漫画の師匠、田河水泡との対談『漫画と人生』も本書に収められている。1952年の雑誌掲載だが、現代にも通じる芸術論、漫画論といってもいい。その中で、長谷川さんは自身の漫画に荒唐無稽なものを書かないことについてこう語っている。

「家庭漫画に荒唐無稽なことを持ってきますと、非常に不自然なんですよ。不自然ですと人が読んで下すったときおかしさを感じないだろうと思いますの」

新聞連載から77年、そしてテレビ放送開始から50年を超えて人気を保つ「サザエさん」。長谷川さんのこの魂が、いまも生き続けている証拠だろうか。

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